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京都はかなり秋めいてまいりました。
紅葉にはまだまだですけど、
雑誌では、京都の紅葉特集が始まりそうです。
深秋を迎える頃は、四季で一番観光客の多い京都です。
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今日は、子どものワクチン接種についてお話をします。
だけど、ワクチンそのものの説明より、ワクチン接種の問題点から、
今の子育てや社会の問題点を探ってみたいと思います。
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乳幼児の主な予防接種です。
BCG 予防接種、DPT・3種混合、MRワクチン
ポリオ(急性灰白髄炎)、日本脳炎、おたふくかぜ
水ぼうそう(水痘)、Hibヒブワクチン、B型肝炎ワクチン
肺炎球菌ワクチン、インフルエンザワクチンなど
定期的なものから、任意のものまで色々あります。
アメリカはもっと多いようですが、基本は一緒だと認識しています。
ワクチン接種にはいくつか問題がありますが、
大きくわけて3つに分けられるのではないかと思います。
1つ目は、副作用(副反応)が報告されていること
2つ目は、(病気によっては)本当に必要なのか?という議論
3つ目は、(大した事情も無いのに)接種を受けない人と、受けたいけど(事情があって)受けられない人の間で起こる対立。
1つ目は、接種が原因で、重い後遺症や、中には死亡するケースもあり、深刻な問題になっています。
接種を受けずに、パンデミック状態になったことを想像すると、 接種は必要だとは思いますが、
新型インフルエンザのワクチン接種でも、大人も子どもにも深刻な副作用が報告されています。
また、子どものワクチン接種が原因ではないかと言われている自閉症の問題があります。
先天的な障がいが原因である、自閉症の子どもが多数なのですが、自閉症児が増えている現在、
ワクチン接種が原因なのではないかといわれています。
2つ目の議論は、今回は割愛します。
3つ目の議論ですが、問題になっているケースはこの様なものがあります。
Aくんは、ある病気のワクチンの接種を受けていません。それは親が副作用が怖いのと、
この国ではもうその病気が発生するなんてありえないと思っているからです。
Bくんは、同じ様に、その病気のワクチン接種を受けていません。でも、Aくんとは違って、
本当は受けたいのですが、成長が遅いのでもう少ししてからと医師に言われています。
Cくんも予防接種を受けていません。理由はAくんと同じです。
Cくんは、家族である国に旅行に行きました。Cくんはその旅先である病気に感染してしまいました。
Cくんは何も知らず、学校へ行き、AくんとCくんが感染してしまいました。
ここで問題なのは、Aくんの親はある意味仕方がないと諦められるでしょうが、Bくんはそういうわけにいきません。
あと、そういう感情論では済まない問題が発生します。それは、その国では珍しい病気になってるので、経験不足から、
病院や医師の対応が遅れると言うことです。
例えば日本では、DPT・3種混合予防接種で予防できるジフテリアは、治療の経験がある医師が殆ど居ません。
もう、過去の病気、撲滅したはずになっている病気で、とんでもないことが起こる可能性があるんです。
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話が横道にそれますが、サッカーを6年間やっていた私は今もサッカーの大ファンです。
サッカーはボールばかりを追って観ているとさほど面白いスポーツではありません。
ボールの周辺で、直接ボールに触れることは無いけど、重要な動きをしているプレーヤーが必ずいます。
そういう動きができる選手を育てて、戦術として浸透させるのが監督の役割なんですが、
その動きは、非常に地味で献身的な行為なので、目立ちたがりの選手は嫌がります。
ワールドカップクラスになっても、 同じことが言えます。
「なんでアイツのためにフォローに入らないといけないのか!」なんて言う選手がいたら、
あっと言う間に得点が相手に入ります。
攻める選手がいれば、動きやすいようにスペースを作る選手と、攻めに入った選手のバックアップの選手が必要です。
攻める選手がゴールを決めれば、新聞の一面を飾るのはその選手ですが、
勝利は、その選手一人で得られるものではありません。
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ワクチンの接種を受けない理由に、「自分の子さえよければ良い」と言う親が居ます。
また、「自分の命は自分で守る」と言う親にも出会ったことがあります。
基本はそうだと思いますが、実際はそんな簡単なものではありません。
自分の命を守ると言うことは、実は、「他所の子のために、自分は何ができるのか?」を、
考えると言う事に気付いて欲しいのです。
サッカーの様に勝利のため、どれだけ地味で献身的な行動ができるのかが問われています。
もうすぐインフルエンザの季節です。
ワクチンの接種について、一度ご家族で話し合ってみて下さいね。
あなたとそのご家族の健康、命を守ると言うことは、世界のことを考えると言う事ではないでしょうか。