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長い長い春休みが終わった。
大震災後の計画停電等の影響を受け、授業開始が延期されていたのだが、
GW明けに、ようやく再開される運びとなった。
で、大学再開で慌てふためく。
そういえば、3月、あの地震が起きた、まさにあのとき、
自分は、バングラデシュに居た。
(そのあたりの経緯は、過去の本コラム参照)
で、バングラデシュで何をしていたのかというと、
日本の一大事を傍目に、呑気に観光を…していたのも事実だが、
一応、大義名分としては、JICAが推進する、
「ICTを活用したBOP層農民所得向上プロジェクト」
なるモノを見学しに行く、ということだった。
で、その見学した結果をまとめ…
なければならないのを、すっかりしっかり放置していたわけだ。
もうかれこれ2ヵ月余りが過ぎてしまったが、
なんとか思い出しながらレポートしてみることにしよう。
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バングラデシュの首都、ダッカ。
本来あるべきサイズの何倍もの人口を呑み込んだこの街では、
至るところでクラクションと怒号が響き、
異様な喧噪と熱気に満ち満ちていた。
そんなダッカの中では珍しく閑静な住宅街の一室に、
目指す、プロジェクトのオフィスがあった。
まずは、JICAのコーディネーター(日本人)から説明を聞く。
話によると、まだプロジェクトが立ち上がって半年と日が浅く、
現時点では準備がようやくメドが立ってきた、という段階らしい。
というわけで、プロジェクトサイト(実際の農地)には足を運ばず、
「ひとつ、プロジェクトの会議に出てみませんか?」
という提案を受けた。
有難い申し出と、即、快諾してしまったのだが、結果として、
何故か、6人のバングラデシュ人と卓を囲んで会議をすることに…
もちろん、話されている言葉は、現地の言葉(ベンガル語)。
かろうじて資料だけは英語で配られたので、
パワーポイントと資料とを食い入るように見つめること1時間半。
自分も相当、狐につままれたような心境だったが、
同席のバングラ人たちは、おそらく、より一層、
「あのジャパニーズはなんだったんだ?」状態に陥ったことだろう。
何はともあれ、
その後、改めてプロジェクトマネージャー(バングラ人)から、
プロジェクトのあらましについてじっくり話を聞くことができた。
それによると、要するに、
「農業専門のソーシャルネットワークを構築し、
農民は、各農村に置かれたテレセンター(通信端末)、
または、個人の携帯電話等からアクセスすることができるようにする。
農民の他に、研究者、卸業者も参加し、
農民からの質問に答えたり、実際に作物の取引をすることもできる」
というものを作ろうとしているようだ。
もちろん、まだプロジェクトは軌道にすら乗っていない状況。
現時点では、何らかの評価を下せる状態では無い。
素人考えでは、農民、特に貧困層の人々の間では、
コンピュータリテラシーがまだまだ低く、
こうしたシステムを果たして使いこなせるのか、大いに不安も感じた。
とはいえ、バングラデシュの人々は、案外簡単にICTを習得し、
そんな心配は杞憂に終わるかもしれない。
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さて、ここで日本の農業にも少し触れておこう。
日本の農業(水産業も含む)は、
今回の大震災で、計り知れないダメージを負った。
6月に結論を出すと言われていたTPPについても、
どうやら先送りとなりそうな情勢だ。
既に各所で議論が噴出しているが、
特に、東北地方の農業は、これを機に、
一気に大規模化に舵を切ろうかとか、若返りを図ろうとか、
そんな抜本的な案も飛び出してきているようだ。
個人的には、大規模化にはだいぶ抵抗があるが、
若返りは、必要不可欠であろうと思う。
例えば、
これまで、農業に従事してきたお年寄りの元に、
農業に就きたい若者を就労させる、
いわゆる、徒弟制度のようなモノを制度化してもいいかもしれない。
あくまでもフラッシュアイデアでしかないが、
もしかしたら、バングラデシュで立ち上がろうとしているシステムは、
これからの日本で、これから農業に従事する若者を主体とした、
有用な農村コミュニティを構築できるかもしれない。
全ては机上の空論でしかないが、
ふと、そんなことを考えてみた。