« ■あっぱれニッポン、なわけがない。 | Home | ■天空の村「マフウィート」 »
永遠にも思えるイエメン編を一旦中断して、閑話休題。
旅人にして写真家、須田誠さんの写真展へ行ってきた。
子供たちの輝く瞳、庶民といわれる人々の生命感あふれる空気。
須田さんの撮る写真は、(よい意味で)あまり意見の分かれない作品だと思う。
すくなくとも、嫌いだという人はほぼいないに等しいのではないだろうか。
だから、外れがないというか、モダンアートなどと違って、どんな人でも誘いやすい。
須田さんご本人とも、何年かぶりでの再会だった。
秋葉原の駅から歩いて15分ほどだろうか、真っ白な壁の「CO-EXIST」に見慣れた作風を見つけて、ふとタイムスリップしたような気になった。
18歳の真夏。ソウルメイト(親友とよぶほどウェットじゃないし、愛すべき友というと男女なのでいろいろややこしいわけで、この呼び名がいちばんしっくりくるのである)とふたり、わたしはキューバ~メキシコ~アメリカを回っていた。
秋も暮れた頃、まだキューバの風が忘れられず、ひとりではじめて入った、夜のサルサクラブ。
キューバと思われる何点かの写真が飾ってあって、懐かしさは倍増。
キューバ音楽が流れるなか、「ウン、ドス、トレス」のサルサのステップを初めて踏む。
曲の終わりの余韻とともに組んだ手を離すと、わたしの視線を追ってか、彼は言った。
「あの写真、僕が撮ったんです。」
それが、写真家・須田誠さんとの出会いだった。
モノクロの、男女が踊っている写真。目を閉じて男性の胸に身を預ける女性はどこかの女優のようで、それがキューバのただの民家で知人夫婦であると聞いてわたしは驚いたものだった。
そういえばキューバへ行ったものの、観光地ばかり見過ぎて人々の生活を全然みてこなかったな、と思った私はその日、キューバに住もう、と思った。
そして1年後、キューバへ留学・居住をし、えらくカルチャーショックを受けて世界めぐりの病気がはじまるのである。
世界は広く、自分は小さい。
ひとつ歳をとるごとになんだかいろいろ、いいものも悪いものも身になり肥えていくのだが
旅に出ると反比例して、自分のちっぽけさを感じることができる。
須田さんの写真を見てあるきながら、まだまだ知らない世界がたくさんあると思ったり、
ぼろっちい家屋がダンキンドーナツの店舗になっている写真がグアテマラだと言われて、かの国
の歪んだ資本主義を思い出し、その前ではしゃぐ子どものTシャツの星条旗に背が寒くなったり。
切り取られた平面には、深すぎる現実がある。
写真展を見終わったあと、販売用のサンプルとプライスリストをちらりと見て驚いた。
もちろんオリジナルではないからということもあるが、すこし決心をすればその場でも手に入るほどの値段で、わたしはじゃっかん首を傾げた。
あの夜のサルサクラブで、その頃まだ高校を出たてでなんの欲もなかったわたしが抱いた夢は「キューバに住む」以外にもうひとつあったことを思い出したのだ。
それは、「大人になって金持ちになったら、フローリングと白い壁の部屋にすんで、この写真を飾ること」だった。
そんなこと、忘れていたし、10代で朝晩バイトをしまくって150万円の留学費用を貯めたあの頃のわたしがこの写真の値段をあのとき知っていたらどうしただろうか、と思う。
それでもやっぱり、その何分の一もの初期投資で理想の部屋を借り、彼の写真を飾ることは選ばず、1日も早くキューバへ飛んでいただろう。
思えば遠くへ来たもんだ。
いま、短期間で150万円の貯金をつくれと言われても、夜勤でバイトをする気力も体力もなければ
「カイシャの職務規定とかあるしぃ」という、絶好の言い訳もひかえている。
そしてわたしにとってそれよりも問題なのは、いま現在フローリングと白い壁の部屋にすんでいるにも関わらず壁は真っ白なままで、
そして、大人になったとも思えなければ、確実に金持ちでもないことである。
あの頃のわたしにはなんでもできた。
「大人」という実体のない曖昧模糊としたものを盾に、なにかを先延ばしにすること以外は。
いまのわたしの、盾の先の未来はなんだろう。
転職とか、結婚とか、南極旅行とか、そういうことであっちゃ、ダメなのだ。
ささいでくだらなくて、それゆえすぐに忘れてしまうようなもので、でも心の隅に無意識的にのこっていて何年か後、気づいたら叶っているような、そんな未来でないと。