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2009/10/20

※11/17筆者追記:JICA事業従事の日本人男性技師が、イエメンの首都サナア北東の町で武装グループに拉致されるという事件が起きました。犯行グループは、裁判なしに4年間収監されている仲間の解放を要求している模様です。ここに記したイエメン日記は2009年9月のものであり、イエメンは日々情勢が変化する国です。過去5年間で外国人観光客を標的とした事件は数十件起きています。ご渡航を検討中の方は、外務省の情報や現地の旅行代理店と密に連絡を取り真の情報を収集すること、現地に精通しアラビア語を完全に理解する同行者、現地滞在中でも常にリアルタイムで正確な情報を入手できるルート、最低限これらが整わない限りご渡航はおすすめいたしません。

地球の舳先から vol.141
イエメン編 vol.3

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さて、このイエメンという国で、わたしが見て「あれまあ」と思った、
おそらくイエメンを語るうえではずせないふたつのことについて、書いておく。

まずは、「カート」である。これは、興奮作用のある葉っぱで、イエメン人は皆やっている。
「お酒のかわりのコミュニケーションツールのようなもので常習性はない」と
ガイドブックには書いてあったが、かなり怪しい。
午後も2時か3時になると、カート屋がオープンし、人々は買い漁りにうろうろする。
高速道路の脇にも、カートを袋いっぱい詰めたカート屋がひしめき客引きをする。
4時間くらい噛みつづけているらしく、ほっぺたに詰めたカートでこぶとりじいさんのようになった
イエメン人がほとんどである。やっていない人を探すのが困難なほど。
中には目がいっちゃってたり、倒れていたりする人もいる。

どうやらカートを噛むと性格が変わるようで、温厚な運転手が突如挑戦的な運転をはじめたり、
無口なガイドが突如「メールアドレスを教えてくれ」と口説きに迫ってくるなど
(孤軍奮闘なことにこのときリツさんも立花さんも車中でお休み中)、
カートはイエメン人をすこし(かなり?)大胆にさせるようだった。

イエメンはあまり食物の保存技術が発達していない。
それゆえ朝おろした肉はその日のうちに消化するため鮮度が高く、
おかげで臭みなど縁遠い美味しい肉をわたしたちも多く食べることになったのだが、
(マトンなどはよい例。非常に柔らかくさっぱりしていて羊肉といわれても信じられなかった)
それはことカートになるとさらに威力を発揮する。
朝一で収穫したカートをその日のお昼の流通に乗せる流通ルートの発展は、イエメンの人々の
カートに対する、ある意味での情熱が生み出したものといってもよいだろう。

また、イエメンにはカートにまつわる様々なジョークが存在する。
まず教わったのが、「カートを噛むと故郷が見える」というもの。
現地旅行代理店の「社長」はいつも最高級のカートを仕入れていて、リツさんにすすめては
あらぬ方向を指差して「シブヤー、トウキョウタワー、アサクーサ…」などと洗脳していた。
カートを買いに行くことを「故郷へ行く」という隠喩もあるようで、
カートが欲しくなり始めた午後、半分中毒症状になった社長が、運転をしてくれていたマサさんに
しきりに「マサ・ビレッヂに行きたいよぅ…」とうわごとのようにつぶやくなど、
わたしたちも「カート中毒」を目の当たりにさせていただいたのだった(笑)。

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(社長がご満悦で手にしているのがカートだ)

そんな陽気な面だけではない。
イエメンでは、農作物を作るよりもカートを作ったほうが儲かるため、多くの農場が潰された。
水をあまり必要としないためイエメンの気候には向いているのだが、
一度カートを育ててしまうとその畑にはもうカートしか育たなくなるという。
実際、サナア近郊の緑といえばほとんどがカート畑だった。これでは未来がない。
カートを国として規制している国がほとんどなのだが、イエメンは大統領が穏健派で、
それによりこの難しい国をなんとかやりくりしているという。

「たとえば明日、大統領が法律を変えてカートを禁止にしたらどうなると思いますか?」
という問いに、添乗員であり、毎日カートをやっていた立花さんは即答した。
「…革命が起きます。」

これらはまあまあ、イエメン名物というか、笑える話。
わたしが最終日までどうしても慣れることができなかったことが、ひとつだけあった。
それは、子どもがみんなおもちゃの拳銃を携えていることだった。
イエメンには、ラマダン明けのイード休みに、子どもにおもちゃを買ってあげる習慣のある家庭が
多いらしいのだが、この影響もあり、どの村へ行っても子どもがおもちゃの拳銃を持っていた。
日本でだって、ビービー弾が流行ったことも過去にあるのだが、
示し合わせたようにここまで、子どもたちのほとんどが揃って拳銃を持っているというのは
流行の域を超えているように思えてならなかった。

子どもは無邪気だ。
撃つふりをしたり、腰にさげて意気揚々としていたりする。
実際、ビービー弾とか発射して、イテッ、となる場合もあるようだが、
そんな実被害とは別に、わたしは銃を提げる子どもたちには、穏やかならぬ恐怖を覚えた。
夜の旧市街には、酷使されて壊れたおもちゃの拳銃のプラスチック片がいくつも落ちていた。
それは、すごく近い将来に対する、負の暗示のように思えてならなかったのである。

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(マサさんと、拳銃を手にする子どもたち)

一度曲がったら迷子になること必至の旧市街。
数えていたらきりがないほどの戦闘機が、朝から晩まで、轟音を撒き散らして飛んでいった。
「…あれ、なんですか?」
不穏な空気を感じて、となりにいたマサさんに問いかける。
(わたしは軍隊好きであるが、それは装備としての軍隊のスペックの面であって、戦は嫌いである。当たり前だけど。)
「…わからないんです。北部がどうなっているのか…」

空にすこしだけ軌跡をのこした、戦闘機の白い跡。
わたしたちのイエメン訪問より少し前から、北部では部族紛争が激化していた。
観光はもちろん、国連機関や国境なき医師団までシャットアウトされており、内情はだれにも
わからないのだという。一部では、実質的な虐殺が行われているという説もあるようだった。

走り回る子どもたちの、手に、手に、銃。北朝鮮やアメリカを思い浮かべて、
「この国では、軍隊は尊敬や憧れの対象ですか?」と、続く問いを、飲み込んだ。
答えを聞きたくなかったわけではないが、“説明のなされない”戦闘機の下で銃を手にはしゃぐ
子どもたちの姿が、わたしにとってはひとつの答えだったのだ。

難しい国だな、と思った。
それは、モヤンとして片付けられないものを思うときの、自分に対する逃げ口上でもあった。

しばらくつづく

2009/10/20 01:43 | ■イエメン | No Comments

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