Home > vol.7 吉田透
広告人・吉田透氏の場合
広告界にとって必要な試練。渦中の人間が、信じ、愛せるかどうか。
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「僕は基本的に、広告が嫌いな人間なんです。」
無論、広告全般や広告そのものが、というわけではない。
最後のアウトプットであるクリエイティブは、広告が生まれるプロセスとの映し鏡だ、という。
「広告をつくる人間が、広告主と道筋をちゃんと共有すること。広告が生まれるプロセスが
正しければ、広告主にも受け手側にも受け入れられるものが出来上がる。
何かをすっ飛ばすから、広告が暴力的になって、嫌われるんです。」
吉田さんがこれまでに見たなかで最も美しかったという広告は、とあるビールの広告。
スウェーデンへ行ったとき、街中を昔ながらの馬車が走っていた。
それは、馬車のロゴをあしらった、あるビールの広告だったのだ。
ブランド名を大声で連呼することも、繰り返し商品を見せて強引にアテンションを引くこともしない。
「なんて大人な広告なんでしょう、と、感動しました。」
かつての江戸時代の広告のように、頓知や機転をきかせた町を汚さない広告は
日本人が本来得意とするはずだと吉田さんは言う。
「必要ないものも大いにある。無駄な出費をしなくなるのは健全なこと。
これからは、広告の世界でもエコなものが受け入れられていくはずです。」
* * *
現代では、情報伝播の道筋の変化とともに、表現物に対する受け取られ方も変化している。
昔は、自分の書いたものが活字になったり、TVに出るというのはものすごいことだった。
しかし発信方法が多様化してきた今、広告を見たときに「自分もやりたくなるか」という要素が重要だと考える。
「絵描きに絵を売りますか? という話。
僕だったら、絵描きには画材とインスピレーションを売る。」
たとえば自分の投稿や作品が載った新聞は、きっと見るなり買うなりするだろう。
デジタルかアナログか、ということではなく、インタラクティブ性が鍵を握る、
新しいメディアの使い方にこそ、これからの広告手法の可能性が潜んでいる。
「デジタルを“安いメディア”としか見れないのは、勿体無いじゃないですか。」
一方、メディアが分散している今のカオスな状況の後には、
揺り戻しが起こり、また収斂していくとも予測する。
「相対的に、マスメディアの影響力は今後また大きくなっていくでしょうね。
それは過渡期を経た正しい変革で、作られた構造や政治によるものではない。
自浄作用がはたらいて、極端に振れたあと、正しいところに戻る、そうなるはずです。」
ワイデンからネイキッドへ所属を移した吉田さんだが、
現在、中小企業支援機構のアドバイザーもやっている。
これまで多様な業種の150社ものキャンペーンやブランドコミュニケーションに
関わってきた経験や広告の手法というものが非常に活きているという。
「自分(=企業)は、何者なのか。なぜその商品が買う人を幸せにしてくれるのか。
企業側の話を聞いて、それを言葉にして伝えること。
それが正しくできれば、広告の手法は人の役に立つ。」
“正しい”“あるべき姿”というキーワードを、このインタビューの中で何度も聞いた。
吉田さんは、広告界と広告に関与する人々の性善説を信じている。
だから、この苦境をも、必然にして越えるべき「試練」と受け取っている。
KPIという名のもと、確かに効率重視が行き過ぎている昨今をも
これまできちんとした効果測定もしてこなかったツケを払わされているのだ、という。
「今の、この広告業界が直面している苦境は、
広告業界がキチンとしたエコシステムのなかに入るための試練なんです。」
いま辛くても、未来のために正しい道を——
それは、自称「広告嫌い」の吉田さんには否定されるかもしれないが
広告を、それに関わる人々を、愛しているから、信じているからに他ならないと私は思う。
先人たちが築いた道を、私たちの世代は歩けるだろうか?
信じることが出来るか。愛することが出来るか。
きっとそんな踏み絵をも、この広告界の試練は孕んでいるのだろう。
了
吉田透(よしだ・とおる)
北海道生まれ。1985年博報堂入社、1988年よりマーケティング局勤務。
フリーランスを経て2003年、ワイデン+ケネディ トウキョウにマーケティングプランナーとして参加。
2012年2月より、ネイキッド・コミュニケーションズにエグゼクティブ・クリエイティブ・ストラテジストとして転籍。
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Special Thanks to T.YOSHIDA
広告人・吉田透氏の場合
世界の景色を求めて、ワイデン+ケネディ トウキョウへ。
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時は、広告バブル。ひとつのキャンペーンに、信じられない巨額が動いていた。
競合他社と差をつける要素として、マーケティングや広告に依存する傾向が大きかった時代でもある。
TVCMが圧倒的に強かった当時を吉田さんは「自由競争ではない」と表現し
「政治で仕事が動く、テレビ局と代理店のもたれ合いの構造。」と断する。
クライアントのものづくりの現場に接していた吉田さんは
夜中に過酷な労働をして1円50銭の単位で商品を作っている企業に対し
当時の代理店のやり方、あり方に憤りを覚えることもしばしばだった。
「ちゃらちゃらしたプロデューサーが
撮影現場にものすごいベンツで乗りつけて、営業部長とゴルフの話ばっかり。
滅びてしまえ、と思ったこともあります。」
効果測定など上っ面の言葉だけで、現場も大甘。
「これまで広告代理店は、ノーリスクで人のお金を使ってきたんです。
それで賞を取って、巨匠気取りとか…そんなのって、絶対におかしいでしょう。」
だが吉田さんが呪わなくとも、現実問題としてそんなバブルは長くは続かない。
広告代理店=高給という方程式ももはや神話化し、苦境にあえぐ代理店は今、
“Innovate or die”と変革を迫られているが、それは悪いことではないときっぱり言う。
「テレビ以外にもこれだけ色々なメディアがあって、その中で、効率とは何かを考える。
他の市場では当たり前のことが、ようやく今広告の世界でも正されつつあるだけのこと。」
* * *
吉田さんが博報堂の退社を決意したのは今から約10年前、
9.11アメリカ同時多発テロの直後だった。
世界の構造が変わると確信した事件だったが、翌日の会議室で違和感を覚えた。
テロの件が話題にのぼることもなく、淡々と進む事例発表会。
非常にドメスティックなところにいて、「世界の景色が見えない」と痛感した。
そんな時に知ったのが、世界を代表するクリエイティブエージェンシー、ワイデン+ケネディのジョン C.ジェイ氏。
“JJ”の愛称で慕われる—いや、もはや伝説となっているジェイ氏は、ワイデンのキーパーソンとして、ワイデン+ケネディ トウキョウの設立にも貢献した偉大なクリエイターだ。
“カジュアルの前に、人は平等である”
NYのファッション業界から広告界に転身した彼がユニクロのブランドメッセージとして語ったその言葉が吉田さんを動かした。
ワイデンは主にクリエイターが属する会社だったが、吉田さんは東京支社初のプランナーとして迎えられた。
ときに、感性のクリエイターと理論のマーケターは衝突しがちだが、
売り場視点の吉田さんはすぐにクリエイターとの協働にも馴染んだ。
「博報堂に居た時に好きだったタイプのクリエイターが多かったですよ。
ヒューマニティっていうのかな、人間性への愛情の強さが根底にあるところとか、
アイディアを形にする最後の作りこみに対する粘りとか…
そういうものが結果、クオリティを上げていくんだ、と学びました。」
有り物のメディアに、出来合いの表現を乗せていくだけではない。
ワイデンのクリエイティブにマーケの手法を取り入れ、さらにクオリティを引き上げていく。
吉田さんは、博報堂時代から、PRを効果的に使うマーケターだった。
最初は、薬事法でがんじがらめのため自薦型の広告では何も言えない商材の訴求のために使った他薦型のPR手法だったが、
広告とPRを組み合わせ、手数(てかず)を増やしていく作業は非常にクリエイティブだったと振り返る。
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次回予告/Scene3;
広告人・吉田透氏の場合
広告界にとって必要な試練。渦中の人間が、信じ、愛せるかどうか。
(2月29日公開)
広告人・吉田透氏の場合
メーカーの実直さを肌で知り、売り場視点のマーケターへ。
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SE(システムエンジニア)。
吉田さんの最初のキャリアは、意外な職種だ。
全社のオンライン化をいち早く整備し、イントラネットに取り組んでいた博報堂で、
新卒では最多となる6人もがその部署に配属された。
吉田さんは理系でもなんでもなく、大学の専攻は言語学。
「北海道で、役者をやってたんですよね、僕。」と、振り返る通り
演劇、写真、絵と広く芸術に親しみ、大学に残ろうかとも思っていたという。
世はまさに広告代理店が華の職種ともてはやされた時代。
大学で、古文書の解読研究をしていた吉田さんを、当時の人事は
「言語学ができるなら、プログラミングの言語もわかるだろう」
と、ずいぶんと拡大解釈をしたらしい。
配属され、プログラム言語よりも先におぼえたのは大阪弁。
オンライン化過渡期のそこで2年間。
実務から離れた場所は、逆に社内を見渡すきっかけになった。
やりたいことを見つけよう、と思ったとき、マーケティングに行き着いた。
「マーケの方が、クリエイティブ。クリエイターは、言葉を書くか、絵を描くか、だけに見えていた。」
そのマーケの仕事を吉田さんは“まじめ”と表現する。
当時のクリエイティブが不真面目だとは言わないが、たしかに全盛期の広告代理店では、
お金も規模も「行き過ぎた」クリエイティブは多くあったのだろう。
そんな根幹が形成されていったのは、念願かなってマーケへ異動し、最初のクライアントを持ったときのことだった。
主要なクライアントごとに分けられていたマーケの部署で、
既存の枠組み—無論、既存の“取引先”という意味でも—に収まらない仕事をする
新しい部、「マーケティング5部」が発足した。
出向から戻った名物部長がクセのある人間を集めて立ち上げたその部で、
吉田さんはリサーチの仕事から始めた。
「あと、企画書の清書。当時は、青コピーですからね。」
手探りだったが、その分、若い力への期待もかけられていた。
* * *
マーケターとして、最初に担当したのは製麺会社のシマダヤ。
「正直…、最初のクライアントの仕事で馴染めなかったら、田舎に帰ろうと思っていました。」
ところが、このシマダヤの仕事が、吉田さんの“今”をも支えていく原体験となる。
上司の“指導”で、吉田さんは一日中、製品が並べられているスーパーに立ち、お客さんを観察した。
端からは不審者にも見えそうだが、そこで吉田さんは様々な事に気付き、売り場視点のマーケターとしての視点を得ていく。
製品を手に取る瞬間、きっかけ、お客さんの表情。
「売り場やお客さんへの愛情っていうものを、あそこで覚えていったんでしょうね。」
クライアントにも恵まれた。新人ながらに大事にしてもらったともいう。
広告業はサービス業ではあるが、自らをクライアントの“下請け”と捉えた瞬間に、パートナー関係など築けなくなる。
スーパーに立った吉田さんのお客さんは、シマダヤではなく、シマダヤの製品を買うお客さんたちだった。初期の頃からバランス感覚を得、メーカーというものがどんなに「実直」かも吉田さんは肌で知ることになる。
当然、本業であるところの広告への不安も芽生えた。
本当にこの広告で、モノは売れるのか? かけたお金に見合う効果が得られているのだろうか?
一方で、商品にはスーパーで通りがかるだけでは知り得ない技術も隠されている。
「広告って、人の役に立つこともあれば、全く意味を成さないこともあるんだ」という思いを、強くしていった。
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次回予告/Scene3;
広告人・吉田透氏の場合
世界の景色を求めて、ワイデン+ケネディ トウキョウへ。
(2月22日公開)
Prologue
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博報堂、ワイデン+ケネディを歴任したストラテジック・プランナーであり
この2月から、エグゼクティブ・クリエイティブ・ストラテジストとしてネイキッド・コミュニケーションズ社へ移籍した吉田透さんとお会いしたのは、ちょうどその転籍の境目であった先月半ばのこと。
「ギャンブルとか原子力発電所とかの仕事は、ちょっと難しいかな……。
それは本当に人を不幸にしないのか、自信が持てないんです。」
お会いする数日前に改めて読み返した、誠文堂新光社刊『広告マーケティング力』で綴られた
吉田さんのその言葉に、わたしは思わず裏表紙からページをめくって本の発行日を確認した。
2010年6月30日。当然、原発事故よりも前に行われたインタビューだった。
広告はひとりの消費者に寄り添い、その心にはたらきかけるもの。
とても役立つこともあれば、逆に間違った印象を与えてしまう危険性もある。
「この商品をこういうふうに薦めて、本当にいいのだろうか?」
広告業に従事していると、そう思って立ち止まるといったことは
日常茶飯事ではないにせよ、何度かは経験することである。
そんなとき「NO」といえるかどうかというのは、また別問題でもある。
効率性。利益率。(それに、意外と大きいファクターである、サラリーマンという身分…)
ビジネスである限り数字を追いかけるのは当然のこととしても
人として、置きっ放しにしてはいけないものはある。
と、思ってはいても、経験や年次を経るに反比例して、それを貫くのは難しくもなる。
しかし、吉田さんは自分のなかにある「矜持」を守る。本人は、「まじめにやる」と表現する。
当たり前のことを、当たり前にやること ― コミュニケーションを生業にする者が守るべき砦。
それは、自分のつくる広告によって顧客と消費者との両者がHAPPYになることを目指すからであり、自分が疑念や不安を抱えた状態で広告など作れない、と思うからだ。
——企業人である前に、広告人たれ。
吉田さんの広告人生は、厳しくも清々しい、そんな無言のメッセージに溢れている。
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次回予告/Scene2;
広告人・吉田透氏の場合
メーカーの実直さを肌で知り、売り場視点のマーケターへ。(2月15日公開)