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地球の舳先から vol.110
日本編 vol.5(全10回)
「ちょっとした外国だから」。八戸人のフィルコさんは、そういった。
三沢には、いや、北東北には、あきれるくらいたくさん温泉がある。
わたしは温泉とかスパとかサウナとかが大好きで、家を買ったら絶対ミストサウナを設置するときめている。そんな決意はどうでもいいのだが、とにかく色々な温泉に行きたいなぁ、と思っていた。
古牧温泉旅館から出て、まず行ったのはここと源泉を同じくする「元湯」。
古牧温泉青森屋からはバスが出ていて、歩いても500m程度。
「泊まってます」というとフリーパスである。
浮湯のような豪華で”狙った”感じはなく、銭湯みたい。中も、かなり手狭。
内湯がひとつ、でもお湯は浮湯よりぬるぬるしていて本格的っぽい感じもする。
地元の人がよく使うようで、おばあちゃんや子ども連れがいっぱいいる。
ぼーっとしていると、話しかけられる。のだが……
「@&%$#”*〇 ̄ヾк☆>Я¢?」
風呂上り、となりに座ったばあちゃんに話しかけられて、わたしは思わずぽかんとした。
……まるで何を言っているかわからない。外国語?
わたしはびびって、目を泳がせ、「あ」とか「う」とか言って、言葉が出てこない。
曖昧に笑って首を傾げ、目を伏せてしまう。
自分でもちょっと意外だった。
インドでベンガル語で話しかけられて「げんき、げんき」と言い(日本語)
アメリカで「みずください、みず」と言い(日本語)
クロアチアで「おなかが空いて死ぬるよ。レストランどこ?」と言い(日本語)
モンゴルで「今日の日の入りは何時ですか」と言い(日本語)
成り立っているのかまるで不明なコミュニケーションをとってきて早10年。
「ことばがわからなくて黙り込む」なんてシチュエーションには、自分には皆無だと思ってきたのだ。
ところが、である。
当の日本で、わたしはすっかり言葉を無くしていた。
湯にふたたび浸かりながら、わたしはよくよく考えた。
あの赤いパスポート。不審な国たちで汚れながらも、
「アメリカに入れなくたって地球は1周できるね!」と意地を張って一緒に旅し続けてきた。
思えば各国での入国の手続きこそが、わたしを大胆に、というか開き直らせてきたのだろう。
違う国へ行く、ということとともに、旅に出るたびに、色々と難しい国へ行くことが多かったこともあり
「わたしは日本人である。そしてそれはしょうがないことなのである。」
という一種の覚悟とアイデンティティを、赤いパスポートを出し戻ししてもらうたびに
確認してきたのだ、ということに思い当たる。
だから、何が起きてもほとんど受け入れてきた。
爆破で飛んだ建物の跡地を見ても、脚のないひとたちを見ても、
時間通りに来ない列車も、注文したものをもってこないレストランも、
ぼったくりも、言語の壁も、ジェスチャーとか表情とか、そういうもので超えてきた。
入国管理のあの瞬間は、わたしが「旅モード=フラットな精神状態」にスイッチオンするための
フェスティバル、一種の儀式であったのだ。
なんの手続きもいらない、ただ列車に乗ってビール(サッポロ)を飲んでいれば着いてしまう、
地続きの場所に飛び込むには、「覚悟」の儀式が抜け落ちていたのである。
この点において、わたしは国内旅行というものをなめていたのかもしれない。
3時間も新幹線に乗れば、そこは間違いなく異国なのである。
以前、いまでも尊敬している某氏が「東京はね、マーケットなんですよ」と言っていた。
東京には、いろんな人がいろんなものを持ち寄ってマーケットになっている。
マーケットは市場だから、価値換算がすべての基準になる。
「だって東京にいて、すっごく可愛いんだけど自分の事可愛いと思ってない子なんていないじゃない」
とその人は笑っていた。そして、マーケットっていうのは本来、人が住むべき所ではないのだ、とも。
東京に生まれ育ったわたしが、本当の意味でその言葉を理解しているとは思えない。
けれど、東京が、いわば「証券取引所」のような存在であるということはなんとなく理解が及ぶ。
東京にいては、日本という国は見えないのだとも。
しかし、海外に出るような「旅のスイッチ」は、やっぱりパスポートという「記号」なしには入らなかった。
不思議なものである。スタンスの立ち位置が宙に浮いたまま、おばあちゃんと目を合わせないようにしてわたしは雪道を歩いて帰った。