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2011/01/26

前回、ずいぶんと尻切れで終わってしまったので、その続きをば。

「地球はせいぜい50億人しか養えない」という話。
この50億という数字自体は根拠に乏しく、眉唾ものではあるのだが、
ここで大事なのは、数字の問題ではない。
地球には限られた土地しかないのだ、という事実への気付きだ。

こんな当たり前の事実を知ってか知らずか、
しかし、はるかに昔から、限られた土地を有効活用するための努力、
つまり、単位面積あたりの収穫量の増加を目指す試みそのものは、
農家にとって、大きな命題であったことは間違いない。

品種改良、農薬、化学肥料、遺伝子組換え…

農家はいつのころからか、化学の専門家としての顔を持つようになる。
ただし、これらはひとえに、効率的に農作物を作って売れば儲かる、
という市場経済原理に突き動かされたゆえの行動であり、
上述したような大義名分を掲げている農家は皆無だった。

そしてそれは、農家の責任でもなんでもなく、
農業を市場経済に巻き込んでしまった、「神の見えざる手」の仕業だった。

結果としてもたらされたのは、
「いま、その土地から収穫できるモノを最大化すること」
を、是とする思想。
そこからは、「持続可能性」というものが忘れ去られている。

先日、『クーリエ・ジャポン vol.075』を読んでいて、
ふと目に止まったのが、「現在と未来の不均衡」という言葉。
同誌の中では、サブプライムローンを例に挙げて、
金融市場における現在価値の水増しを糾弾する言葉であったが、
これは、そのまま農業にも当てはまる話だと思う。

いまを最大化し続けると、果たして未来はどうなるのだろうか。

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1月22日に公開になったばかりの、
『フード・インク』という映画がある。

映画『フード・インク』公式サイト
http://www.cinemacafe.net/official/foodinc/

題材は、農業の工業化、そしてそれがもたらす食の危機。
詳しくは、興味があれば映画館へ足を運んでもらうのがいいと思うが、
曰く、農作物や家畜が、この大量生産大量消費社会においては、
まるで工業製品かのように扱われ、処理されてきたが、
その歪みが、新たな病原菌の発生や、栄養の偏りによる肥満など、
至る所で噴出しはじめている、という内容。

大量生産を可能にしたことで、たしかに食料は安価になった。
しかし、その背後にあるのは、残念ながら、
「地球上の全ての人たちを飢えで苦しまないようにしてやるぜ」
という正義感に燃える素敵な発想ではない。

もちろん、世にあるこの手の多くの映画がそうであるように、
物事をひとつの側面だけから捉えた見方であり、
やや啓蒙的な内容に偏り過ぎているきらいもある。

この映画を見ながら考えていたのは、
工業型農業の対極に位置する、自然農法、という考え方について。

昨今、マスコミにも登場するようになったので、
ご存知の方も多いかもしれない、『奇跡のリンゴ』の物語。

品種改良を重ねた結果、すっかり弱くなってしまった現代のリンゴは、
農薬無しでは絶対に育てることはできない、という鉄の掟がある。
そのタブーに挑戦し、苦節10年、見事に無農薬のリンゴを実らせた、
リンゴ農家の木村秋則さんが、その主人公だ。

木村秋則オフィシャルホームページ
http://www.akinorikimura.net/

第35回 木村秋則 | NHK プロフェッショナル 仕事の流儀
http://www.nhk.or.jp/professional/2006/1207/index.html

この話、美談として散々各所でもてはやされ、
なかなかここまでやれないよな、と持ち上げられ、
ともすれば、一過性のブームで消え去ってしまうのかもしれない。

ただ、この話のミソは、実は、こうして作られたリンゴが、
その品質と価格の両面において、市場の中で価値を持ったことにある。
大量生産されたものに比べればもちろん高価ではあるが、
品質との兼ね合いの中で、十分な競争力を持ち得たということ。

「持続可能性」のひとつの形を提示したことに、その真の価値がある。

じゃあみんな自然農法にすれば万々歳かというと、そうでもない。
冒頭の話に立ち戻って考えると、
全員が、自然農法を実践したとしても、
なお、解決できない、人口過多という問題が横たわっている。

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そんな世界の人口増の流れとは裏腹に、日本はいよいよ人口減に転じた。
併せてやって来たのは、世界一の長寿国の称号と、超高齢化の波。

最近では、欧米から、そんな世界に先駆けた日本の姿を、
「ジャパンシンドローム」などと呼ぶ声もあるらしい。

欧米とて、これから人口減、高齢化の問題を抱えていくことになる。
その先陣を切る日本のお手並み拝見、という腹づもりが透けて見える。

これから3月にかけて、NHKがこの問題をシリーズ放送するらしいので、
どんな論を展開してくるのか、今から楽しみにしたい。

ジャパンシンドロームをのりこえろ│NHKニュース おはよう日本
http://www.nhk.or.jp/ohayou/special/20110117.html

NHK あすの日本
http://www.nhk.or.jp/asupro/

さて、ここからは個人的な腹案、というにはお粗末なものも含めて、
いくつか考えてみたことを書き連ねて、本論の締めとしたい。

年金問題もさることながら、高齢化の問題とは、すなわち、
扶養する側とされる側の不均衡を招くことにある。

ただ高齢者が増えるというだけではなく、
それと平行して少子化が進むことで、問題はより一層深刻になる。
扶養する側が減り、される側が増えつづけた先に何があるのか。
答えはもう、火を見るよりも明らかな、経済の閉塞だ。

現代日本の農家は高齢化が進み、平均年齢は還暦をとうに超えた。
ただ、上記のような閉塞感を打開する可能性がある、という意味で、
実は高齢者が農業に携わる、それ事態は悪くないと個人的には思う。
定年退職後の田舎への移住だって捨てたもんじゃない。

問題は、持続力。
つまり、後継者の問題だ。

農家の長男でも無い限り、農業を志す若者というのは極めて稀だ。
価値観の多様化なんてご大層に掲げてみたところで、
大学生の就職希望先ランキングは、相も変わらず大企業が居並ぶ。
どんなに就職難を叫ばれても、農業に足を踏み入れはしない。

それは、若者が短絡的だからではなく、むしろ、
それを選択しなければ生き辛い世の中だと骨身に染みているからだ。
「スローライフ」なんて言葉が流行ってみたところで、
結局、憧れは憧れでしかない。

そんな、一時のブームとしてではなく、若者の就職先として、
真剣に農業を提示してやる、というのはあまりにも無謀だろうか。
もちろん、超えなければいけないハードルは高い。
若者は、大卒という背負い込んだプライドを捨てなければならず、
農村は、血縁や地縁という昔ながらの繋がりを失うことにもなる。

過去を美化し、近所付き合いを懐かしむのではなく、
「ヨソモノ」を受け入れる心の広さ。
そんな開かれた農村の姿が目の前にあれば、あるいは、
若者の心を捉えることができるかもしれない。

まだまだ、この話題に関心を持つようになって日が浅く、
紙の上でそんなことを夢想することしかできないが、
少しでも、誰かに響く言葉を届けられるようにと、
そんな思いで、日々、机に向かえるような学生でありたい。

2011/01/26 12:00 | fujiwara | No Comments