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2011/05/10


Prologue

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「インターネットの可能性を確信したのは、やっぱり、阪神大震災。」

ようやく訪れる気配を見せ始めた春の光が射し込む電通ビルの高層階で、
わたしの問いかけに“さとなお”こと、佐藤尚之さんはそう答えた。
おそらく何度となく人に聞かれ、自分の中でも思い直してきたのであろうその言葉は
穏やかながら、凛とした断定だった。

奇しくもそれは、3月8日―あの東日本大震災の、3日前のことだった。

あの日のあとに、それまでの世界の事を語るのは、とても困難なことのように思う。
地震、津波、原発、帰宅困難、計画停電、買い占め…
そういった物理的な震災と二次災害のなかにあったのは、誤解を恐れずに言うならば
協力、団結、世界の賞賛、フラストレーション、言葉に塗られた集団躁鬱に近い状態だった。

約2か月が経ったいま、わたしたちはそこかしこで、何かが“壊れた”事を感じている。
それは、日本という国に対してであったり、資本主義や価値観に対するものであったりする。
今に始まった事ではない。しかし、意識の奥底で、本質的な変化があったように思えてならない。

「情報って、権力じゃない?
 そのピラミッドが、崩れてきている。」
そう言った佐藤さんの言葉も、あの日より後には、違った意味に響く。

月をまたぐ頃、電通は佐藤さんの退社を発表した。
電通で、コミュニケーションの片翼に“デジタル”をもったCDとしての
“佐藤尚之”は、地震に始まり、地震に終わったのかもしれない。
もちろん結果論であり因果関係などないが、偶然にも、時代の区切りは重なった。

「電通を辞める」と佐藤さんから聞いたとき、「やっぱり」と「なんでだ」が同時に浮かんだ。
後者の「なんでだ」は多分に、勝手ではあれど非難さえ含んでいた。
誰かが会社や業界を去って行くたび、業界ごと見捨てられた気分になるのはなぜだろう。
「やっぱり」と感じたほうのわたしが思い出したのは、佐藤さん著『明日の広告』の序文だった。

わたしはその本を、勝手に『恋する広告』とタイトルを変えて呼び、今も何度も繰り返し読む。
諳んじることさえできるようになってしまった序文のこの文章を紹介して、
この連載第2回目、佐藤尚之さんのインタビューをはじめたいと思う。

――消費者がどんどん変わっていっているのに、彼らと密にコミュニケーションを取って売って
  いかないといけない我々のやり方が十年一日の如く変わっていないのではヤバすぎる!
     ~
  でも、ちょっと煽りすぎている部分もあったと思う。ネットがテレビを凌駕するとか、
  テレビCMが崩壊するとか、新聞は生き残れるのかとか、マスメディアは死んだとか、
  グーグルが世界を制覇するとか。とかとか。
     ~
  そして表面的な手法やテクノロジーにとらわれて「コミュニケーションの本質」が
  軽視されている空気もちょっと感じるので、そこもなるべく意識して書いた。
  話の出発点は「消費者が根本的に変わった」という事実である。
  ゴールは「すごくエキサイティングで楽しいじだい」というボクの実感だ。

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Scene2;広告人・佐藤尚之氏の場合
関西式コミュニケーションと、クリエイティブへの疑問(5月17日公開)

2011/05/10 08:00 | vol.2 佐藤尚之 | No Comments

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