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段ボールを丸めたような筒を、ひらく。
「着払いで送ってください」というわたしの最後の願いは、華麗にスルーされていた。
引っ張り出して、ベッドのうえにひろげる。
ぎりぎりまで大きく引き延ばされた、新聞30段広告(見開き全面)の、プリントコピー。
星の数ほど人がいて、今夜あなたと飲んでいる。
SUNTORY 響
わたしが今までだれかにもらった贈り物のなかで一番すてきで
一生だいじにしよう、とおもったそれにつけた最初の皺は
ざら紙のうえに落ちた自分の涙の一滴だった。
大学生だった。
* * *
その広告をどこかで見たとき、わたしの心には完全に矢が刺さってしまった。
調べ上げて「あの広告をくれないか」とコンタクトを取った先は、
広告制作プロダクションである、たき工房。
サントリーではなくたき工房に連絡をするほどには当時からスレていたわけだが
窓口となってくださったその方は、代理店とサントリー社に許可を得て
そのプリントコピーを郵送してくれたのだった。
可及的すみやかだった。
あのとき刺さった矢がいまだに抜けず
わたしは4社目の広告会社にいる。
* * *
ときはすでに満ちていた。
はじめて席をもらった代理店の1階の本屋にはその頃
織田浩一さんの「テレビCM崩壊」が平積みになって売られていた。
つぎに雇われた制作プロダクションで、行きがかり上
気付いたら、デジタル領域へとゆるやかに身を移していた。
よく読んでいたのは「広告営業力」と「広告コピーってこう書くんだ!」の2冊。
深夜になるとウクレレを弾き始めるディレクターがいた。
そのあと結局代理店に戻り、「クロスコミュニケーション局」におさまった。
上司に恵まれて飼い放され、同世代の優秀なSPや営業に出会い、ようやく物心がつき始める。
ときは、青い会社や赤い会社により「PR対広告」のようなながれができてきたときである。
そして、現在。
腐れ縁のダメな恋人であるところの「広告」を諦めるための、
最後の場所にと選んだハズの場所でわたしは
日ごとに深まる愛に、困惑していた。
広告を、信じはじめていた。
* * *
広告は終わった。マスメディアは崩壊だ。大手代理店は廃業だ。電通は悪の巣窟だ(…)。
センセーショナルに先行する世論はたしかにキャッチーだが、
その一方、この過渡期を、広告を信じ、そのなかでの生きるべき道を見出して
実績を持って伝えてくださる人びとなど、見渡せばいくらもいた。
世論と現実の、アンバランスさ。もしくは毀誉褒貶――だったのかもしれない。
―― 広告を諦めない広告マンたち
わたしたちは、先人がつくった道の上を、あるいていて
そしてわたしをここまで連れてきてくれた人たちがいる。
それは、間接的に、直接的に。
わたしは、「一人前になったら」と未来のことを語り過ぎていたことに気づく。
いましかできないことも、どうやらあるようだった。
だからわたしは、書くことにした。
おそらく、ふつうのひとよりはほんの少しだけ、得意な方法で。
広告論をふりかざそうとは思わないし、そんなものは書けない。
これは、時代のなかで“広告”を再定義し、進化をはかった広告マンたちの、
ヒトと広告の物語である。
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