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2015/06/19


広告人・佐藤達郎氏の場合

デジタル時代の到来で生まれた、新たな使命。

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佐藤さんは、クリエイティブ計画局の局長になっていた。
広告代理店で局長といえば、その上にはもはや取締役くらいしかないポジション。
「局長になる前は、カード会社の仕事とかしていて、現場が楽しくて…
局長はな…と思っていた。でも、200人いるクリエイティブ部門の
マネジメントにも、それなりに興味はあった。」
与えられた任務は、長沼新社長率いる新しいADK社の「ビジョン検討委員会」。
「ADKらしさを作る」―いわば組織のブランドデザインだった。

一方、時は2000年代初頭。確実にデジタルの大きな波が来ていた。
博報堂のメディア事業部門に特化した「博報堂DYMP(メディアパートナーズ)」社から、佐藤さんに声がかかったのはそんなタイミングの2008年だった。
今まで通りに電波や雑誌のスペースを売る媒体買付だけではもはや広告会社は生き残れない――クリエイティブ部分を強化したいという、はっきりとした強い意向があった。
メディアとの関係性が先にあり、それを生かして広告企画を行う従来の広告会社のやり方は、クリエイティブの企画を売ることで媒体を買ってもらえるという欧米のメディア企業とは真逆。
長年組織のデザインに関わってきた佐藤さんは、その非常にクリアーな方向性に惹かれた。

長年のクリエイティブ分野を、手を動かす立場としては退くことになる。
しかし、ほとんど迷いなく決断できたのは、やはり部下の存在あってこそだったと言う。
「優秀な部下が多すぎて、もう、別に自分はいなくてもいいかな? って。
だいたい、“コイツは凄い”と思う人は、年下ですね。」

*     *     *

広告業界に「新たなスター」が生まれ始めたのもこの時代だ。
今まで、広告業界でいえばスターというのは「凄い画を撮る人」や「凄いキャッチコピーを書く人」などだった。
しかしデジタルコミュニケーションが生まれて、領域は無限に広がった。
建築を専攻していたような人がプログラムを書いて見たこともないクリエイティブを作り出したりと、思いもよらない手段で世の中に流行を生んでしまうようなことが起き始めた。

今でこそデジタルは広告業界の花形としてひとつのポジションを得ているものの、
出始めの頃は「Webは物好きがやっている」「低予算だから好きにできる」などと言われ、企画ひとつ取っても見たことが無さ過ぎて社内の理解も得にくかった頃である。

佐藤さんの新たな仕事が生まれた。それは端的に言えば
「なぜ秋葉原でコスプレ動画を撮るとナイキのシューズが売れるのか。
それを62歳の役員に説明すること」。

まさにそのことに邁進した佐藤さんの情熱の源は、どこにあったのだろうか。

「説明しきれないがゆえに、通らなかった」
なんてことが、あってはならない企画があった。
それを作り出す才能ある若手が「理解も評価もされない」
なんてことも、あってはならなかった。
――佐藤さんが汗をかき続けた原点には、そういった思いがあったのではないか、と
私はあくまで想像を巡らせていた。

いま、佐藤さんは 美術大学で、10代からのクリエイターの卵たちに
「自分の作品をどうやってプレゼンテーションするか」を教えている。

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次回予告/Scene4;
広告人・佐藤達郎氏の場合
いま再び、クリエイターとして。
(6月30日公開予定 ※6/25 下線の公開予定日を変更しました。)

2015/06/19 06:34 | vol.9 佐藤達郎 | No Comments

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