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こんにちは。中世文学担当のタモンです。
今回は、能「弱法師(よろぼし)」と、能を翻案して書かれた三島由紀夫『近代能楽集』「弱法師」について、書こうと思います。
本題に入る前に、弱法師を素材にしたストーリー群の整理をしようと思います。けっこう、こんがらがっているので、(自分のためにも)説明しておきたいと思いまして。。。
そもそも、弱法師(よろぼし)、という名前はインパクトがあります。
どうやら、元来は足の不自由な乞食という意味のようです。ただし、弱法師は目が不自由な場合が多いです。
前近代では差別される側である男が「救い」を得る、というのがストーリーの要のひとつ。
もう一つが、弱法師(素材によっては別名)と義母との恋。
なんでそれが結びつくの!?という素朴な疑問が浮かびます。
その疑問を解決するために、おおまかにストーリーパターンを追っていこうと思います。
能「弱法師」の元々の話型は、インドの説話までさかのぼることができます。
『法苑珠林』巻九十一や、『大唐西域記』巻三におさめられている「クナラ太子説話」が、能「弱法師」の原拠にあたります。
クナラ太子は、おおまかに言うと、
クナラ太子は目を抉られて王国を追放された。後に無実が判明した時,人々が経を聞いて流す涙を集めて太子の眼を浸し,眼窩に入れると太子の視力は回復した。
というお話です。
このお話が日本に輸入され、和訳版クナラ太子説話が流布します。
和訳版クナラ太子説話は、日本版クナラ太子説話へと変化します。それが、平安時代から鎌倉時代にかけて、『今昔物語集』巻四第四話、『宝物集』、『三国伝記』などの多くの説話集に収められました。
鎌倉時代になると、クナラ太子説話のストーリーに変化がおきます。
主人公の名が「しんとく丸」となるのです。さらに時代がくだると「俊徳丸」とも称されます。
ここで、説経節「しんとく丸」が生まれます。
説経節とは、説経、説経浄瑠璃、説教ともいう芸能です。もともとは、京都の三十三間堂・北野天満宮など、その他人の多く集まる所で演ずる街頭芸人が、物語を語るものでした。ござを敷き、長柄の唐笠を肩に寄せてかざし、両手でささらを擦りながら語るので、ささら乞食ともいわれました(『ロドリゲス大文典』『国史大辞典』)。
説教節「しんとく丸」のあらすじ
河内国(現大阪府)高安の長者夫婦が清水観音に祈願して生まれたしんとく丸。しんとく丸は四天王寺で稚児の舞を舞った時、和泉の国近木(こぎ)の庄陰山長者の乙(おと)姫を見、恋文を交換する。生母が急死した後、継母の激しい呪いで、癩病(らいびょう)にかかり、両眼がつぶれ、四天王寺南門に捨てられる。弱法師と呼ばれて乞食をしているうちに、乙姫の屋形で辱しめられ、四天王寺に逃げ帰る。乙姫は親の反対を押し切ってしんとく丸を追い、長い放浪の末ついに発見。ともに清水寺にもうでて、観音のご利生により、病は本復する。報恩のため大施行(せぎょう)を行い、落ちぶれて盲目となった父を救い、継母を殺す。(『国史大辞典』)
折口信夫は、「しんとく丸」は「身毒丸」と書くのだとしています。身毒河とは、インダス河をさすからです。
この説話をモチーフにして、寺山修司は「身毒丸」(岸田理生との共同台本)を書きました。
説経には、継母の継子への関係が描かれます。
この関係性を発展させ、近世では浄瑠璃『摂州合邦辻』で、継母と継子の恋物語が描かれます。
浄瑠璃『摂州合邦が辻』
河内国主・高安左衛門には先妻の子・俊徳丸と妾腹の子・次郎丸がいた。次郎丸は壺井平馬と共謀、俊徳丸を殺して家督を奪おうとたくらむ。合邦道心の娘・お辻は左衛門の後妻になり玉手御前とよばれていたが、俊徳に恋をしかけ毒酒を飲ませて病にする。
盲目となった俊徳は家を逃れて許嫁の浅香姫とともに、天王寺の西門にある合邦の庵室にかくまわれる。玉手御前は俊徳を追ってきて執拗に言い寄るので、怒った合邦は娘を刺す。玉手御前は、不倫の恋も毒酒を飲ませたのも、俊徳を次郎丸の手から守るための苦肉の手段だったと本心を明かし、寅の年月日刻そろった誕生の自分の生き血によって難病を治し、満足して死ぬ。(『大日本全書』)
説経のストーリーバージョン「しんとく丸」は、やがて中世では能「弱法師」を生み出します。
「弱法師」のあらすじ
河内国(現大阪府)高安の里に住む通俊は、ある人の中傷がもとで、息子の俊徳丸を追放する。それを後悔した通俊は、我が子の無事を祈るため、天王寺の僧に頼み、七日間の炊き出し(宗教的行為の一環で、施行(せぎょう)と言う)を行うことにした。
彼岸会に集まる群衆のにぎわいのなか、俊徳丸とその妻が現れる。彼は西方にあるという極楽浄土を拝み、難波浦の美しい景色の数々を心眼で「見つめて」いる。しかし盲目である悲しみが高ぶってくると狂乱し、行き交う人々に突き当たって転び伏してしまう。この弱法師こそ俊徳丸と気づいた通俊は、夜も更け人気がなくなった頃、父であると名乗り、俊徳丸とともに高安の里に帰ってゆく。
じつは、このあらすじは現在の能「弱法師」と異なります。
元来は↑のように演じられていたと思いますが、現在では、登場人物が変更され、天王寺の僧と俊徳丸の妻は登場しません。
より、弱法師の孤独や絶望に焦点が当てられています。
心の眼で難波浦の景色を見る弱法師の姿に、ひとつの救いと絶望が見られるのです。
この「弱法師」を翻案したのが三島由紀夫『近代能楽集』です。
『近代能楽集』「弱法師」あらすじ
時は晩夏、家庭裁判所の一室。
東京大空襲の時に、炎で目を焼かれ、光も両親も失った5歳の少年、俊徳。そんな彼を、川島夫妻は引き取り、蝶よ花よと育て上げた。
それから15年後、俊徳の実の両親の高安夫妻が現れ、家庭裁判所で調停委員の桜間級子を挟んで、彼の親権をめぐり、高安夫妻と川島夫妻とで話し合いが持たれていた。
高安夫妻は15年間、俊徳を思わない日はなかったと懇願する高安夫妻に対し、川島夫妻はそれを聞き入れず、話は平行線をたどる。
そこへ級子が俊徳を連れてくる。
俊徳は、人も世界も受け入れない固い殻に閉じこもり、二組の両親を嘲る。
俊徳は級子に言う。「養い親たちはもう奴隷ですよ。生みの親たちは救いがたい莫迦だ。」「みんな僕をどうしようというんだろう。僕には形なんかなにもないのに。」
級子が美しい夕映えに感嘆の声を上げると、俊徳は、炎に目を灼枯れたときに見た「この世のおわりの景色」の幻影に襲われる……。
(引用http://theaterbrava.com/public/modern/story.html)
藤原竜也主演の舞台を観たことがあります。
クライマックスの彼の語りは圧巻でした。
狂気を孕んだ少年を演じることに天下一品の役者だと、心底思いました。
ちょっと長くなったので、次回に回したいと思います。