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地球の舳先から vol.122
ベリーズ編 vol.4(全6回)
思い出すのもおぞましい光景、という経験が、あるだろうか。
キーカーカーは地上の楽園だと書いたが、じつは恐怖体験もあった。
それがこの、キーカーカーの宿泊事情である。
すっかりゆるんで島を散歩し、貝殻やら流木やらで小物を作っている露天を見て、やたら多い個人画廊でペインティングアートのはしご。
ペリカンだかピリカンだかという地ビールとトルティーヤで夕食をとったわたしは、宿に帰った。
宿といっても、湘南あたりでサーファーとかが長期滞在していそうな簡易的なコンドミみたい。
電気をつけぬまま窓を開けて換気をしてから、ベッドに入った。
…と。
なにやらもぞもぞ動く気配でうすい眠りからさめたわたしは、手の甲を這う虫に気づいた。
うじ虫ほど小さくはないが、みみずをとても短くしたような、足のない虫。
…ギャアァァ!
わたしは虫がきらいである。いや、好きな人なんてそうそういないと思うけど、ホントに嫌いである。
飛び起きてあわてて電気をつけ、洗面台のほうに駆け込んで念入りに腕を洗う。
もうこの時点で、泣きそう。「むしはわるくない」となぜかひとりごとで自分をなぐさめる。
そしてふたたび部屋の中心部をふりかえった瞬間。わたしは失神しかけた。
…ンギャアアアアァァァァァァァ………。
なんとも。さっきまで寝ていたベッドの掛け布団かわりのシーツ一面にびっしりと、その足のないやつらがくっついているのである。
さ、さ、さ、さっきまでわたしが寝ていたベッドに、である。
ひぃぃぃぃ。
あわわわわ。
こんどはわたしはシャワールームに突進。
やつらは布団のなかまでは入り込んできていなかったのでカラダはほとんど無害だったのだが。
全身流し終えたわたしは服を着るのもそこそこに部屋を飛び出し、隣の管理棟へ。
階段からおっこちそうになりながら涙目で「ひぃー、助けてーーー、Helpー、Helpー」と叫ぶ。
そんな鬼の形相におそれをなした宿のマダムが血相をかえて「ど、どうしたんだ」と言う。
わたしが部屋へ案内するとマダムはため息を付いて「…窓を開けとくから…」とぼやいた。
1階に部屋を取り替えてもらい、窓を閉め切って自分が死なない程度に密室で殺虫剤をばらまき
その日は夜を明かしたが、げっそりと翌朝、3泊の予定を返上して宿をあとにした。
どうやら悪いのはわたし、というか注意事項の英語を理解しきれないわたしだったのだが…
わたしは、前の晩の3倍の値段を払って、プライベートビーチと言わんばかりに海のそばに建つ1棟建てのコテージを借りた。ログハウスのような可愛くて、でも大きさは1部屋ぶんしかない小さい建物。
テレビもあって、久々のテレビに長々見てしまう。
その頃わたしはキューバに住んでいたので、国営の2チャンネルしかなく、ニュースのもう片方では延々と北野武映画が流れていた。(カストロ議長が大ファンだったらしい。おかげで何度、道を歩いていて日本人だというだけでキューバ人に「アニキ」「ヤクザ」と指をさされたことか……。)
久々に見る、グラビア。バラエティ。なんかアメリカンホームドラマっぽい番組。
海のそばなので、砂浜に寄生する刺す虫がたまにいるのだが、快適。
ああ、部屋を替わってヨカッタ…と、思っていた。またしても、夜が来るまでは。
ひーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー。
今度は海からの襲撃である。たしかに、海が近すぎるとは思っていた。日中は雨も降った。
波が。ざぱーん、ざぱーん、と、コテージの外壁にあたりまくるのである。
「津波ダーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!」
よみがえるナントカ沖地震の悲惨さ。日本は地震の国。おそろしい二次災害的な津波。
わたしは、とりあえずなにかあっても泳げるように深夜に水着に着替え、
防水リュックに貴重品をつめてコテージの外へ出てちょっとした坂をのぼり、メインストリートへ。
相変わらず、わたしのコテージやその隣のコテージが浸水しそうである。おお、おそろしや。
「…もう遅いから、泳いじゃダメ。」
声をかけてきたのは地元の人らしき女性。
「いや、波がすごいから、避難したのです」と弁解。たしかに深夜に水着にTシャツはあやしい。
「あれ、いつもだから。危険ない。」
…そうなの?! いや、あれ、絶対おかしいでしょ。 絶対流されるでしょ。
でもあやしまれるのもアレなので、コテージに帰るわたし。
でも…建物…揺れてるんですけど…。こ、怖いんですけど…。
翌日、わたしは高台に宿をうつした。これぞジプシーである。
つづく