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サポートハウスの運営を始めたのが2004年からですから、8年目になりますが、
いつも大切にしているものの一つに、「患者さんに寄り添う」ということです。
京都サポートハウスは、医療施設ではありませんし、私は医療に関する知識はありません。
でも、患者さんに寄り添いたいと思うのです。
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サポートハウスは全国に100箇所近くあるので、そんなに珍しいものではありません。
ただ、京都サポートハウスは全国のハウスからみれば、いくつか特異な点があります。
先ずは、滞在条件を満たしていれば、原則いつまででも利用できる。(期間を限定していない)
次に、書籍などをご寄付頂き、販売し、利益を活動費に充て自立している。(特定の団体や個人に依存していない)
最後に、ハウスの利用者さん以外でも、求めに応じて患者さんのサポートをしている(患者さんに寄り添う)
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医療技術の発達で、移殖を含め半世紀前には夢だった医療サービスが受けられるようになりました。
一方、そのサービスは大変時間を要するものです。
例えば脳死による臓器移植の場合はこんな感じです。
実際に移殖を受ける前の段階で一ヶ月(いわゆる順番待ちです)
移植後の経過を診るのに、入院が一ヶ月。
そして、リハビリに一ヶ月を最低要します。
そうなると、ハウスの利用日数も半端ではなくなるし、それに応じて様々な問題が発生します。
衣類の衣替え、長期生活にかかわる雑貨や食料品の確保、趣味娯楽の類まで、
入院当初では考えられなかった課題に向き合わなければならなくなるのが現実です。
問題は付き添いの方ばかりではありません。
私たちが「兄弟児さん」と呼んでいる、人の存在です。
兄弟児さんとは、入院している患者の兄弟のことです。
母親が患者の兄弟にかかりっきりになり、兄弟児さんはかなり精神的に寂しい思いをされるケースがあります。
お父さんはどうしても仕事優先になりますので、そのあたりはその家族にとって大きな試練です。
京都サポートハウスでは、そういうご家族のために、兄弟児さんの遊びに付き合うボランティアさんがいます。
京都大学病院や、京都府立医大病院の傍には、動物園や、鴨川、御所(の公園)などなど、
徒歩圏内に、遊べる場所があります。普段、病院で満足に遊べない兄弟児さんも、ここなら思いっきり遊べますね。
他に、買い物や様々なリクエストにお応えするためのサービスも無償で行っています。
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最後に、私が一番力を入れているのが、入院している患者さんとの対話です。
もちろん、全員がそういうことを望んでいらっしゃるわけではありません。
それにタイミングもありますよね。
でも、私は患者さんに寄り添いたい。
もし、それができないのならば、私は単なる空き部屋を貸している家主的な存在になります。
私はそんなことをしたくて、京都サポートハウスを立ち上げたわけではありません。
(プライバシーの関係があり、詳細はお話できませんが)
夕方、たまに声をかけさせて頂いている患者さんがいらっしゃいます。
夕方は、精神的に少し感傷的になるのでしょうね。私が行くと涙ぐむ方です。
お話の内容は、ありふれた世間話がほとんど。私は、冗談が好きなので、
患者さんを笑わせたり。患者さんや、身の回りの様子を確認して、
どういうサービスがこの方には必要なのか考えたり。
長くても30分程度の繋がりですが、私にとってもとても価値のある時間です。
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人として生まれてきた以上、病とは付き合わないといけないでしょうし、死は必ず訪れます。
だけど、どんな状況であれ生きている以上は、生まれて来て良かったと実感する時が必要です。
そんな時間を私が用意するということは、まずできないでしょうけど、
そっと手を添える程度の温もりならば伝えることができるのではないかと感じています。
これからも、患者さんに寄り添いながら、自分にできることを誠実に続けて行きたいと考えています。
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大きな病院の、真新しい病棟はとても綺麗です。でも、そこは病院です。
美しい照明の向こう側で涙を流している人や、孤独に苛まれている人が多くいらっしゃいます。
私はそういう人のために少しでも役に立ちたい。
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