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2010/11/30

地球の舳先から vol.198
ブータン編 vol.4

この夏のアジア周遊は、わたし史上、3番目に長い旅となった。
とはいえ、いちばん長かったのは居住したキューバであり、
その次は1ヶ月アパルトマンに住んだパリであるから、
単純に旅行としてはいちばん長かった計算になる。

中国はやむを得ない経由地だったとして、それを除いても
3カ国をも一気に回るというのは、1回に1カ国、を原則としているわたしには珍しい。
共通していたのは、その国々が、チベット文化を色濃く引き継ぐ仏教国だったという点。
たしかに、カトマンズの最終日に財布の中身の小銭をなんども数えなおしていた以外は
宗教のことを考えなかった日はなかったように思う。

そしてわたしにとってこの旅と宗教が切っても切れなかったのは
ことごとく“カラダ”に覚えさせられた修行体験だったといっても間違いではない。

チベットでは
「観光していい制限時間を越えたら罰金です」と脅されながら
標高3500m超の炎天下、ポタラ宮
の階段をのぼり…
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カトマンズでは
「こんなハズじゃなかった。モンキー・テンプルはもっとファンキーでポップな場所
だと思っていた。」と呪詛を繰り返しつつ、階段をのぼり

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ブータンでは…

…そう。
そんなことで弱音を吐いている自分が可愛く思えるくらいの苦行が、そこには待っていた。

ブータン初日。夕方が近くなると、急にガイドがそわそわし始めた。
「明日はハイキングへ行くので、疲れるので、今日ほかのところも観光に回ってしまいませんか」
「ハイキング」と「疲れる」の単語がイマイチ繋がらないわたしは、
ブータン人の「ハイキング」という言葉を完全に読み違えるのである。

翌日。安全運転のなか、ガイドが、ふた山こえた先の米粒ほどの白い物体を指して
「あれが、これから登るこの地でいちばん神聖な“タクツァン僧院”です」
と言ったとき、わたしの頭はすごいスピードで回転し始めた。
高山病の仮病にするか。実は捻挫を訴えるか。それとも唐辛子料理が当たった…

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(あ、あれですか、目指す目的地は…ってどうやって登るんねん。)

「ハイキングって言ったやん!!!!!」と怒ろうかと思ったが
敬虔でイケメンなガイドは手馴れた動作で、着ている民族衣装の布を引き出して丸め
背中につくったポケットに1リットル入りの水をセットして準備万端といったところ。
「ここは大変神聖な場所ですから、良いカルマが積めるでしょう」
という邪念のない笑顔に、心のなかでシミュレーションした仮病が遠ざかる。

カトマンズでの教訓を生かし、最初に道すじをシミュレーションする。
「ここから登って…あの山の山頂まで行ってから…少し山道を下りて…あっちの山に渡って…
それから、そこまで登ったのの半分くらい登ったら…着くのか?…マジで??」
途中には休憩ポイントがあり、ここで昼食を食べつつ、ほぼ正面からタクツァン僧院を
激写できるためカメラに収めつつ「わたしはここでいいので待ってます」と何度も言いかける。

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(左:中腹の休憩所から撮ったタクツァン僧院。 右:休憩所で昼寝のねこさま。)

なぜこんなことになったのか。
仏教徒でもないのにこんな旅程を組んだから、仏陀が試練を課しているのか。
麓からして泥沼に片足を突っ込み(涙目で泉の水で洗ったクツが濡れて重たい)、
へろへろになりながら足を120度くらい曲げないとのぼれない道なき道をゆき、
頂上に着く頃はほとんど意識も気持ちもどこかへ吹っ飛んでいた。
これが「無心」ひいては「達観」というやつなのだろうか? いや、違うだろう。
達成感よりも、「同じだけ歩かないと下山できない」という気分が先にたつ。

が、くだりは思ったよりもハードではなく(全体の距離感が読めているからかもしれない)
上りの外国人に「ヘイ、目的地は隣の山だぜ」とか声をかけながらすれ違う。
ちなみに、杖を持ってトレッキング仕様の日本人のご一行にもすれ違った。
そんな万全装備なのに、山道で「わー!会社から電話だー」とかケータイに怯えていたのが
印象的だったのだが、もりもりと唐辛子を食いまくる4人組だったことをよく覚えている。

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下山の途中、ウマに乗った一行ともすれ違った。
「ああ、あれにすればよかったよぅ」と恨み言をつぶやくと、イケメンガイドが
「馬に乗ってのぼれば、カルマは馬と折半で半分になる」と言う。
しかしここで、ちょっと面白いことを言っていた。
「今日、あなたは2倍のカルマを持って帰る。なぜなら、自分が一緒に登ったから。
 あなたは僕のカルマも持ち帰り、僕はあなたのカルマも貰う」、と。
これはなんだか不思議な感覚であり、わたしはまたひとつ仏教を見直すのである。
決してトレンディーでもオシャレでもない仏教だが、宗教としては他人を攻撃したり
暴力や争いを嫌う、いい信教だと思う。もちろん、単なる比較論であはあるが。

…が、肉体的には人生でいちばんの苦行だったかもしれないことは、明記しておく。

ブータンを離れる際、
「タクツァン僧院へ行ったから、あなたにはよいカルマがついている。
 旅はきっと安全にちがいない。グル・リンポチェ(仏教的偉人)be with you.」
と真顔で言われ「センキュー」以外の返答に困ったのが、わたしの仏教との邂逅だ。

たとえばアメリカ人はいくらキリスト教徒といっても(もちろん人によるが)
実生活と宗教というものが分離したものとしてとらえられていることを強く感じる。
それはある意味、当たり前のことだろう。
しかしこの地では、根っからの根底に仏教というものが染み渡っているように思ったのだ。
そして無信教のわたしでも、なんだか帰りの飛行機が落ちない気がしたのだ。

「グル・リンポチェ be with me」…では、ないけれども、ね。

おしまい。

チベットとブータンでお世話になったすべての人に感謝をこめて。

2010/11/30 12:20 | ■ブータン | 2 Comments

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Comment & Trackback

はじめまして。たまたま新着から見かけてお邪魔させて頂きました。
僻地文化に凄く興味があるため、んもう最初から熟読させて頂きました。
色々危険もあるだろうに…っと思ったら、本当に命からがらの経験までされて…。
でも、普通では得られない経験・体感などが写真や文章からもヒシヒシと伝わってきて、いつか自分でも肌で感じられたらなぁ…っという憧れでいっぱいです。

しかし、人工物も自然もとても壮大ですね。
もう日本とはスケールが違いすぎて…。
記事を読んでいる身としてはとても面白いのですが、大変だったでしょうね。

これからもたくさんのお話、楽しみにしています。
頑張ってくださいね。

かんちょ様
ご訪問ありがとうございます。
危険・・・は山登りや道路事情で、
いわゆる僻地と言うと心配される
治安や政治問題では、まだ怖い思いをしたことが一度もないんです。
観光客がいっぱいいる国のほうがよほど(観光客目当ての犯罪で)
怖いんじゃないかなと思う今日この頃です。
ブータン、まだぎりぎり未開の地という印象でとても面白かったです!

Posted at 2010.12.13 11:39 PM by admin
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