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2010/10/26

地球の舳先から vol.193
チベット編 vol.4

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2010年8月10日。
この日を射程圏内におさめて当初旅行の予定を組んでいたのはほかでもない、
チベット最大の祭りであり、広州と化したチベットが宗教色を普段より色濃く見せる機会だという
年に1度の「ショトゥン祭り」があるからだった。

しかし、出発数日前になるまで、動乱続くチベットの状況は変わり続けた。
再三のフライト変更、宿泊地変更、鉄道の発券禁止までが重なった結果、
1番楽しみにしていた、世界最高標高を通るチベット鉄道「青蔵鉄道」に乗ることも、
2番目に楽しみにしていたこのショトゥン祭りに日程を重ねることも出来なくなってしまった。

しかし良いのか悪いのか、このふたつの偶然はわたしにとっては至極正しい答えだった。

調べてみれば青蔵鉄道は、中国国民がチベットに流入する物理的足掛かりとなったものである。
国家をあげて進められたこの青蔵鉄道プロジェクトは、中国当局による、チベット人の人口比率を
圧倒的マイノリティにする民族浄化計画の一環であるという見方は決して穿ったものではない。

そしてショトゥン祭りについては…当日の現場は見ていないのでなんともいえない。
だから、推測である、と前置きをしてから書くが、見なくても想像がついた気がしている。
わたしがチベットを去ったのがまさにショトゥン祭りの当日。
祭りは夜明けとともに年に一度開帳されるタンカ絵図のお披露目となるため、
一番にぎわう前夜祭にはその地にいたわけだが、あの妙な空洞感は忘れられない。
あの晩、ラサの市内には妙な圧迫感と、“怨念”のようなものが覆っていた気がする。

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チベットのラサへ入ってまず感じたのは、僧侶がいないことへの違和感だった。
いや、いるにはいるのだろうが、あまり表に出てこないのである。
もちろん、中国当局の取締りがあるし、僧侶たちはボイコットの意味もこめて
宗教的な記念日にはあえて祭りをしない、という前情報もあった。
外国人(および中国人)観光客対策のため、中国の役人が僧侶の服を着て
祭りを祝う光景を自作自演したことも、北京五輪時の告発により日の目に晒されている。

だから、それはもちろん想定内の範囲だったはずなのだが。
ラサというのは、初めて訪れても、つまりラサが宗教的聖地だった頃との比較対象がなくとも、
“僧侶が居ないこと”が、なにか圧倒的に不穏な欠如として迫ってくる場所なのである。
商店街があり、観光名所としての寺がある。しかしそこに宗教の香りがしないことが、
不気味すぎる静寂を生み、この地がどんなに宗教的な場所であるかを訴えてくる。

わたしは神も宗教も信じていない。
ただ、世界を旅して歩いていると、その存在を認めざるを得ないことが、たまにある。
それはインドにおけるキリスト教だったり、イエメンにおけるイスラム教だったりして、
もちろん人々や、街の雰囲気のようなものが作り出しているという面もあるのだが
とにかく、霊感とかじゃなく「あ、あるんだわ、宗教ってやつは」と妙に納得することがある。

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チベットに着いてまず連れて行かれた、ガイド同伴でないと立ち入り禁止のサラ寺もそうだった。
この寺は中国政府によって修復不可能なまでに破壊され、数え切れない犠牲者を出した地。
半世紀前なら賑わっていたであろうショトゥン祭りを翌日にひかえても、
赤とオレンジの袈裟の僧侶は暗すぎる豆電球を点し、無言で日常の業務を続けていた。
師匠や家族、家である寺を焼かれた記憶は、歴史として刻まれるには近すぎる過去。
生きるための方法と、信仰を守るための内面のあいだで「とりあえず生をつないでいる」
のであろう彼らと、現世は仮の姿に過ぎず、輪廻転生してまた形を変えてよみがえる、
今だけの一瞬のカタチなのだという仏教の教えが素人目にもほどなく繋がる。
それは仏教に対する、なんだか悲しい理解の仕方だった。

そして。

もうチベットなど、世界中のどこにも存在していないのかもしれない。
それでも、いや、だからこそ、問題はなにひとつ片付いてはいない――
わたしのそんな初見の印象は、別の意味ですぐに吹っ飛んでしまった。
チベットは、ここに“存在していた”。
ポタラ宮も寺院も中国人のための観光スポットになり、僧侶の姿も見えない。
でも、目には見えないチベットという地は、ここに確かに“在った”のだ。

しかしそれは、一抹の希望と呼べるような類のものではない。
決して埋まらない圧倒的な諦めと、相互の利害がぎりぎり均衡した地点で
時間を止めておかざるを得ないような、どうしようもない焦燥感。

ここは中国でも広州でもない。わたしは確かに、チベットに来ていた。
地図上の国境ラインの話ではなく、中国が、併合できなかったチベットに。

つづく

2010/10/26 08:30 | ■チベット, ■チベット(中国) | No Comments

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