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2010/06/14

地球の舳先から vol.171
ラオス編 vol.8

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これまで旅をしてきたなかで、色々な人に会い、色々なことが起きてきた。
でも、ここまで、宝物のように大事におもう出来事はなかったようにも思う。
そしてそれが、何の計画もなく偶然性だけに任せたラオスの旅で起きたのは、
なんとなく、うれしいことだった。

主目的地ルアンパバンに抜ける行程のなか、「首都だし寄ってみるか」と1泊だけ滞在した
ヴィエンチャンの名物は色々あるが、世界遺産に興味の無いわたしにとって一番は「夜市」。
(世界遺産に興味がないならラオスなんて行くんじゃない、というお叱りは、あとで聞く。)
メコン川沿いに立ち並ぶ屋台が熱気に包まれている、とガイドブックには書いてある。

が、台湾やアジア諸国のそれとはまるで様相が違う。とにかく庶民的なのだ。
手作りのテントで、今日揚げたらしい魚を並べている列が、たくさん並んでいる。
過度な客引きも無い。そして川沿いぎりぎりのさらしの砂の上には、移動型屋外レストランよろしく、プラスチックのテーブルや、じゅうたんにクッションが置かれたような即席的なスペースが川沿いを長く続いている。
日本でいうところの花見のように、人々は適当に座り、屋台で頼んだ食べ物を楽しむ。
のだが、とにかく暗い。たいした照明などあるはずもなく、さながら闇鍋のよう。
コーフンしてカメラを握るわたしの前を遮りかけた男性が立ち止まり、苦笑して「日本人?」と聞く。

久々の日本語。いわゆる「外こもり」の雰囲気に、長期滞在者だろうと踏む。
「カメラ構えてんのだいたい日本人なんだけど、ここ撮る人、あんまいないんだけどなあ」
ラオスのオーラをまとう彼と、睡眠不足を押してビアラオを一杯ご一緒することにした。
(結局、大瓶で3本になるんだけど。)

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東京という場所と距離を置きたがったわけは話さなかった彼は、
ヒマラヤの山間に数ヶ月篭った後、素通りする予定だったこの地に数週間いるのだという。
彼のような自由は時間的にも経済的にもないけれど、気持ちはなんとなくわかる気がした。
旅は、わたしにとって逃避や非日常ではなく、「居るべき(帰るべき)場所」を認識し、
日本に居る人たちや環境を何となくではなく自分にとって本当に大事なものだと感じるためのもの。いわば、「帰るために旅に出ている」というほうが近い。

この川を挟んで向こう側がチェンマイだ、ということもはじめて知った。
泳いですぐに渡れそうな気さえする、対岸の光。国境って何なんだろう。いや、政治なんだけど。
「チェンマイはこんなに見えてるのにバンコクは銃撃戦で、ここはこんなにのどかなのにラオスの国内にはまだ内戦があって。旅をしてると色々、わからなくなる」と言うわたしに、彼は真顔で言った。
「とりあえず、あっち側に綺麗な女の子が居るっていったら、俺は迷わず泳いで渡るね」
…国境なんて、ホントはその程度のものでいいのかもしれない。

なんでも、わたしたちがビアラオ片手に座るさらしの砂は実は天然のものではなく、中国がダムに水を引き上げて減った水嵩部分に韓国の資本家が砂を投下し埋め立てたものなのだという。
そうして人為的にラオスの国土はすこしずつ増え、タイとの距離はすこしずつ近づいているのだが国境が「川」だけに誰も文句を言いようがないのだ、と。考えたものだ。
そして、そこにキレイな模様の布を敷いて寝転び式のクッションを置き、屋台から屋外レストランに発展させてしまった、ラオス人のたくましさも。

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(写真の向かって右側はすぐメコン川。)

メコン川は満月にかぎりなく近い月明かりばかりに照らされて、ゆっくりした波をうっていた。
ここにいたらなんとなく離れられなくなって、と、彼は言う。
「仕事でも恋愛…いや、プライベートでも、“波”ってあるじゃん。
 波がきたとき、それに気づけるのか、気づいたとしても、乗れるのか乗れないのか。
 イイ波が来てないのにいくらもがいてたってダメだし、
 この波イイんだけど大きすぎるからどうしよう、とか思ってる間に、行っちゃったり」
とろとろしてるから冷めちゃった鶏肉と、「言い値で買うな!」と一喝された10円のイカの干物。
ビールに氷を入れて飲むラオスの習慣のおかげで薄まったビールグラスに手を付けて、
やっぱりわたしはいま、旅に出るべき状態だったんだな、とはじめて自覚する。

仕事は楽しい。プライベートだって充実している。それはもう、この上ないくらいに。
ただ、どこかでちいさな選択を間違ってきたことは、過去に数え切れないくらいある。
そしてそれは忘れ去ってはしまえずに、贓物のどこかに引っかかっていたりする。
あとになって、結果からみて「あのときこうしておけば」「あんなことしなければ」
なんてことは、無数にある。気にしてたってしょうがないだろう。
でも、もう、5年も10年も前のことを未だにふと思い出すようなことがあったりして、
すこしずつ、普段では気にもかけない記憶の片隅に、澱のようにうすく溜まっていく。

でもきっと、自分で招いたとかアイツが悪いとかいって、なんとなく自分のなかで無理やりケリをつけてきたような「自分にふりかかったこと」は、誰かに責任があるようなクリティカルな話じゃなくて、きっとすべて気まぐれで読めない波のようなものだったのだ。
小さな波と大きな波はたえず自分を襲っていて、来ては返し、出会っては別れ、乗っては降りる。
世界は自分よりもっともっと、外側にある。自分のなかだけが世界なんだと、思いがちだけど。

そんなことを考えながら、音の無い川のながれを見ていたら、いままでに起きた些細すぎるちいさなことが、寄せては返していった。
すこしずつ、消化、いや、浄化されながら。

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(写真にうつる対岸の光はすべて、川を挟んだタイ・チェンマイ。)

真夜中をしばらく過ぎた頃、地図を取り出して帰りの方向を確認するわたしに彼は
「ここは治安がいいけど、万が一にもなんにも起きてほしくないから、大通りから帰って」と言った。
わかる。旅先で被害者になることは、自分だけじゃなくその国にとっても悲しい結果になる。
「一番安全だって言われてる通りで、殺された人だっているけどね」と付け加えながら。

「優ちゃんさ。どこの国からでもいいけど、天の川、見に行くといいよ。
 地球の形がわかるから。すげぇちっちゃいの、自分が」
手を振って別れ際、最後に彼はそう言った。
京都出身だという彼の、新宿の中心で磨いたのであろう、きれいな東京語だった。

明日は早起きしなくてもいいや、と思った。
強引な日程や予定にあくせくしたくない。ラオスがわたしを呼ぶように、旅をしよう。

恋して、旅して。

つづく。

2010/06/14 12:01 | ■ラオス | No Comments

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