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2013/04/08

地球の舳先から vol.272
イスラエル編 vol.7(全14回)

長い一日の行程が無事終わった。
ユダヤ教の香りのまったくしない港町アッコーから、レバノン国境を見学しゴラン高原へ。
博識で頑固そうなおじいちゃんがガイド兼ドライバーで旅の道連れ。
一日じゅう車に乗り、到着したのは、キリスト教聖地巡礼の拠点となる街ティベリアス。

「山上の垂訓教会」(?)、「ペテロの再召命教会」(??)、「カペナウム会堂跡」(???)、
「ピリポ・カイザリア」(????)、「受胎告知教会」(想像つく)、「パンの奇蹟の教会」…等々。
あまり無知で外国へ行くのは良くないと思っている(知った気になるよりはマシだが)ものの
聖書を一通り読むほどの気力はなかったので、まるで話がわからない。猫に小判。
観光のためではなく、単に地理的に便利なこの場所に宿を取ったというだけだった。

最初から最後まで世話を焼きに焼いてくれた旅行会社の担当者に薦められたホテル。
お湯が出て隙間風が寒くなければ問題ないので、比較的安めの所を予約してもらっていたため
ガイドが車を寄せたホテルの看板の輝く4つ星に、うとうとしかけた疲労が吹っ飛ぶ。
「やや、ここじゃないです、ここじゃない、ディス、イズ、ノット、マイ、ホテール」…そりゃそうだ。
「知ってる。アップグレードしておいた、と聞いている。追加料金は不要」
「はい?!なぜ?!」
「疲れているだろうからとの事だ。」
「(…それは理由になっていないような気が…)」
「私も疑問だ。なぜあの会社は、こんなに君の事を厚遇してるのか?」
…わたしが聞きたい。

しかしホテルで簡単に食事でも取ろうと思っていたのに、こんな高級ホテルに
連れて来られては外に食べに行かざるを得ないではないか。
わたしは、お金が無いのだ。そして、この国の物価は高過ぎる。
外はもう暗いし、知らない街。でも、出歩いても危なそうではなかった。
せっかく来たし、もうひとふんばりするか。そう思った頃、ガイドが言った。

「夕食の事は、聞いてる?」
豆鉄砲を食らったハト的な顔をしたのだろう。ガイドが苦笑して続けた。
「ノアツアーズ(手配をお願いした旅行会社)から、プレゼントだそうだ。」

こうしてわたしは、クリスマスツリーの煌めくフロントでチェックインし、
ふかふかのじゅうたんの廊下を歩き、やたら広くて窓からはイエス・キリストが水面の上を
歩いたというティベリヤ湖を一望するホテルの部屋におさまった。
バスタブのサイドには、死海のバスソルトとアメニティ。
ベッドサイドのテーブルには、3つの瓶に入ったおつまみと、茶菓子が並んでいた。

トランジットのパリで大晦日にバレエを観に行った時のワンピースとヒールのついた靴を
引っ張り出して(イスラエルで使うとは思わなかった)、レストランへ出向く。
何十種と並ぶ豪勢なビュッフェ。お肉も卵も目の前で調理してくれる。
チーズバーに並んだチーズは約30種。クリームチーズだけで10種類以上ある。
ワインは、ガイドが奢ってくれた。わたしは本当に、彼らにとって「客」なのだろうか…。
いや、「カスタマー」じゃなくて「ゲスト」のほうの客なのだろう…。

ガイドはしきりにわたしに今日の感想を聞いた。
それもそうだろう。女一人でイスラエルに来て、無宗教で、しかもゴラン高原を巡りたいと言う。
薄気味悪いことこの上なかったのではないだろうか。
わたしはわたしで、ごりごりのシオニストっぽい彼にいろいろと質問をした。
たとえば、このホテルも、もとは病院だったというのだが、なぜそんなに病院が多いのか。
宗教と病院とは深い関係があるんじゃないか、と彼は「個人的な意見だが」と前置いて言った。
「生死はとても根源的な問題で、聖書にも、イエスが人の傷や病気を治したという話が多い。
 もちろんイスラエルが敵国や海に囲まれているという地理的な問題もあるとは思うが、
 人の命を助けるというファクターが、宗教には必要だったんじゃないだろうか。」

違和感を覚えた。とても、敬虔になんらかの宗教を信じている人の言葉には感じられなかった。
「ツヴィカさん(ガイド)は、ユダヤ教徒じゃないんだ?」
「違うよ。私はもみあげも伸ばさないし、なんでも食べる。」
君のように、無宗教ではないけれど、と言った彼の口調は、非常に穏やか。
トラベラーなら一度は聞いたことがある話(都市伝説かもしれない)だが、宗教色の強い国へ行ったら、「無宗教」というより異教でも「仏教」と答えた方がいい、という説がある。
宗教を信じている人にとっては、「無宗教であること」というのが、同じ人間と思えないほど薄気味悪いらしいから、というのがその理由だ。
「“無宗教”って、理解できないこと?」
彼は、フォークを置いて、「真剣な話をするモード」に入った。

「たとえば、私がキリスト教徒だとする。何か決断や判断をしなければならないとする。
 我々は“イエス・キリストがこう言ったから、聖書にこう書いてあるから”とそれに従う。
 でも、君は? 自分で考え、自分の意志と良心に従う。
 それは、素晴らしいことだよ。
 そして、国民のほとんどが“神”を持たず、それでも社会と平和を保っている
 日本という国は、本当に国民のレベルが高い国なんだろうと、私は思う。
 我々は、イエス・キリストを信じる。君は、自分自身を信じる。それでいいんだ。」

日本の独特の無宗教というのはしばしば自他共に「無節操」の延長線上で語られることが多い中
そんな考え方があるものかと、軽いカルチャーショックを受けたのを鮮明に覚えている。

やはりなんだかこの国は、当たり前だけれども考えさせらることが多い。
翌朝は久しぶりに、多少ゆっくりできる時間に起きれば良かった。
大の字になってもまだ余るキングサイズのベッドで、気を失うように眠った。
朝も豪華なビュッフェのレストランにはスズメがおこぼれをあずかりにやってきて
美しい湖に反射する強い朝日に目を凝らしながら、わたしたちはティベリアスの街をあとにした。

つづく

2013/04/08 08:00 | ■イスラエル | No Comments

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