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2013/07/13

すごく唐突ですが、思い出話を1つ…。

大切なのは今であり、未来ですが、そんなのもあったわね(なぜか女性口調)、というような感じでお読みいただけましたら幸いです…。

ぼくは今、『3-4-3』というバンドをやっておりますが、過去に在籍したバンドの中で、もっとも活動が華やかだったのはむしろ、20代の半ばから30歳くらいまでの間在籍していた『ヂーザス』というバンドです。

オリジナルのレゲエやファンクを中心に演奏していました。

そのバンドは、ぼくが卒業したあとも10年以上は活動を続けられていたと思います。

そのバンドのメンバーからいろいろな影響を受けました。

ここ数年はメンバーの方々とも疎遠になってしまいましたが、ぼくより大人な皆さんから、本当にいろいろなことを教わりました。今でも消えずに、ぼくのキャラの一部に染みついていることも多々あります。

楽しかった思い出もたくさんあります。

…。

この頃のことを思うと、いろいろなことが思い出されてきました。

あまり軽々しく思い出話を披露できないような気もしてきました。

メンバーの方々は、ぼくより5〜10歳くらい歳上の方ばかりで、ぼくも5年間ほど在籍したとはいえ、途中から入って、途中で抜けた身ですし…。

喧嘩をして抜けることになったわけではまったくありません。

丁度ぼく自身が結婚した時期で、仕事も忙しくなってきたこともあり、そういうもろもろの中で卒業させてもらったという感じです。

とにかく活動が活発なバンドでした。

リハは週に2度行われていました。

ライブは月に1、2度やっていたと思います。

ライブのチケットも、メンバーでノルマを分担し、自分のノルマがさばけなければ自腹になっていたと思います(たくさん売れたら収入にもなったのですが、そういうケースは多くはなかったように思います…)。

でも、いろいろな夢が見られました。

中でも、『イカ天』というTV番組に2度出させていただいたことは、大きな思い出です。

しかし1度目に出たときは、とても苦い体験となったのですが…。

番組自体は、89年の2月スタート、そして90年の12月に終了しているようです。

ぼくらが1度目に出たのは、番組開始後1年以上が経った頃だったと思います。

番組自体の人気も、一時の勢いはなくなっていたように思います。

出られることになったのは、当時フランチャイズとしていたライブハウスの方が推薦してくださって。

詳細は覚えていないのですが、なんとなく、キングになれるんじゃないか、という手応えがありました。

なんでだろう…。

バンド内に、なぜかそのような空気が流れていて。

あの番組は、演奏を別の日に収録します。

どこかのスタジオに行って、15バンドとか20バンドとか、一気に撮影していたように思います。

一応、サウンドチェック的なリハーサル、カメラリハーサルと、それぞれ1度ずつ演奏し、そして最後に本番。

本番は基本的に1発だったと思います。

で、あとは別の日に生放送です。

1日に10バンドくらい登場し、演奏中に審査員の方がダメという意味合いのボタンを押し、そのランプがいくつか点灯すると完奏できない(演奏のVTRが途中で打ち切られる)という仕組みでした。

そして、完奏できたバンドの中から週のチャンピオンが1組選ばれ(チャレンジャー)、前週から勝ち抜いている「キング」とどちらが今週のキングになれるのかが審査されます。

なんとなくキングにもなれるんじゃないか、という気がしていました。

なので、知っている女の子という女の子に、「今日『イカ天』に出る」と連絡しまくったように記憶しています。

生放送の当日には、こんなことがありました。

楽屋からスタジオに移動する通路で、番組の中心的なプロデューサーの方がぼくらを呼び止め、こうおっしゃいました。

「今日の結果がどうなるかはわからないが、ぼくは個人的にキミ達のことが気に入っている。これ以後も一緒に仕事ができたらうれしいと思っている。今後ともよろしく」というような内容だったと思います。

この時点で、ぼくら(ぼくだけか…)の頭の中には、相当なビッグドリームが展開されていたと思います。

そして意気揚々と出番を迎え、演奏スタート。

しかしなぜか、ダメを表すランプが1つ着き、2つ着き…。

そうするとだんだんと、演奏シーンが画面の中で小さくなっていくんですね…。

そして、完奏することが叶わないという、まさかの展開…。

この週に完奏できなかったバンドは、確かぼくらともう1組くらいしかなかったと思います…。

この時のぼくの頭の中は真っ白でした…。

出ることを伝えた女の子たちとはもう2度と会えない(会わす顔がない)と思いました。

すべてが終わってしまった…、というくらいの絶望感がありました。

ただ、今にして思うと、そのプロデューサーの方がぼくらを気に入ってくださっていたことは事実だったと思います。

翌週以降、過去に登場したバンドの人気ランキングで、ぼくらは何週かに渡りランクインを果たしていました(一応、ファン投票によるランクとされていましたが、その方のさじ加減も入っていたのではないでしょうか…。あくまでも推測です)。

その方は、後のライブにも来てくださったりしていたと思いますし、イベントにも声をかけてくださったりしたように思います。

あと、さっき調べていて知ったのですが。

98年に、バンダイ・ミュージックエンタテインメントから、『いか天 ザ・50』というオムニバスCDが発売されているようなんですね。

vol1からvol3まであり(3枚同時発売だったようです)、各CDに16〜17曲収録されています。3枚合計で50曲がチョイスされているようです。

ぼくが参加していたバンド『ヂーザス』の、完奏できなかったその曲が、vol1の16曲目に収録されていました。

こちらをご参照ください。

ぼくらの次の曲がFLYING KIDSさんの曲で、その曲がvol1のトリになっています。

さて。

その約半年後、もうそろそろ番組が終わりそうな頃、ぼくらは2度目の出演を果たせました。

前回のことが大きな教訓となっていて、この時は、ごくごく近しい人にしかその事を伝えませんでした。

そうしたら、なんと今度は、週のチャンピオン(チェレンジャー)になれました。

しかし、キングには敗れてしまったんですが…。

懐かしいです。

このバンドは本当に、良い思い出です。

とはいいつつ、やはり大事なのは今であり、未来ですから、今、一生懸命音楽に取り組みたいと思ってもいるわけですが…。

長々、昔話を失礼いたしました。

押忍

2013/07/13 06:33 | ohta | No Comments