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2016/05/16

地球の舳先から vol.365
東北2016春 編 vol.1

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「東京から、乗換1回」
そう言った人がいた。

夜のうちに、移動をする。
駅での時間調整によく使っていた、ヤクルトをくれる食堂は、もうない。
瓶ビールは大瓶しか置いていない、さんまラーメンのおいしかった食堂。
朝に納豆定食で酔いを覚ましたあの食堂…
代わりに、駅前にはピカピカの災害公営住宅が建っていた。

震災で、1万5000棟以上が被災したという気仙沼。
5年が経った今も90箇所以上の仮設住宅が、公園や学校の校庭など
あらゆるところに点在する。
5年も生活していたら、もはや「仮設」という言葉も
あてはまらない気がするが、
震災による地盤沈下と将来の津波に備えてかさ上げの盛土が続いており
整備は2020年まで続くという。
(むしろ、2020年に本当に終わるのかのほうが疑わしい)

“東京オリンピック”その単語を聞くたびに、わたしが何かしら
空虚なものを感じるのは、このためである。
そしてこの「20年五輪」は、被災した地域にも新たな問題を生んでいる。
建設需要の急上昇における需給バランスの崩れだけではなく、
完全復興を世界にアピールしたい政府、追随する行政の、事を急いだやり方が
各地で問題化し始めているのもまた、今ここにある事実のようだった。

とんでもなく大規模な集合住宅が、次々に完成していた。
仮設住宅からの定住を視野に入れているが、事はそう単純でもないという。
「仮設から出たくないという人たちがいる」
そう聞いたとき、わたしは率直に驚いた。
しかしわたしもまた、ぴかぴかの公営住宅が復興のシンボルであると、
イメージに踊らされている一人でもあった。

個別の具体的な問題については、一面的な問題ではないし
第一わたしは外の人間なのでここで一方的に誰かを批判することはない。
ただ、わたしは今回、はじめて気仙沼の仮設住宅を訪れた。
そうそう簡単に足を踏み入れるべきではないと思っていたし、
家やそのほかにいろいろなものを失った方の悲しみや感情については
経験していない人間には、永遠に想像もつかないことだった。

しかし、そこにあるコミュニティは非常にあたたかなものだった。
3世代、いやそれ以上がともに暮らしている。
子育ても、地域でしている。
東京の、仕事をしながら子育てをして、無理な完璧を自分に求め
壊れていく孤独な母親、がもはや当たり前の光景になりつつある
ような姿は、ここにはない。
高齢者の方もとても多いが、そこに(通いのプロは場所によってはいるが)
「顧客と介護職員」のような関係性はない。
今後高齢化に比例したスピードで福祉が整備されるとも思えない今、
地域、いやコミュニティで助け合いともに生活している仮設住宅には
もちろんそこに大きな援助の手が入っているとはいえ、
学びや気づきが大変に多いはずだった。

一方で、単身世帯の多い仮設住宅では、締め切られたカーテンの外からも
部屋の中に不規則に荷物がうず高く積み重ねられているところもあり
中の人の生活状況や状態が心配になることもあった。
2020年までに仮設住宅を撤廃したい政府の意向で移住を急がれたり、
復興バブルで土地の価格が急騰し買い戻せないといった問題も発生している。

単純な問題ではないし、だから今回のこの投稿に結論もオチもない。
しかし、「3.11」は昔のことではないのだ。
こうして、今も。
たぶん、東京にオリンピックがやってくる頃になっても。

2016/05/16 12:00 | yuu | No Comments