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地球の舳先から vol.200
番外編
いつもこのページをご覧いただいている皆様、ありがとうございます。
3年と9ヶ月。なんともう今回で200本目の記事だというから、
よく続いたものだと思います。われながら。
1年ほど、暇をいただこうと、思います。
すべてにおいて飽きっぽいわたしが今まで続けてきたことが3つだけ、あります。
それが、広告の仕事と、旅と、踊りでした。
だれが見ているかもわからないのに「書くために旅に出る」といつも思います。
そして、たとえば母親とか、職場のF先輩とかがチェックしている、とおもっても
「関係ないもんねそんなの」という、どこかこの書き手である“ユウさん”を
第三者化して他人として扱わないと、とたんにヒヨる気がしていました。
が、今回というか最初で最後になると思いますが、
この向こう1年間の休載は、そんなセンチメンタルな理由ではありません。
資金がないのです(ぇ
ええ、思えば今年は、フィンランドに始まり、ラオス、ベトナム、台湾、チベット、ブータン、はてはパリに住むなどという暴挙に出ました。
ただ、それが原因かというと、ちがいます。
わたしが「旅」という、自分の趣味、いや、ライフワーク、いや、性癖にちかい
ものによって得たすくない徳は「貯金ができるようになった」ことですから。
わたしはこの秋、とても大きな買い物をしました。
家。家です。
友人たちは唖然とし、職場の方は「諦めが早すぎる」(恐らく婚期に対する)といい
前職の戦友たちは「段ボールですか?」と笑えないツッコミをしてきました。
親には「タンス貯金しているのであろう結婚資金は使用用途がないからそれをクレ」と
言外に申し上げたのですが、華麗にスルーされました。
年金がやばいだろうとか、家賃を払うのがばからしいとか、
そんな合理的な理由はいくらもありますが、根本の理由はほかにあります。
わたしをよく知るひとたちは、わたしのことを「根無し草」だといいます。
否定はしません。
ただ、揚々と育った環境のもとの土にしか根は張らないわけではないのです。
からからに乾いた砂漠の土地にも、花は咲く。
わたしがこのところ、アジアを執拗にまわっていたのには訳があります。
わたしの胃の中にたまった澱のような不安感は、姿をなかなか見せなかった。
それが、夏のカトマンズでようやくわかったのです。
カトマンズで、数百円の宿をいくつも見て、数十円で食事をとったとき
わたしの頭は、無意識に電卓を弾きました。
そして、べつだんの長生きをしさえしなければ、
今すぐに会社をやめたって、今ある蓄えだけで生きて死ねることを知ったのです。
“カトマンズでなら”。
それは新鮮な恐怖でした。
帰国してすぐ、本当に本当に悩んだ挙句、大企業に転職をきめました。
不安定きわまりない業界と身分ですが、わたしは恐怖から逃げるようにして
この地にいなくてはならない理由と、働かなくてはならない理由をつくりました。
知りあいのバックパッカーたちに、定職をもたない人が多いのは事実で
こと、世界に目を広げれば、いまここにじぶんを縛り付けているものなど
実はなにもなくて、どこにでも飛んでいける、とおもいます。
外国へ行くと実際、そういう日本人にもたくさん出会うのです。
それは、自由という名の不自由だと、おもいました。
逆をいえば、不自由のなかにしか自由はなく、
自由であるためにふだんわたしが払っている代償など
不自由のなかのちいさな翼にすぎなかったのです。
「海外をめぐっていると、自分の足場にぞっとする瞬間がある」
とは、わたしの大好きなフォトグラファーの言葉です。
それをわたしは長年、勘違いしていました。
どこにでもふらっと飛んでいってしまう自由さのなせるものなのだと。
しかし、実際は、すくなくともわたしにとっては違いました。
タラップを蹴ればそこはどこでもない空中
その自由さに、きっと、ひとは耐えられません。
その恐ろしさに抵抗するように、物理的なしがらみを欲しました。結果的に、
大好きな東京に根を張ることはまさに心が心音で躍るようなよろこびでしたが、
そんなわけで、お金がなくなりました。
しばらく、といってもたった1年だけ、旅するユウさんを、封印します。
とはいえ、台湾旅行の旅日記をアップしていませんから、それが終わった段階で。
そしてその間、これまでの旅行記を、JunkStageのスタッフの方と相談して
相応の形式でまとめることを考えています。
きっと帰ってくる、いえ、帰って来ざるを得ないだろうという前提で
おやすみをいただこうと思います。
それはそれは、じぶんの輪郭をたしかめるために。
わたしはどこの国へ行っても、やっぱり日本がいちばん好きでした。