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2009/12/03

※現地時間11/15に、JICA事業従事の日本人男性技師が、イエメンの首都サナア北東の町で武装グループに拉致されるという事件が起きました。犯行グループは、裁判なしに4年間収監されている仲間の解放を要求している模様です。ここに記したイエメン日記は2009年9月のものであり、イエメンは日々情勢が変化する国です。過去5年間で外国人観光客を標的とした事件は数十件起きています。ご渡航を検討中の方は、外務省の情報や現地の旅行代理店と密に連絡を取り真の情報を収集すること、現地に精通しアラビア語を完全に理解する同行者、現地滞在中でも常にリアルタイムで正確な情報を入手できるルート、最低限これらが整わない限りご渡航はおすすめいたしません。

地球の舳先から vol.147
イエメン編 vol.9

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シバーム・ハドラマウト。
砂漠の摩天楼都市の異名をもつ、世界遺産・シバームの旧市街を望む砂漠地帯へ向かう。

翌朝はアザーンのお祈りの放送よりも早い4時半に起き、朝7時のフライトでサイユーンへ。
午前中はサイユーンの街で、名物ハドラマウトはちみつを買ったり、市場でメロンを買って
レストランで切ってもらったり、タリムというイスラム権威の街を眺めたり。
サナアより10~15度気温が高い砂漠地帯。すこし動くだけで体力を根こそぎ持っていかれる。
一番暑い時間帯はホテルでお昼寝タイムにし、夕方からいざ、シバームへ向かった。

もちろん、なんの犯罪にも巻き込まれなかったし、怖い思いなども一切しなかった。
だからこうして旅行記などをのんびり書けているわけなのだが、それでも
わたしの「やな予感」は、ある意味では当たった、といわざるを得ない。

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(夕方になってから動き出す。暮れなずむ白い壁のまち。)

シバームの街は、こちらまで陰鬱な気分になるくらい、とにかく暗かった。
活気がないし、人も暗い。元気なのは家畜だけ。
ほかでは旅行者を見ると駆けてきた子供たちは表情をなくし、
大人達はギラギラした目でお土産屋に誘導することも、逆に親切に旅行者を見守ることもなく、
街のなかで放し飼いにされた山羊や羊、トリなどだけが小走りにそこいらじゅうを駈けていた。

ほかの土地よりも敬虔で保守的なイスラム教徒だから、とは言われたが、あの陰鬱さはそんなレベルの話ではない。
なんなんだこれは、と思っていたらふと、
分裂直後のベオグラード(旧・セルビアモンテネグロ)と酷似していることに気がついた。
終わらない日常、とりあえず今日を生きる以外の選択肢のない諦観、人の生死に麻痺した目。
外国人のわたしが言うことではないが、どうしようもない悲しさが圧力となって迫ってくるあの雰囲気とシンクロして、当時の光景が眼前によみがえりぞっとした。
もちろんシバームは日常的に死と隣り合わせだったかつてのベオグラードとは全然状況が違うし、そこまで悲惨な状況には、少なくとも現時点ではなっていない。
しかし、「自分の力ではどうすることもできない状況」プラス「そもそも自分の力でどうこうすることへのモチベーションの欠落」イコール「思考停止あるいは放棄」、という構図には当時のベオグラードとなにかしら、共通するものがあったのかもしれない。

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しかし、これもイエメンなのだ、と。

たとえ誤解であったとしても、肌で感じたものは実感として消化しなければならない。
人が良くて美しくて、ちょっとやんちゃなサナアと、GDPでははかれない豊かさのなかで暮らす山岳の村々だけを見て、「イエメン」の旅を終わらせなくてよかった、と思った。
旅の最後、「何が一番良かったですか?」と添乗員の立花さんに聞かれたとき、
「好き嫌いや良い悪いでなく、行くべきだったのはシバーム」と答えたその言葉のままの意味である。

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その後、わたしたちはテロのあった問題の丘に昇った。丘から眺める景色には息を呑む。
青い制服のツーリストポリスが先頭に立ち、着いたそこは人っ子ひとりいなかった。「一大観光地だった頃は、30~40人いたんだけどね…」と言うが、その面影すらない。
砂漠を挟み、向こう側が世界遺産のシバーム旧市街。こちら側が新市街だ。
ほんの10メートルもない位のところには、黒くなった岩があり、そこがテロ現場だそうだ。
ここも当然、なんの囲いも説明書きもない。ガイドがいなければただの岩だと思っただろう。
こうして歴史は、過去として風化していくことができるのだろうか?

岩を避けて、夕焼けを待つためにしばし座り込む。
リツさんが、干し梅をくれた。立花さんが、せんべいをくれた。自然と言葉少なになる。
そのとき。通訳のキクチさん(アラビア語名・アブドゥル・ハミドさん)の携帯がピルル、と鳴った。
――テロ告知があったときは、速やかに連絡する。
前夜の、社長の言葉がよみがえる。ひやり、として、吐ききった息をうまく吸い込めず背後でキクチさんがなにやらアラビア語でやりとりをするのを聞いた。
電話はただの業務連絡だったのだが、あのときの、なにかを覚悟したときのおそろしいくらいの冷静さは、今でも心を冷やす。

世界遺産を背中にしょって、ハドラマウト砂漠の砂を拾った。
細かい砂の粒子。風や環境によって、簡単に吹き飛ばされて形状を変えてゆく。
マサさんの書いていた、「脆く儚い、“平和”という偶然にして一瞬の今」というコラムを思い出していた。

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2009/12/03 11:53 | ■イエメン | No Comments

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