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2014/04/27
日本にサッカー伝え続けて50余年 ジャーナリスト牛木素吉郎氏 14/03/14 サンパウロ新聞WEB版より
今年で12回連続のW杯取材
1970年のメキシコ大会から始まり、今年のブラジルで12回連続W杯の取材を行うサッカージャーナリストがいる。牛木素吉郎(そきちろう)氏(80、新潟)。同氏はW杯の存在自体がまだ日本に知られていなかった時代からサッカーを日本に伝え続け、その功績から日本サッカー殿堂顕彰者にも選出されている。
牛木氏は東京大学でサッカー部に在籍し、その後入社した東京新聞、読売新聞で37年間スポーツ記者の第一線で活躍。読売新聞退社後の1993~2006年は兵庫大学で教授も務め、また雑誌「サッカーマガジン」では66年の創刊準備号から06年までコラムを執筆。現在でも「牛木素吉郎&ビバ!サッカー研究会」を主宰し、日本サッカーの研究と提言を続けている。W杯期間中は読売新聞に記事を寄稿する。
牛木氏が記者として最初にW杯とかかわったのは58年のスウェーデン大会。「(同国の)大使館が宣伝依頼に資料を持ってきたのがきっかけ」で東京新聞で記事を執筆した。同氏によれば、これが主要新聞で日本初のサッカー記事なのだという。
その後読売新聞へ移り、64年の東京五輪日本代表コーチで「日本サッカーの父」とも呼ばれるデッドマール・クラマー氏と付き合うようになり、世界のサッカー事情に精通するようになる。そのうちに、60~80年代のプロを認めない日本スポーツの「アマチュアリズム」がサッカーの発展を妨げうると考え、68年のサッカーマガジンで、「アマチュアリズムを正とするのを止めよう」、「学校でなく、プロでスポーツしよう」、「W杯を日本で」という三つの提言を行ったという。
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同氏は「当時は相手にされなかったけど、86年に日本体育協会のアマチュア規定が撤廃されて、93年にJリーグができ、02年にW杯も実現した」と振り返り、「先見の明があるでしょ?」と笑った。
牛木氏は2010年のドイツW杯の取材から、「ビバ!ハウス」という企画を行っている。これは大会期間中家を一軒借りきって、サッカー好きの共有宿泊スペースを作るというもので、同氏もそこを本拠地に取材活動をする。
今回のブラジル大会でも計画をしており、大会前半はナタル、後半はサンパウロを予定してはいるが、詳細はまだ未定だという。
同ハウスはビジネスではないため、宿泊者のメディア募集はせず、口コミの広がりだけで人が集まる。そのため、家に辿り着ける人で試合チケットを持っている ことが必然的に条件となる。メリットは大会期間中高騰するホテルの値段を抑えることができ、また皆で行動すれば治安対策にもなることだ。
基本的には誰でも歓迎だそうだが、車の手配や通訳など、主催に頼らずにあくまで個人が責任を持って行動することが求められる。牛木氏も「我々は旅行社やマネージャーではない。あくまで皆が作っていくもの」と説明した。
ブラジルでは、1泊1、2万円を予定。現地でマネジメントを手伝う人も雇いたいという。
最後に記者として、今年のW杯の日本代表の展望を聞いた。牛木氏は「日本が一番弱いと思ってやるべき。目標はベスト16。ブラジルは日系人が多く、日本食も手に入る。選手は気楽にやれるはず」と語った。
2014年3月14日付
2014年3月14日付
2014/04/27 09:00 | wada | No Comments