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地球の舳先から vol.111
日本編 vol.6(全10回)
写真は、旅館・古牧温泉青森屋にある食堂の入り口にある台所。
演出を凝りまくる古牧温泉、「ばんげまんま」(八戸語で夕ご飯)の準備すら、こうやって見せてくれる。
バイキングだからと期待していなかった夕食は、地産地消をコンセプトに名物ばかりが並ぶ。
惣菜も煮物も漬物まで、いちいちこだわっていて、いちいち美味しい。
さすが寒いところだけあり、汁物がとてもおいしい。お正月なので雑煮もある。
それに「今日の刺身」やら、その場で焼いてくれるステーキやらがあるのだからもうどうしようもない。
おそらく100種類以上あったのではないだろうか。すこしずつ、ほとんど全部食べた。
大好きになったのは「せんべい汁」という、名物の南部煎餅を入れた具沢山の鍋のような澄んだお汁。
夜の最後は、またしても古牧温泉の浮湯にて。
バイキングで「もう吐いてもいいや」と開き直って食べたため、あまりにふくれた胃をどうにかしようと、そのままサウナへ。
…で、うとうと(←真似厳禁。死にます)。
この日はなぜか子供が多かった。
すると、割と年配のお母さんと、男の子と女の子がサウナへ入ってきて、しきりに母に話しかけている。
いわく、「あそこにね、黒い岩みたいなのがね、どぅーって、どぅー!」と訴えている。
ああ、きっと浴槽のまわりを泳いでいた鯉の事だろう、と思って子どもたちを見ると、指差している先は空。
見ると、ふたたび吹雪き始めた雪が、露天風呂を照らすライトのまわりだけ見えていた。
照明がないところは、真っ暗すぎて雪の姿が見えず、明るいところはほんとうに、一面吹雪いていた。
照明の光ののびる範囲にだけ雪が照らされるその光景はまた、神がかったものがあり、息を呑む光景。
空中でぽかんと、その範囲だけ雪が吹雪いているように見える。
わたしもまた、釘付けになって雪を見ていた。
子どもの目からしてみたら、雪の面積よりそこから見え隠れする空の黒のほうが少ない面積なわけで、
それで雪より空のほうを意識して「黒いものが動いている」という表現になったのだろう。
と思うと、子どもの視点と想像力には、はっとせざるを得ない。
無垢なんて言葉でごまかすべきではなく、彼らの目には「見たまんま」が映っているのだ。
なるほどなあ、とひたすら感心していると、吹雪をみつめるわたしの視線に気づいた母親が
ふいに眉間に皺を寄せてその子に「わかったから、静かにして」と言った。
わたしは一瞬、虚を付かれたというか、何のことだかわからない気がした後、これにも感心してしまった。
すこし東北なまりが入っていたので、お母さんにとってはわたしほど雪など珍しいものではないのだろう。
それを差し引いても、お母さんの目に先に入ったのは、子どもの指したあの神々しい雪景色よりも、他人であるわたしの反応だったのだ。
わたしにとってはその子どもの驚きの声は決して迷惑などではなく、
むしろわたしはしかるべき場所以外では子どもがキャーキャーいったり無駄に走りまくってそれで無駄にコケたりするのは正常で健康なことだと考えているのだが、
たしかに見渡してみると子連れの母親たちは皆、公共の場で自分の子どもがひたすら黙って動かないことを望んでいるようだ。
じゃあ連れて来んなや、と思ってしまうのだが…母親というものはどうも、面白くなさそうな職業である。
子どものほうもなぜかやたら聞き分けがよく「ウン、寝てる人がいるから?」「そうよ」などと話している。
いや、サウナで人が寝ていたら起こしてあげたほうがその人の身のためだと思うのだが。
実際、地酒4合でサウナの中でうとうとしていたわたしは子どもの声で目が覚めたのだから…
そんな子ども(推定10歳くらい)と年配ぎみの母親(推定40歳半ばくらい)を見くらべながら、
ふと自然と浮かんだのが、自分でも不思議な疑問だった。
いまのわたしは、この子どもと、お母さんと、どっちの方に近いのだろうか――
不意に浮かんだようで、すごく本質的な疑問だな、と自分で思った。
空をさして「黒いものがいるぜ」とは、やっぱり言えない。
だが、その逆は? と問えば、わたしにはまだそこまで大人にもなりきれていない気がする。
これもモラトリアムかしら、とか思いながら、重い胃を引きずって部屋に引き上げる。