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更新が不規則になってしまい申し訳ありません。お久しぶりです。なおです。
□「都市伝説」??
『源氏物語』は、日本の古典文学の「最高傑作」、あるいは「世界でも評価の高い」長編文学作品ということになっています。
それ故に、皆さんの関心も並々ならぬものがあるようで、テレビなどのメディアで話題になることも少なくないのですが、中には(というより、率直に申し上げれば、しばしば)「ん??」と首をかしげざるをえないような、説明や解釈に出くわします。
古典文学に限らず、どの分野でもあることでしょうが、テレビや新聞の紙面など、限られた時間と場所で分かりやすく説明するためには、どうしたって説明を単純化せざるをえないという事情があるのだろうと思います。
加えて、衆目を集めるためには、より人の注意を引く論、極端な論、が好まれるということもあるのでしょう。
(それから、まあ、メディア側の方の理解がいまいちだったり、取材を受けた専門家が・・・だったり・・・もっとも、専門家の善し悪しは、評価する側の研究上の立ち位置によってものすごく変わってしまうので、そう単純に決められるものでもないのですが)
また、専門家ではない人が「『源氏物語』なんて所詮はポルノだから」などと言っておられるのも、よく耳にします。「ポルノを規制するのなら、『源氏物語』も発禁にしろ!」などという主張もちらほら。
そこで何回かに渡って、巷にあふれる『源氏物語』に関する言説、『源氏物語』の「都市伝説」を取りあげ、検証してみたいと思います。
お上品な方は、面食らうかも・・・
『源氏物語』の優雅な世界に心ひかれて、このコラムを見てくださっている方、もしいらっしゃいましたら、今回からしばらく、なおのエントリはご遠慮下さい。
そして、Junk Stage的には、どのあたりまで大丈夫なのでしょうか・・・まあ、いざとなったら桃生さまにご相談して、表現を穏やかなものに変更することにいたしましょう。
と予防線を張ったところで、思い切って行きたいと思います!!
□ 光源氏はマザコン?
「光源氏はマザコンでロリコンで女ったらしの変態である」
というのは、よく聞く『源氏物語』の「都市伝説」です。まずは「光源氏マザコン説」の検証から始めたいと思います。
「光源氏マザコン説」がしばしば取りざたされるのは、彼が、藤壺の宮という女性に恋いこがれるあまり、ついに男女の関係を結んでしまったことによるものと思われます。
この藤壺という女性、先回のコラムでも触れましたが、光源氏の父である桐壺帝の奥さん、つまり光源氏からすると「義理の母」にあたる人なんですね。この二人の間には、子どもまで誕生し、なんと後に冷泉帝として即位します。
義理の母への行き過ぎた思慕が、ついに肉体関係になってしまった、これぞマザコンの極み!という訳です。
でも・・・ちょっとおかしくありませんか?
世間一般でいう「マザコン」は通常、実母もしくは養母を対象として想定していますよね。
お母さんのご飯を食べるために、飲み会は一切参加しないとか、彼女とのデートにお母さんも同席とか、すごいのだと、お見合い結婚したハネムーン先の行く先々で、「これをお母さんに」とお土産を買いまくり、めでたく(??)成田離婚と相成った・・・・・・など、嘘だか本当だか、という話を聞いたこともあります。
これに対して、光源氏の恋の相手、藤壺は光源氏の育ての親ではありません。
このあたりの事情をちょっと詳しく見ていきましょう。
光源氏の実母、桐壺更衣は光源氏が数え年で3歳の歳の夏に亡くなります。今の年齢でいうと、2歳ぐらいでしょうか。母更衣が亡くなっても「何ごとかあらむとも思したらず、さぶらふ人々の泣きまどひ、上も御涙の隙なく流れおはしますを、あやしと見たてまつりたまへるを。」(一体何があったのかもおわかりにならず、お仕えする人々が泣き惑い、帝もとめどなく涙を流していらっしゃるのを、不思議そうに眺めていらっしゃった)と、母の死を理解していない様子。
つまり、光源氏には、実母の記憶はほとんどないのですね。一般的な「ママ大好き」な男性たちのように、「マザコン」になろうにも、実母がどのような女性であったかを、確かめるすべはないのです。
そんな光源氏が成長し、少年になった頃、父帝に入内(じゅだい・天皇の奥さんになること)したのが、藤壺の宮でした。
この藤壺の宮は、帝(もちろん桐壺帝とは別の帝です)の娘という、大変身分の高い女性です。そして何より、桐壺帝が長年忘れることが出来なかった桐壺更衣に生き写しの女性だったのです。帝は、すぐにこの若い奥さんに夢中になりました。そして、光源氏もまた、「母御息所も、影だにおぼえたまはぬを、「いとよう似たまへり」と典侍の聞こえけるを、若き御心地にいとあはれと思ひきこえたまひて、常に参らまほしく、なづさひ見たてまつらばやとおぼえたまふ。」(実母である御息所(=桐壺更衣)のことは、面影すらも覚えていらっしゃらないのだけれども、「とてもよく似ていらっしゃいますよ」と典侍(ないしのすけ・宮中の女官の№2の地位にある人)が申し上げるのを、幼いお心にもとても懐かしく感じられて、いつもお側に参っていたい、むつましく近くでお姿を拝していたい、とお思いになる)と、母に良く似たと言われる藤壺を「いとあはれ」と思い、側にいたいという気持ちを強く持ちます。
父帝も、藤壺に「若宮(=光源氏)と仲良くしてやってください。あなたは亡くなったこの若宮の母によく似ていらっしゃるのですよ。お二人並んでいると、まるで母子のようですよ」などと言い、光源氏と藤壺を仲良くさせようとします。普通は夫以外が入ることが許されない御簾の内に、光源氏も一緒に連れて入り、対面を許しています。まさか、息子の義理の母への親しみが、恋へと変ずるなどと、夢にも思わず・・・・・・
藤壺の入内から間もなく、光源氏は12歳になり元服します。元服の夜に、葵の上という左大臣家の娘と結婚もします。大人になった光源氏は、もう以前のように藤壺のいる御簾の中に入ることは出来ません。
「御遊びのをりをり、琴笛の音に聞こえ通ひ、ほのかなる御声を慰めにて」(宮中で管弦の遊びがある折々に、共に演奏する琴と笛の音に互いの心を通わせ、御簾の奥からほのかに聞こえる藤壺のお声を慰めにして・・・)とあります。
この、「琴笛の音に聞こえ通ひ」の部分を、共に楽器を演奏する時、お互いの心が通っているのだ、決して光源氏の一方的な思慕ではなく、藤壺の宮もまた光源氏の思いに答えて琴を掻き鳴らしているのだ、という読み方があり、誠に卓見だろうと思います(鈴木日出男さんという偉い先生の説です)。
光源氏のみならず、藤壺もまた光源氏への思いを抱えていた。何故か。
物語は、このことをあまり踏み込んで書くことはしません。ですから、私もあまり深読みはしたくないのですが、二人の年齢はヒントになるかな、と思います。
色々計算してみますと、藤壺の宮は、光源氏の5歳年上ということになっているようです。
方や、藤壺の夫桐壺帝は、既に光源氏や、その兄である後の朱雀帝など十代の息子がいる年齢。具体的に明らかにはされていませんが、藤壺よりはだいぶ年長だったと思われます。この時代、もちろん年の差夫婦は珍しくないのですが、藤壺が年の近い光源氏により親しみを感じたとしても不思議ではなかったのかな、と思います。(妻よりもかなり年長の夫と、若い妻、そして妻と通じる同年代の男、という構図は若菜巻でも繰り返されます)
何が言いたいかと言いますと、藤壺と光源氏は義理の母子という設定ではあるのですが、藤壺が光源氏の父帝の妻であることを除けば、恋愛関係に発展してもおかしくない要素があるということです。義母と言っても、5歳年長なだけですし、育ててもらった訳でもない。もちろん、藤壺が父の妻であったことは大問題なのですが、そのことに目をつぶれば、5歳年上の若くて美しく、身分が高く、さらに深い教養を身につけている完璧な女性である藤壺に、光源氏が恋をしないほうが不自然ではないでしょうか。もちろん藤壺は、桐壺更衣にうり二つの容姿であったとされていて、それ故に光源氏は藤壺を慕うのですが、だからといって、光源氏にとって、藤壺が母も同然であり、光源氏は言ってみれば母と関係をもったのだ、と言うのは乱暴なのではないかと思います。
二人の関係を、世間一般の「マザコン」と一緒くたにしてしまうことに、ましてや近親相姦に準じるものとすることに、私が強い抵抗を覚えるゆえんです。
但し、光源氏の藤壺への恋が、おぼろげな記憶すらない母への思慕から始まっていること、母と似ているといわれたからこそ、光源氏が藤壺に強い愛着を覚えたことには、やはり注意しなければならないだろうと思います。
母を恋い慕う気持ちが、光源氏の最初の恋のきっかけとなっていること、そしてそれ以後も藤壺への思いが、紫の上、女三の宮という新たな女性をたぐり寄せていることを思うと、少年時代の実母への思慕こそが、光源氏の恋愛の基盤だったとも言えるのです。
光源氏の藤壺への恋慕は、記憶にすら残っていない母を強く追い求める気持ちがきっかけになっている点においては、「マザコン」的とも言いうるかもしれません。
また、光源氏と藤壺のストーリーは、古今東西にみられる「エディプス王の話型」(父親を殺害し、母親と結婚するというギリシャ神話の登場人物による)のずらし、と見ることも可能なのかな、と思います。(光源氏は、父帝を殺しませんし、結ばれた相手も血の繋がらない母ではありますが。)
このエディプス王の話をもとにフロイトが唱えたのが、「エディプスコンプレックス」、すべての男性が女親に性的願望を持つ時期がある、という概念だと言われています。そして、巷で言われる「マザコン」という言葉はどこが出所なのかよく分かりませんが、フロイトのこの概念と全く無関係ではないでしょう。そう考えてくると、光源氏が広い意味での「マザコン」を象徴するような存在であることは、否定できないだろうな、とも思うわけです。
・・・という訳で、「光源氏はマザコン」という「都市伝説」は、正しいとも正しくないとも言えます。そもそも「マザコン」の定義もあいまいですし。この「都市伝説」に遭遇すると、私なおは、ぱくぱくと口を動かしたまま、何も言えなくなってしまうことが多いのです。悩ましいことです。
読者の皆さまには、一般的に言われる「マザコン」とは、ちょっと違うのだな、と認識していただければ幸いです。
次の更新では、懲りずに(編集サイドからストップがかからなければ)「ロリコン説」を検証してみたいと思います。
それでは、次回は諒が担当いたします。お楽しみに!