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今日は、ライブハウスなどで行われている『セッション』について書いてみたいと思います。
どういうものなのか、というあたりをご説明できたら、と…。
ぼくはここ2年くらい、割と頻繁に『セッション』に出かけています。当初は2か所のセッションに通っていたのですが、最近は1か所に絞る形になってしまっていますが。
まずは概要を簡単に。
ライブハウスが『セッション』の日を設定します。その日にお客さんが楽器を持って集まります。
進行役の方が楽器のバランスを考えながら、都度メンツをチョイスして、ステージに上ったメンツで話し会って曲目を選定します。
大概、「ホスト」と呼ばれるプロミュージシャンが1〜3人ほどいて、適宜混ざりながら演奏をサポートしてくれます。
多くの場合、ミュージックチャージを支払って参加することになります。入場料みたいな感じですね。
ジャズ系のライブハウスで行われることが多い印象です。
ジャズはセッション向きの音楽です。というか、ジャズ自体がそもそもそういう音楽…、とでも言いましょうか…。
「スタンダード」という共通認識がジャズを愛好する人たちの中にありますので、初めて会った者同士でも、演ったことのある曲が見つけやすいのです。
もちろん、ブルースでも、ロックでも、ブラジル音楽でも、それぞれ「スタンダード」があるわけですが、ジャズではとくに「スタンダード」曲が数多く存在します。
比較的演奏しやすい曲もあれば難易度が高い曲もあります。あらゆる曲(演ったことがない曲も含め)に対応できる強者もいれば、経験のある曲が数曲しかない、という人もいたりします。
基本的には譜面が必要です。コード進行をみんなで共有する必要があります(覚えていれば不要ですが)。
そしてベースプレーヤーは、譜面に書いてあるコードネームに沿ってベースラインを自由に組み立て、ピアノやギターなどのコード楽器奏者は、コードネームに沿ってハーモニーを自由に組み立てていきます。
まずは誰かが「テーマ(主旋律)」を取って1コーラス演奏します。「テーマ」とは、その曲のそもそものメロディです。
(「テーマ」は、管楽器奏者がいれば、その人によって演奏される場合が多いです)
あとは、コーラスを延々と繰り返し、ソロを回していくことになります。それぞれ、コード進行に沿ってアドリブで演奏していくわけです。
管楽器奏者も、アドリブを演奏していくに際して、譜面を追って演奏していくのが通例です。
アドリブは本来自由であり、出してはいけない音はないのですが、ある程度はコードトーン(コードの構成音)に沿って演奏すべきです。フリージャズならいざしらず、一応曲を決めて演奏するわけですし、勝手に演奏してしまったら、他の楽器の人が今どこを演奏しているのかをロストしやすくなってしまいますし。
ちなみにぼくはというと、「テーマ」は自分が暗譜している曲しか吹きません。初見で知らない曲のテーマを吹いたりはできないわけです。自分でテーマを取れない曲を演ることになってしまった場合には、ソロだけで参加します。
ソロに関しても、譜面を見ません。
コードネームを見て、例えば「Cm7」という個所があったとして、構成音が「ド、ミ♭、ソ、シ♭」ということは、一応瞬時に分かります。しかし、それを考えながらやっていたらおっつかないのです…。
(本来は、譜面を追ってコードトーンを頭で意識しながらソロを取るべきだとは思っていますが…)
耳だけが頼りです。というより、気合い(カン)だけが頼りです…。
一応、キー(調性)は意識します。その上で他の楽器の人が出す音を聴いてそれに寄り添いながら、あとは気持ちのおもむくまま…。
結果、ちょいちょい外れた音を出してしまうことになります。
しかし…。
かつて、チャーリー・パーカーが若き日のマイルス・デイビスにこのようなことを言ったそうです(うろ覚えですが…)。
「ミストーンを吹いたら、そのフレーズをもう一度吹け。そうすればそれは、ミスではなくなる」
概ね、この精神にのっとっています。
そして、外しても堂々と「スケールアウトが自分のスタイルだ」というような態度を押し通します。
しかしながら、外しまくってしまったときなどは、内心、どん凹み…。
というわけで凹むことも多いのですが、『セッション』は基本、楽しいです。
思いっきり吹いて、気分すっきり、というところも大きいです。
あとは、恋の期待感、でしょうか(これはウソです)。
次回は、『セッション』の現場について、もうちょっと具体的にレポートをさせていただきたいと思っております。
(面白い発見が、あるかも…。ないかも…)
押忍。