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昨日は札幌ドームの日ハム対ソフトバンンク戦のプロ野球を観戦に行きましたが、いやぁ、杉内投手に完璧にやられました。
前日のダルビッシュのお返しをされました。
2塁にさえ行くことができず、観衆は単打でワーット盛り上がったきりでした。
やはり、ソフトバンク戦は燃えますねぇ・・・・・
さて、
久坂部 羊氏の「廃用身」とい小説を購入して、半年位読まないでほかっていたのですが、急に読み始めたのですが、内容的には結構衝撃的でした。
小説中の医師は老人向けディケアーセンター併設の病院を経営しており、日々の診療の中で、過酷な介護活動を見てきた。
ある、脳梗塞の男性患者が寝たきりになったことから、褥傷が酷くなり、家族の虐待により池に落とされたことを契機に、一方の足が壊疽を起こしたことから、足を切り落とすことを検討した。
主人公の医師は、これより前にパラリンピックをみて、「廃用身」になった足を切断することで、何らかのいい効果が患者に現れるのではないかという、確信をもっていたところに、壊疽を起こしたので、家族に切断を薦めたのです。それは膝から下というより、足を目元から切断しようというものです。
壊疽と言う命に関わる病気から守るために切断したのですが、切断により体重が軽くなり、介護が楽になり、しかも切断した側の褥傷が改善したことにより、残りの足と麻痺のある腕も切断することになったところから、事態は発展していきます。
両足と方腕を切断された姿は異様でしたが、切断後に患者はみるみる生き生きとして、のこった、足のわずかな断端と残った腕を活用して車椅子なしで移動もできるようになり、
この「廃用身」の切断を希望する患者が増えていくと言う内容です・・・・
「廃用身」とは脳梗塞,脳血栓などで麻痺した四肢で、麻痺が回復する見込みのないものを言うそうですが、耳慣れない言葉でありますが、リハビリの現場では使われているのでしょうか?
廃用身は有害無益の四肢であり、麻痺しているだけでなく痛みを伴う事もあり本人にとって心身両面の苦痛であるという理由で切断(Aケアと名づけています)するのですが、
Aケアすることで、廃用身に行っていた血液や神経が「残存した」手足や体に再配分される分、体の機能が回復したり増したりすると小説の中では解説されています。
前半の主人公漆原医師の「小説」部分が終わり、その後その小説の「編集者の解説」という小説があるという特異な構成になっています。つまり、本の中にまた本があるような感じで、小説が実話のように描かれるという変わった編集がされています。
もちろん、必要もないのに、「廃用身」という理由だけで手足が切断されることはありえないのでしょうが、「実際、どうなるのか?」という不埒な興味が生じたのも事実です。
事実五体不満足を書いた乙武 洋匡氏は結婚されて子供まで設け、ライターとして教師として普通の人よりアグレッシブに生きておられる。彼の場合は先天性のものなので、何とも言えませんが、あっても動かない腕や足をなくしたら人間はどうかわるのかと考えさせられます。
確かに、体がコンパクトになり動かしやすくなるし、本人も動きやすくなるようには思います。
でも、生理的にやってはいけないことという気持ちがやはり強い。
なかなか、受け入れられないですね。
とても、これが実際の「治療」として普及することはないでしょう。
しかし、アニマルセラピー活動を通じて、介護施設にも訪問するなかで小説に書かれているような現実も知りませんでしたので、そのような介護の厳しい現実の一端を知ることになったのは収穫であったとい思います。
久々に、「衝撃的」小説を読んだ気がします。