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2015/03/16

地球の舳先から vol.356
東北(2015)編 vol.8

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東京に帰る前、仙台から、逆方向の新幹線に乗って八戸まで行った。
ローカル線を乗り継いで、到着したのは久慈駅。
ここから三陸鉄道に乗るのが、実は今回の旅のハイライト。
『あまちゃん』やら、萌えキャラを活用した破天荒なプロモーションが注目されているが
明治の三陸大津波の経験を元に「津波のときでも運行する安定した公共交通機関を」
というポリシーでつくられた路線である。

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乗ったのは期間限定の「こたつ列車」。レトロ調の車両を使用した掘りごたつ仕様。
1か月前に予約したので、1号車1番A席という鉄道おたくみたいな席が確保されていた…
そして車内は男性グループの多いこと多いこと…乗り鉄に大人気の三鉄。
2014年4月に全線復旧したのだが、ここも、クウェートが支援をしていたらしい。
クウェートやカタールは、本当に手広く様々な被災地支援をしている。
列車を復旧させたり、海町に超巨大ハイテク冷凍庫を作ったりと、絶妙。

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写真を撮らねばならないので、急いでうに丼をかきこむ。
うに丼のほかにあわび弁当、ほたて弁当もあり、予約をしておくと切符と一緒に渡される。
切符の明細は手打ちでパンチされている。車内のパーサーはあまちゃんだ。かわいい。

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リアス式海岸を縦断していく路線には長いトンネルも多い。
田老~摂待間のトンネルはなんと6532mで、非電化区間では日本最長なのだそう。
その間は「もなみ」という、なまはげ的なもののパフォーマンスもあるなど工夫されている。
お面をとったらいいおじちゃん。よくしゃべる。解説が面白い。

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さてここからは、北リアス線沿線の紹介をしながら震災を振り返りたい。
意外にも、車内で震災に関する説明はなく景色を楽しむことが主目的とされているようで
帰って来てから調べたものだ。あれから4年。長い。

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○安家川橋梁
あっかがわ、と読む。高さ33m。列車は徐行し、久慈からの列車では最初の撮影ポイント。
秋になると車両からも肉眼で、鮭の大群が確認できるらしい。

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○大沢橋梁
野田玉川~堀内にある橋。堀内駅は『あまちゃん』の袖ヶ浜駅として使われた場所で
見ていないので知らないが「ユイちゃん」が「アイドルになりたい!」と叫んだ場所らしい。
アーチ形の橋は三陸鉄道の象徴的な光景。でも、乗っていると車体が見えないことに気付く。

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○普代漁港
海岸から300mのところに15.5mの巨大水門と防潮堤がある普代村。
昭和初期当時のお金で35億円超をかけて建設された。
あの津波の日、並んだ防波堤と消波ブロックで津波は7mもの高さが吸収され、職員が手動で閉めた水門以陸の集落は守られた。この立地で、村内死者はなんとゼロ。
防潮堤の手前の被害は凄まじかったというが、漁港も機能を取り戻している。

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○白井海岸
秘境駅ランキング2014(なんだそれ)で14位の駅。キャッチフレーズは「ウニの香り」。
その名の通りウニの名産地、そして北リアス線一の風光明媚な箇所だというが
県道が1本走る以外には何もなく駅の近くには民家もないところらしい。

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○田野畑駅
愛称「カンパネルラ駅」(言わずもがな、宮沢賢治『銀河鉄道の夜』より)。
津波では、海抜は20m近くあるものの線路上に瓦礫が散乱、駅舎内も浸水した。
写真左奥は、三陸鉄道を模した水門で、震災前からここにあるのだが、今となっては一瞬、寸断された線路と残された車両かと思ってヒヤリとする。
水門の向こうには立派な防潮堤があったらしい。

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○島越駅
コバルトブルーの美しい海水浴場。島越集落があり、このあたりは一面が民家だった。
最も激しい被害を受けた地域で、津波により、高架上にあった駅も含め集落ごと消失。
高さ10mの高架橋は崩落し、駅舎・ホーム・線路・路盤などは全て壊滅した。
旧駅舎跡地はメモリアル公園として生まれ変わるそう。

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○小本地区
左側に見える不自然な柱のようなものが、高さ12mの小本川水門。
ここでは、水門を閉めたことで流れを変えた津波がかえって市街地に流れ込んだという。
防波堤は粉々になり、人々の住む市街地は甚大な被害を受けたが、奥にある小学校は
震災の数年前に新しく建設された、高台に上がる非常階段のおかげで避難児童は無事。

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○田老地区
江戸時代の慶長三陸地震津波で町が消失、明治三陸地震(M8.5/到達最大津波15m)では人口の80%以上が亡くなり、昭和三陸地震(M8.1/同10m)で9割の住戸が流失した「津波の町」、田老町(現在は宮古市の一部)。
「万里の長城」と呼ばれた世界一の「スーパー防潮堤」で町を覆い、災害標識・避難経路・教育面などあらゆる手立てをおこない、国内外から研究者も訪れる「防災の町」として知られた。
それでも、10mの防潮堤を乗り越えた最大16mの津波は、数えられる程度の鉄筋コンクリート建物の枠組みを残して、町を流した。
湾内の防波堤は早い段階で決壊し、乙部地区は瓦礫すら残らないほどの被害だったという。
いま、住民の8割が高台移転に賛成している。

つくづく、正解などどこにもなく
ただやれる限りを備えるしかないことに愕然とする。

それでも、昨日に戻ることはできない。
ここから先には、未来しかないのだから。

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宮古駅に着いてから、空き時間で歩いて行ける市場を訪問。
高級品のいくらの売られ方に唖然としたのだった…


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