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2010/02/23

地球の舳先から vol.157
フィンランド編 vol.6

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(フィンランド有数の観光地、のバスターミナルらしくないターミナル。)

「うーーーーーーーーん。」

簡易すぎる手書きの地図(地上手配=日本からの航空券以外の現地交通手段などをしてもらった会社の担当者がくれた、というか描いてくれた)を眺めながら、サンタ村から市街地ロヴァニエミに帰ってきたわたしは唸る。
クリスマスの街であるロヴァニエミの観光を入れるため、翌日またこの地に帰ってくるのでこの日は観光はスルー。
とにかくこの大晦日の12月31日、わたしのミッションは、ロヴァニエミの鉄道駅から至近のバスターミナルへ移動し、第3の目的地「ケミ」の街へ向かうこと。だけ。だった、はずだった。

まず、地図が見れないという自分の特徴にもっと危機感をもつべきである。
乗り継ぎに確保した時間はほんの30分。二度迷えば乗り遅れる計算だ。
「たぶん、あそこだろう」というポイントはすでに視界には入っているのだが、何せ日本で言う国道レベルの大通りを挟んでいるので信号のないところでは道を渡れないし、歩道かと思いきや積雪で通行不能というトラップもある。
つまり、目的地(推定)はすぐそこに見えているのに、どうしたらそこへ辿り着けるのかの道がわからないという、なんとももどかしい感じ。

かくしてわたしが最初にとった道は鉄道駅のパーキングに突っ込んだし、二度目にとった安全策の道では「そこは倉庫です。入らないで」と警備員に突っ込まれ、結局スーツケースを無理やり引っ張りながら道のない雪の坂を這ってすすむ羽目になった。
「どうせ、早く、行ったってさ、また超寒くてさ、足が、冷たくなってさ…」と、息を切らしながら、サラサラ過ぎてまるで足場が確保できない雪の中を一歩一歩すすみながらひとりごと。一人旅に独り言はつきものなのだ。

なんとかまる20分かかってバスターミナルだとわたしが判断した場所には着いたものの、バスは1台もおらずほとほと不安になる。
事務所は、佐川急便の荷物流通センターのような雰囲気。
「あの、ここは、バスターミナルですか」と質問をして、キョトンとされた。
バスが来るまで事務所の中の待合室で待つ。と、フィンランド兵2人組と遭遇。

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(か…かっくいい!!!!!)

フィンランド軍といえば、あのロシアと地獄の冬戦争を戦った世界軍事史に残る伝説。
ロシアとの冬戦争で壊れゆくフィンランド軍司令官の精神面を描いた映画『フロントライン』が思い出され、アドレナリンが沸騰し敬礼したい気持ちをぎりぎり抑制する。
方向性を大幅に間違えることも多いし、戦争を肯定するつもりもまるでないが、国や不特定多数の人のために命を投げ出せる人種に、わたしはいつでも畏怖をもったある種の敬意を感じる。
それは、「誰かがやらなきゃいけないことだから」という以上のなにかを。
「ケミに行くんですけど、ここで合ってるんでしょうか」と勇気を絞って問いかけると、iPodを耳から外して、以外にもまだ若い兵士は「僕らはヘルシンキへ行くけれど、そのバスは途中でケミに停まる。一緒のバスだから、来たら知らせるよ」とやはり流暢な英語が返ってきた。

更けた夜、フィンランド兵2名とわたしだけの乗客でヘルシンキ行きの夜行バスに乗車し、2時間ほどで途中駅のケミに着いた。
あまりメジャーなところでもないので、またひとりぽつねん、である。
ひとりは慣れているのだが、ドのつく観光地へ来たつもりだったのにここまで日本人と出会わないと、さすがになんだか調子が狂ってくる。
ケミでバスターミナルを降りて、また北欧の寒さにとりまかれながら、わたしは人を探した。
とあるホテルの前で、煙草を吸っているやたら化粧の濃い女性が居た。
そこは、ホテルという看板は出ているのだがなんだかカジノ付バーのような雰囲気で、彼女はフィンランドには珍しい褐色の肌に縮れ毛で、ニューイヤーを迎えるために呼ばれたシンガーか何かのようだった。

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わたしにとってここまでのフィンランドという国は、なんだか出来過ぎていた。
教育水準が世界一だとか福祉が凄いとか、国としてもなんだか可愛げのないところである。
そして実際に見たフィンランドも、人は親切、英語はぺらぺら、公共交通機関は定刻、売春婦も物乞いも物売りも(目に付くところには)居ない、というスマートな印象。
それはやっぱりなんとなく、可愛げがないというよりは、リアル感がなくて逆に正体のない不安に変わる。とにかく、リアルな生身のヒトが生きている感じがしないのだ。
まるで、九州にあるガリバー王国ランドとか、ディズニーランドのようなところからその国の綺麗な景観だけを見ているような、なんとも不確実な気持ちになっていて、それは北朝鮮で「外国人に見せてもいいもの」だけを観光していたときよりもよほど嘘くさくて居心地のよくないものだった。
完璧すぎると機械みたいだ、などと昭和的価値観を持ち出してはいけないのだろうが、なんだか無性に旅をしていて肩身がどんどん狭くなっていくような感覚もあった。
そんなことを思うと、かつてフランス人を日本に案内したとき(それはとても重要な国民の休日だった)に言われた「日本は、ナショナルホリデーじゃなくても“こう”なのか?」という困惑に似ていたような気がする。

それが、その、上品なんだけれどもすこしヒト感のあるバーの入り口で煙草の白煙を追う彼女をみたときに、わたしは「ヒトの住んでいる国へ来た」という感覚をようやく得て、ほっとしたのである。
すべてを日本語で通していたわたしは、自分の口からまず「Happy Year-end-day」という英語が出てきたことにも驚き、次にそのわけのわからない英語に自分で呆れた。
しかし彼女はにっこり微笑んで頷くと、無言で空を仰いだ。
つられて空を見上げると、港のほうから決して派手ではない花火が打ちあがっていた。

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(ホテルの部屋からもよく見えた花火は、夜が明けるまで静かに続いた)

首都のヘルシンキでは大晦日はお祭り騒ぎだという。大晦日のパリも凄かった。
しかしこんな地方都市ではなにもないだろうと思っていたし、実際彼女に会わなければ気付かなかったかもしれないくらい地味な花火の打ち上げに、わたしは目を見開いた。
そして地図を出し、泊まるホテルを指して「どこにあるか知ってますか?」と尋ねると、「Ah,Melihovi」と彼女はうなずき、道を教えてくれた。まっすぐ、右折、そしたら右側。
その顔には「そんなにたくさんホテルのある街じゃないし、そりゃ知ってるわよ」と書いてあったが、無駄な会話は一切しないようにできているようだった。

礼をいい、「Have a nice ….. next year」とこれまた破滅的な英語を発するも、
「You too」と彼女はまたにっこりと微笑んだ。
“英語”は教科や科目ではなく、言語の違う誰かと会話をするための道具だったらしい。
つまりは学問としての「語学」ととらえて、語法文法がおかしいとビビったり、流暢でないことをナーバスにとらえる必要なんてなく、そして逆をいえば、いくら語学としての英語を知っていても、伝えたい相手や伝えたいことが無ければ、なんの意味も持たない能力だったのだ、とも。
彼女は、自分が指示した曲がり角でわたしが曲がるまでじっと見つめていて、わたしはそこで曲がるときにもう一度、彼女に手を振った。
彼女にとってわたしは、「意味不明な英語で話しかけてくる日本人」だっただろうか?いや、「ニューイヤーにこんな街に来た物好き」―このほうが近かったはずだ。

その晩泊まった Hotel Melihovi は地方都市らしくアットホームで、民宿のよう。
部屋の窓をあげると、5階の部屋から真正面に花火が一晩中打ち上げられているのが見えた。
しかし騒ぐ人々もおらず、ただ静謐に。

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フィンランドで一番ふわふわで爆睡できたベッドに横たわりながら、3日目にしてようやくフィンランドに出会えた、と思った。
なぜ旅をするのかと聞かれたとき、わたしはよく「ナマモノとミズモノ」と答える。
りっぱな建築にも美術館にも世界遺産にも興味は無い。
そこに暮らす、1日ごとに変わってしまう「人」や「生活」こそが、面白いのだと。
だから旅がやめられないんだ、とも。

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(それでも観光もするのだ。興味の無い寺も教会もキチンと回るのは、勿体無いという貧乏根性だけだけれども。これはケミの街に建つ大きな教会。)

ケミへ来たわけは、流氷にダイブするためである。
そのお話は、また次回。

2010/02/23 12:06 | ■フィンランド | No Comments

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