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地球の舳先から vol.245
イラン編 vol.5
シシカバブの昼食をとり、我々が次に目指したのはマスジェデ・ジャーメ。
金曜日なので入れるかどうかはわからないが、とりあえず行ってみる。
…のだが、はたまたガイドのポールの信念により、庭園へ連れて行かれる。
ユネスコにも登録されているらしいが、入口から覗く噴水は水が完全に枯渇。
それなのに、隣の詳細不明の博物館らしき建物は、屋外の庭に
ティラノサウルスやトリケラトプス的な巨大な像が立ち並び、ティラノサウルスが
水浴びをなさっている屋外プールには透明な水が満たされている…。
「なんなんだ!ここは! なんなんだ!イランってとこは!」
(左:シシカバブ。豚以外は食べてOK。 右:恐竜博物館…?詳細不明…)
あの、もうそこの庭園も隣の恐竜博物館もいいので、マスジェデ・ジャーメへ行って下さい。
とポールに頼むと、「こっちの方がよっぽど美しいのに…」とブツブツ言いながらも行ってくれた。
奇跡的に入ることが出来、水を打ったような静かな空間に圧倒される。
お祈りスペースでは熱心に祈るムスリム…と、その隣で爆睡するオッサン…
太陽の輝く陽気、屋外に広がる絨毯…確かに昼寝にはもってこいだろうが…
爆睡するオッサンをまるで気に留めず隣で祈り続ける人も人である。
再びイマーム広場へ戻ると、ちょうど中学だか高校だかの下校時刻とぶつかった。
ここでわたしは信じられない経験をすることになるのである。
黒装束のチャードル姿の女学生たち。彼女たちはわれわれを認めると、
………。
手に手にデジカメやiPhoneを取りだしてこっちに向かって爆走してきた。
まさに阿鼻叫喚。キャーキャーキャーキャーと何十人に取り囲まれ、
もみくちゃになりながら一緒に写真を撮られ、またキャーキャーと手を振って去っていく。
まるでどこぞのスーパースターになった気分だ。
何が起きたのかわからず、ぽかんと口を開けて彼女たちを見送った後
「なんなんですか!これは!!」とM氏に言うと、
「う~~ん…ハイパーリア充?」という答えが返ってきた。
一旦、ホテルで休憩したわたしたちは、夕方の散歩に川沿いに出かける。
エスファハンの街を流れるザーヤンデ川にはいくつもの石造の橋が架けられている。
33のアーチがある最も有名な「スィー・オ・セ橋」は、サファビー朝の全盛時代、
アッバース1世が400年も前に作ったものである。
ここを渡っていると、うしろからものすごい勢いで民兵だか革命防衛隊だかの制服を着た
兵士が5人ほど追いかけてくる。
「なんだなんだ」と一瞬焦るが、まだ少年にも思える若い兵士たちはわたしたちのところで
急停止し、半長靴のかかとを打ち鳴らして敬礼すると、まだダッシュで去って行った…
もうひとつの豪奢な橋、2階建てのハージュ橋を見学して対岸へ。
ハージュ橋の2階テラスは、王様の宴会場だったそうだ。
ケンタッキーフライドチキンのパクリのような店で買ったチキンを食べ、散歩も終了。
ぐるっとまわってきたスィー・オ・セ橋にふたたび戻ると、美しくライトアップされている。
ホテルへ帰ると、窓から美しい庭園を眺めたのも束の間、まさに泥のように眠った。
ホテルに泊まるのもこの旅では1泊きり。貪るように、睡眠を取る。体力第一。
(左:スィー・オ・セ橋の夜景。 右:ホテルの部屋から見た庭園。)
翌朝。すこし早めに起きて、散歩する。
宿泊したHotel Abbasiもこの一角にある、シャヒード・ラジャーイー公園。
明らかに子供向けとしか見えない遊戯物で、おじさん達が日の光を浴びて
無料のジムよろしくぶらさがり運動なぞをしていて、わたしは笑いをこらえるのに必死。
サファヴィー朝後期の1969年に建てられたハシュト・ベヘシュト宮殿は噴水と薔薇に囲まれ、
木陰に座り込んだ警備の革命防衛隊員らしき人が空をあおいで大あくび。
…今日も、平和だ。
前日は金曜日(休息日)で見学ができなかったエマーム広場のモスクへ。
深く引きずりこまれそうに美しいブルー・タイル。相変わらず観光客が少ないのは
写真を撮るには好都合だが、どうしても複雑な心境になる。
ちょうど、ガイドであるポールの奥さん(奥さんもガイド)が同時期に案内をしており
手短にあいさつを交わし、わたしたちはエスファハンをあとにした。
つづく