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2012/12/12


広告人・山崎浩人氏の場合

テレビ全盛期に、“広告”の立ち位置を考える。

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山崎さんが最初のキャリアをスタートさせたのは、中堅の老舗広告会社。
入社2~3年目にはバブルが訪れ、マス広告の全盛期だったといっても差し支えないだろう。
マスメディアグループでTV、雑誌をはじめとしたマス広告の媒体を担当。
メディアとは何かを勉強する基礎的な期間となったという。

2年目で営業に配属され、社長に向かってみんなの前で「聞いていない」と言い放ったが
「営業だからフロントマンではあったけれど、プロデューサー的な思考を
 2年目から持てたのはとても良い機会だった」と振り返る。
予想外だった異動を経たのち、その会社での後半4年間は、TVCF最盛期。
山崎さんの担当クライアントでも朝の情報番組の提供をしていた。

違和感を感じたのはその頃だったという。
「“何が”というよりも…、本当に、感覚。番組を見ている人の年齢とかが、
 クライアントの商品と合わなくなってきていないか、と思ったんです。
 でもテレビには、効果の出しようがないから、その感覚の根拠も掴みきれなかった。」
このCMは届いているのか?その答えはさっぱりわからない。
違和感はしだいに「そもそもテレビって…」という疑問になり、手ごたえのなさに変わってゆく。

クリエイティブの華やかさよりもマーケティングの世界に憧憬を抱いたが、
広告会社の「マーケティング」は、実態はリサーチ業務だけということもしばしば。
「顧客の声をマーケティングに」―そう謳ったテレマーケティング会社と出会ったのはその頃。
いっこうに見えてこなかった「顧客」。
リサーチではない、事業を下支えしている「マーケティング」という存在―
これだ、と思った山崎さんは転職を決意する。
史上最年少での役職ポストが用意されていたが、出世欲が好奇心に勝つことはなかった。

*     *     *

テレマーケティング会社とはいえ、コールセンターの「仕組み」の部分を
インフラ化し売り物にしていた会社だったため
コールセンターの3大顧客である「通信・金融・通販」の業界の深い部分に触れる事が出来た。

事業会社に移ってすぐに感じたのは、「広告は遅い」という点だった。
広告の業務領域は、プロモーション。
商品を世に出す、言い換えるのであれば産みの最後のプロセスである。
これまで、最後の最後の部分だけを見て、売る方法を考えていたのかと驚愕もした。

時は、CRMの黎明期。
「1 to 1 マーケティング」という言葉が流行り、市場シェアから顧客シェアへと視点が移っていた。
その後、ITの普及があり、データマイニングという概念が出てくるなど、マーケティングの世界も大きく動いていたが、世には「モバイル」という革命が訪れようとしていた。
1999年2月、iモード誕生。2002年6月には、そのドコモの広告スペースを開発・販売する―つまり、モバイルマーケティングという全く新しい領域をマネタイズするべく―
ディーツーコミュニケーションズ社(現・D2C社)が生まれた。

その頃、山崎さんのもとにひとつのオファーが届いた。
「携帯電話のキャリア会社が、ポータルサイト・広告・決済の統合ビジネスをやろうと
 しているから、手伝ってほしい」
「モバイル」という生まれたてのフィールドで、山崎さんがこれまでやってきた「マーケティング」と、時代の寵児である「モバイル」を統合する―
それは、想像するだけで悶絶するほどワクワクする、新しい未来の形だった。

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次回予告/Scene3;
広告人・山崎浩人氏の場合
10年ぶりに帰って来た広告会社の現場で、見たものとは。
(12月26日公開予定)

2012/12/12 06:00 | vol.8 山崎浩人 | No Comments

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