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世の中には
動いていいことと
動かなくていいこと
どっちもいえないこと
いろいろですが
私的には、動けることとして
曲独楽の関係のことがあります。
それは、結構多岐に渡っていて、
現象からとらえれば地球の自転がコマと同一である以上、
全現象に渡るので、どこかでストップをかけるのは、
それを考える側の人の決断によります。
私はある程度、勉強にもなるので広くアンテナを張るのが好きですが、
「独楽の会」
という、団体に一時期客分で所属したことがあります。
ここでは、独楽のことが好きであれば参加可能という、アバウトな会則でもって、
何ヶ月に一回か、話し合いをする、というか、
自分の知識を自慢しあう、健康的な会です。
今でも後輩のU氏によれば、活動しているとの事。
でも、独楽というと、先に申し上げたとおり
いろいろなことが関係してまいりますので、
その会の内容というのは、解釈によってはいろいろの議題があがり、
愛好家の集まりだから、その場で意見の表明はされるけれど、
一切の検証とか、そういう縛りみたいな事無く、自由奔放に開かれていました。
アナログの良い所は、そういうぼわっとした動きに対応がいくらでも可能なことです。
内容を記録している人が、当時はいなかったので、
(今でもかな)ネット上をいくら検索しても、出て来ません。
ググって出て来るのは、老人ホーム、日本画、映像製作、おもちゃ販売だけです。
私も、自分の師匠の紋也に連れられて伺いましたから、
主体的な意見主張もなく、お話になる人が居なくなるまで、
じっと座って時間が流れるのを待っていただけの参加風景でしたが、
その内容というのも、本当に専門的な海外からの物理の論文の披露であったり、
ある日は、ウィスキーの樽をイギリスから輸入して、その独楽の動きの現象を
立証しようとする方もいらっしゃいました。
独楽、とひとこと聞くたびに、当時の私はちょっと、
ビクッとした事を思い出します。
あまりにも広い興味の対象と、解明されていない現象が多いこと、
しかも、その話をすると、今では全く関係ない仕事をしている方々さえも、
目を輝かせて、そういう場所に参加してみたい、と聞くこともあります。
秋葉原の某電器店会長、この方は独楽を作る方もお好きで、
ロクロを作るモーターを、壊れた洗濯機から調達してくださった、
隠れた木地玩具復興の貢献者の1人でもあります。
曲独楽製作者のI先生の追っかけでしたし、
電気関連のエキスパートで、時々電器仕掛けの独楽の曲芸を考えてくれました。
熊本のちょんかけ名人の巨人軍・川上哲治元監督、
(ベースボール・マガジン社顧問・田村大五氏の記事から引用です。)
現役監督時代に家族会で、選手の子供達に
ちょんかけ独楽を披露していたそうです。
いろんな独楽とのかかわり方があるものですが、
早稲田大学の「火の玉」の現象を科学的に解明した大槻教授と、
NHKのハイビジョン特番「この素晴らしきモノたち~独楽」で御一緒したとき、
またまたそういう体験を致しました。
大槻教授は、独楽の収集もされているとのこと、初めて知りました。
テレビ対談で拝見した熱っぽい情熱家の大槻先生じゃなくて、
そこには、フワフワ浮かぶ独楽を、
一生懸命撮影時間内に成功させようとする、
ただ遊ぶ独楽好きの人でした。
その独楽との係わりについて、広く広く探っていくと、
私が今住んでいる愛媛県にある、
ちょんがけ独楽と、
先にとりあげた熊本県の
ちょんかけ独楽の類似性が面白いです。
回し方の基本が同じなのですが、
独楽の大きさや、考え方が違います。
これは、どういうことなのでしょうか。
研究したい方、興味がある方、一緒に探求しませんかね~。
どうやら、豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に、加藤清正が作陶職人を連れ帰ったのと
同時に入ってきたと伝えられている。
その加藤清正と、伊予の愛媛県、関連があるのは、
その同時代の築城名人である、藤堂高虎。
大洲の城は、最近新しくすべて木造で建築されましたが、
歴史を考えてみると、その秀吉、清正、高虎の三人の関係と、
今残る、伊予のちょん掛け独楽、肥後ちょんかけ独楽、そして名古屋城の襖絵に
書かれている曲独楽師の演じる、
私が持っているちょっと小さめの曲独楽の
風車という芸。
どうやら見事につながってくるではないかいな。
亭主の恩師、伊予ちょん掛け独楽の名手、T先生が、大洲は城下町だから、
武家の子供の遊びとして残ってきたのかもしれないという説をうかがっている。
それには、多少異論があることも事実。
私の恩人Uさんは、内子町の隣の山あいの出身だから、武家とは関係ないけど、
数十年、東京に働きに来ている間中、たった独りの 伊予ちょん掛け保存会を
立ち上げて、活動してきたが、
どちらかというと、T先生が武家流派だとすると、Uさんは、山派というところか。
さて、私の住む内子町は、どちらだろうか。
愛媛県生まれ・育ちの亭主、元山師の50代が、5歳上の近所のお兄ちゃんが、
学校へ行く道すがら、ちょんがけをしながら登校していたと、話しています。
それが、恐らく、愛媛県での最年少世代じゃないかしら、と私は思います。
亭主の世代から若くなると、独楽遊びは「お正月」の歌と同じ運命です。
私的な表現で言うと、
「お正月」の歌の、作詩者の意図していない影響、
正月限定遊びとして日本中のコマ遊びを低迷させた、この歌詞。
お正月には 凧揚げて コマを回して遊びましょう
江戸という都市で発展をした曲独楽というコマの芸能の発祥は、
1705年に、投げて手の中に帰って来るコマの動きを発見した
博多出身のコマの曲芸師が売る
曲独楽が流行、第一期の流行期。
後を追って次々と観衆の集まる場所に 芸自慢が腕を競い
名前を名乗って舞台演出を考えた公演をする曲独楽師登場とは、
第二期の流行期。
その曲独楽を狭い道で投げ合ってけが人が出たから
取り締まり対象になり 禁止令がでたとか
または 遊興を厳しく規制した当時の見せしめとして
槍玉に上ったのかもしれず、はたまた、
当時のハイソサィエティな若者が、男色若衆大流行だったこととも、関係あり、
いずれにしても、このような私達にとって、学校じゃおせ~ない、
貴重な町ネタというのは、
明治ころの学者先生たちが絶対話して聞かせていない民衆の生きる姿です。
今回も、曲独楽などの歴史掘り起こしをしている研究家の方に、感謝。
でもって、調べがたいして完成しても無いのに、私としても指摘したくないけれど、
どうしても「子供向け情報サイト」という姿で、コマの種類を大きく分けて二種類とし、
巳也談(大きく分けすぎ)
デアボロと、投げこま
と書いたサイトに、訂正のお願いを出しました。
顛末は、また次回にでも。