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2009/02/20

地球の舳先から vol.115
日本編 vol.10(最終回)

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きょう、三沢でクルマに乗ります、といったら、わたしに車線変更の仕方を教えてくれた人から
「撤退する勇気もときには必要です」とメールが返ってきた。むう。

朝起きると、雪が舞っている。雪が降っていたらやめよう、と前夜までは思っていたのだが、
雪国で運転できたら自信がつくだろうなあ、という妙な期待感がぬぐえない。
結局ニッポンレンタカーへ行ってしまった。即案内され、しかるべき位置にサイドブレーキがなく(ハンドルの横についていた。車種によって違うのね)焦るわたしなど目に入らないのか、イケメン店員ウエンツは大通りへ誘導の手を広げている。
ええいもうどうにでもなれー、とすごく大回りで道に出たわたしのそれからについては、多く語るまい。
「こっちは制限速度で走ってるんずら!悪いことしてないっちゃ!」と車の中で妙な文句を(しかもたぶん山梨語と福岡語)言い続けながら、八戸ナンバーに抜かれまくり、後ろに車がいなければ20キロ台で走る。
「ぶつかって事故になるより、のろのろ迷惑運転のほうがいくらかマシだね」というのがわたしの言い分だ。
山道、雪道、氷道。「記念館までなら道は乾いてますね」とウソを言ったウエンツを呪う。
止まるわけにもいかず、ナビに八つ当たりしながら山を越えて13キロほど走る。
間違うわけもないまっすぐな一本道、信号も交差点すらほとんどないのが幸いだった。

目的地の寺山修司記念館に着くと、広大な駐車場をいいことに前入れ(あたりまえ)で斜め駐車。
妙な汗を拭い、「着いた……」と感慨にふける。午前10時。
でも、荷物を重い思いをして運ぶ心配も、寒さの心配もしなくていいし、なんだかやっぱり魔法の乗り物のようで、自由に操れるようになれば快適な乗り物だろうなあ、と思う。

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それから丸々5時間、寺山修司ワールドを堪能。
故郷を捨てよと言い続け、三沢を憎んでいるかに見えた寺山の原点はやはり三沢。
記念館のVTRにもあったが、ほんの数年の三沢での生活がのちの寺山の作品の源泉となり、
短い時間ながら三沢を離れるときにはすでに寺山修司は寺山修司に「成って」いたのだろう。
寺山修司というのは非常にもてた男なわけで、その死後いろんな女性が「わたしこそ寺山の特別な存在」を訴えまくったおかげで彼の著作権は非常に複雑な問題化し、それゆえまとまりのない形でしか残されていない。
それをぎゅっと凝縮したのがこの記念館だった。

まさに太く短く、ぱっと咲いて散った彼の生き様はしかしすでに歴史となり伝説になりつつある。
「カワバタヤスナリ」「ダザイオサム」のように、作品の表情よりも名前が先行しつつあるし、
それは文学作品が「当時の価値観」をものがたり、「当時」から時間が離れていくのを止められない限り仕方のないことである。
しかしわたしは、寺山修司という人間のその切迫した生き方はやはり美しい、と思った。

本当は、彼のような価値観は命をすり減らすだけだとずっと思ってきた。
しかしこうして目の当たりにすると、それも案外悪くないのかもしれない、と思い始めたのだ。
みずからを偽って平和に、順徳に、安定を求めて生きることが、はたしてどれほど素晴らしいことなのだろうか。
「自分らしい」生き方を貫くことは非常に難しく、保守に入るほうがよっぽど簡単なこと。
「社会的」や「世間体」といってみたところで、その「世の中」に、いかほどの輝きや未来があるのだろうか?

置いてくるつもりだった価値観を逆によけいに募らせて、わたしはその場をあとにした。
これでよかったのだろう、と思った。
たしかめるためにここへ来たのだろう、とも。

end

2009/02/20 07:53 | ■日本‐三沢 | No Comments

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