« 笑うイルカ雲~♪ | Home | 実は、結婚しました♪ »
外来で認知症のおばあちゃんをみました。
“ありがとうね”と“わかるよ”をなんども繰り返していました。
僕の指導医がご家族に、
“惚けちゃってるから手術しても意味がないよ”
と言ったときも、ご家族が撃たれたような顔をしている横で、
“わかるよ”
と繰り返し、繰り返し、つぶやいていました。
息をするのがすこし苦しいような気持ちになりました。
みんな自分だけは惚けないと思って生きている。
でも、たぶん、そんなの無理だ。
長く生きればたいていの人間は惚ける。
あるいは、そんなこと考えない。考えないようにして生きてる。
もちろん、50歳くらいでたとえば癌になって死んでしまったら。
惚けずにすむかもしれないけれど、それはなにか違う気がする。
いつかはなにもわからなくなってしまうのだ。
そして、自分にとって譲れないものだけが残る。
あのおばあちゃんにとっては、“わかるよ”というプライド。
しっかりしていたいという、
しっかりしていたころのおばあちゃんの意地のようなもの。
それは、いいことばかりではない。
医学部の低学年では、介護老人福祉施設(老健)や、
特別養護老人ホーム(特養)で実習をする大学が多い。
僕も2週間ほど、特養で食事や入浴の介助をした。
そこで出会った入居者のあるおじいさんは、
ここにはとてもかけないような卑猥な言葉を大声で叫びながら、
ヘルパーさんや他の実習生のお尻を触った。
もっとひどいことをしようとして、取り押さえられたこともある。
どうしようもない現実に、やるせのない思いがした。
どうしてもお嫁さんが欲しくて欲しくて、
それでも相手が見つからないまま70歳まで生きたところで、
惚けてしまったおじいさんだとあとから聞いた。
いつかなにもわからなくなる。
そのときに、僕に残るのはいったいどんな言葉だろう。
残す言葉は自分で選べない。それが怖い。
ほんとうに、怖い。
誠実な人間ではないので、誠実な人間になりたいと思っています。
だから、残る言葉はひとつでいい。
それが誰かの名前だったとしたら、
それが一番素敵なことだ。
さいごまで、たったひとりの名前を呼べるような人間になりたい。