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2013/04/01

地球の舳先から vol.271
イスラエル編 vol.6(全14回)

わたしの大学時代の研究テーマの1つでもあったゴラン高原PKO。
日本の自衛隊は17年にわたって参加し、ついこの間任務が終わった。
(自衛隊の撤退が決まっただけで、ゴラン高原のPKO活動は続く。)
わたしがイスラエルへ行った一番の目的はこの地。
そもそものきっかけは少し切ない個人的思い出なのだが、まあそれは昔の話。

ゴラン高原、以前の通称をシリア高原。
イスラエルはこの地を第三次中東戦争で制圧するが、シリアを始め国連も、
この地をイスラエルのものとは認めておらず、国際的にはいまだ係争地。

ここへ来られなければ、イスラエルに来る意味は無かった。
通常の観光地でもないので、専用車とガイドを手配する必要があった。
しかしあまりに物価も相場も高いので、手配は最低限の距離と日数にしていた。
だから、イスラエルの情勢が急展開で悪くなり、公共交通機関での移動は取り止めるのが
妥当だろうと判断したとき、一度は旅の延期を決断した。
さすがに2日間の長距離のフルアテンドを手配するほどの資金力は全く無かった。
が、「テルアビブやエルサレムだけの団体ツアーに乗れば危険はぐっと下がる」と言われても
10年目指してきたゴラン高原へ行けないならば、イスラエルを目指す理由がもうなかったのだ。

その後、現地旅行会社とキャンセルの手続きの話を進める中で
旅行会社は、無期限延期にも全額返金にも対応するとしたうえで
わたしが路線バスでの移動を想定していた分の行程の送迎をサービスすると言ってきた。
(送迎というほど短距離ではない。拘束時間はおよそ倍になる。)
まさに青天の霹靂だったが、お金の問題がすべてではない。
首都のテルアビブにさえ、湾岸戦争以来の空襲警報が鳴り響いたというのだ。
そうこうするうち、外務省の安全レベルは騒動の前まで引き下げられた。
こうして様々な運と、縁と、タイミングによって、ようやくわたしの旅は実現しようとしていた。

そのゴラン高原には、ある意味では、「なにもなかった」。
延々と続く、綺麗に整備された道路。兵士の姿もない。チェックポイントもない。
普通の車はもちろん、軍用車とすらほとんどすれ違わない、ただ山沿いを横断するだけの旅。

綺麗に舗装された道路。「こんなに車が少ないのに道路が整備されているんだ…」と問えば、
「イスラエルの道路はイスラエルが責任をもつ必要があるから」とガイドが言う。
「人が住んでないのに、電気が来てるの?」と、一定間隔で続く電柱と電線らしきものを指すと
「あれは電気じゃない」と返ってくる。その先の回答は、少なからずわたしの想像の斜め上を行った。
「あの電線みたいなのの下が道路みたいになってるでしょう。でもあれはコンクリートじゃない。
 侵入者を感知すると、その侵入者を“排除”する。衛星でも管理している。ここは、国境だから。」
もうとっくに、人が銃を持って撃ち合う戦争など、終わっているのかもしれない。


(電線…ではなく。)

建物やまとまった倉庫らしきものが見えるといちいちガイドは解説をしてくれたが
「あれはワインを作っているキブツ」「あれはリンゴを栽培しているキブツ」と「キブツ」に終始した。
要するにキブツしかないではないか!と思うが、これこそが実態なのだろう。
農業共同体として全世界から人々を受け入れ、自立と共生を目指すコミューンという理想を掲げて始まったキブツは、シオニズム主義の実験とも、イスラエルの国策ともいわれる。

かつてシリアやヨルダンであり、今でもシリアやヨルダンかもしれないイスラエルの主張する「国境のイスラエル側」にはキブツばかりが立ち並び、彼らが栽培するブドウやオリーブなどの畑が膨大に広がる。
「国を守るには、いろいろな方法がある。兵士になるのもそうだが、“住む”ことでも国を守れる。」
それが、ガイドによるキブツの説明だった。
占領と、実効支配。
逞しきイスラエルはワイン産業をモノにした。諸外国(ワイン先進国)での評価も高め続けている。
「戦場だったところが、今やブドウ畑!平和って素晴らしい!」…とは、やっぱり、思えない。

13世紀から現代までに渡る、戦争の痕跡もある。
十字軍がダマスカス防衛のために山の上に建てた要塞ニムロド城。
今も赤茶けた廃墟が残る、シリア軍の要塞跡や、打ち捨てられた戦車。
小高い丘の上には、モサドの元情報基地と、それを取り囲む地雷の警告板。
いつの時代になっても、争いの絶えない地。人間のやっていることも、変わらないということか。

たまに車を降りて、写真を撮る。静寂が、緑豊かな豊かな自然を包んでいた。
途中、馬だか牛だかの放牧に遇った。
放牧しているからには人間がいるのだろうが、人とは会わずじまいだった。
またしても思う。人が居なくなった場所のこの美しさは、何なのだろう。

「こんな国境沿いに住みたがる人なんていない。この街を見るといい。工業もない、大学もない。
 ここは“成功しなかった”場所。テロリズムとの戦いで、いっぱいいっぱいだった」
ようやく人の気配が見えた小さな街のマクドナルドで、ガイドは怒りに震えてそう言った。
「マックがあるなんて十分都会だけど」という口答えは、もちろん謹んだ。
ナゲットを食べたマクドナルドの屋外テラス席の横には、「ヨルダン川」の源流が流れていた。

ちなみに、ガイドはガイドで、このあたりは久しぶりらしく気ままに車を走らせていた。
マクドナルドもおごってくれたし、リンゴも買ってくれた。わたしの話はあまり聞かない。
この地では、「ドライバーを雇う」というスタンスでは居ない方がよさそうだった。
日が暮れるぎりぎりまで車を走らせ、ほとんど日没と同時にホテルに到着した。

つづく

 

2013/04/01 08:00 | ■イスラエル | No Comments

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