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2012/07/31

地球の舳先から vol.248
イラン編 vol.8(最終回)

イランへ旅立つ前、それこそ30冊以上のイラン関連の本を読んだ。
そしてわたしは、怒(いか)っていた。

どうして日本の世界史教育は、「イスラムシーア派」を「過激派」と教えるのだろう。
我々が「過激派」といって想像するのは、おそらくタリバンやアルカイダ等が具体例だが
それらは、「穏健派」と教科書に書かれる「スンニ派」である。
イランは200年以上も、自分から他国に侵略戦争を仕掛けていない唯一の国である。
 
どうしてイランを、「核の国」の代名詞のように報じるのだろう。
核問題は「核エネルギー」と「核兵器」を混同すると話が全然変わるはずなのに、
あえてそれを混同するようなこの報道は、誰がコントロールしているのか。
イランは核兵器を保有していない、とは、「アメリカの」レポートにすらある。
それどころか、アメリカは核を持っているインドもパキスタンもイスラエルも黙認しているが
それらの国が開発やら保有をしているのは、例外なく核「兵器」のほうである。
ちなみにイランは核不拡散条約(NPT)のメンバーであり
NPTでは、米、露、英、仏、中の5か国を「核兵器国」と定めている。

…世界中から嫌われるアメリカという国を思って、キューバに住んでいた頃を思い出していた。
実際、テヘランからエスファハンへ向かうイラン2日目で、
わたしはこの国がどこかしらキューバと似ている、と感じていた。

かたや、中東のオイルマネーの国。
かたや、いまだ配給制度で成り立つ貧しい中米の農業国。
そして、かたや「イスラム共和国」を国名につけるほどの宗教国。
かたやキューバは宗教を禁じるマルクス主義の社会主義国。
一見正反対で、どんな共通点があるというのか、と、いわれるだろう。

イランは、白色革命(イスラム革命)で軍が実質上の実権を奪取し
キューバは、キューバ革命で軍事的に政権を奪取した。
どちらも、アメリカの傀儡といわれた政権を倒した「革命」の記憶が残っている。

その記憶から、中高年層や地方では一定の支持をもちつつも、リベラルな都市部では人気がイマイチな点も、カストロ政権にもアフマディネジャド政権にもいえる。
両者ともにアメリカからの経済制裁を受けながらも国民はアメリカ文化を好み、
宗教警察の指導下にありながらファッションもギリギリのところで楽しむイラン、
公安的監視機関がありながら制限ギリギリにあっけらかんと花を咲かせるキューバ。
わたしのなかでは、ふたつの国が交差した。

ひとことで言えば、イランという国にある種の共感と、懐かしさを覚えたのだった。

イランがいまだ難しい局面にある点は否めない。
イスラエルとの対立問題を抱えるばかりか、周辺のアラブ諸国とも蜜月とは言えない。
イラン人は「ペルシア」を自称しており、「アラブ」と混同されると怒り狂う。
エミレーツ航空の地図の「アラビア湾」という表記を「ペルシャ湾」にしろと猛烈抗議した過去もあれば(現在、該当の湾に名前は書かれていないようだった)、
人々の見た目もヨーロッパやロシア寄りの風貌で、およそ「中東」とは一線を感じる。

しかしそれらはいずれも、”外からみた”イランの、ポジショニング論に過ぎない。
わたしの旅したイランは、そんな政治をさておいた不思議の国だった。
とてつもない親日国で、日本人といえばスプライトの値段すら値引いてくれ、物価も安い。
食事は(毎日食べるには油っこいが)美味しく、お酒が飲めないのは難点だが
テヘランから飛び立った途端スチュワーデスにワインをねだるイラン人たちは憎めない。
テヘランにはドバイ中心部と見紛うような超高層マンションが立ち並び
「経済制裁」という言葉とはかけ離れた印象を持つ。
一方で、観光消費されきっていない、息を呑むような世界遺産がある。
治安も、勿論地域によるがこれまで旅した国の中でも指折り数えるほどに良く、
人々にはどこへ行っても親切にもてなしてもらった。

そしてわたしは今一度、日本人である自分を見つめなおすこととなった。
どうしてイラン人がこんなに日本人に親切にしてくれるのかといえば、
長い歴史の局面という局面で、日本はイランを助け続けてきたのだという。
時の損得勘定に基づいたものだったとしても、わたしたちは、先人が築き続けてきた
「日本人」という血を生きているのだ。
人種や文化に大差のない、いまだ隔離されたような日本という国に生きていると、
そのことを忘れそうになるけれども。
「イランといえば」で画一的に報道される現実は、勿論ものごとの一面にしか過ぎない。
しかし日本にいながらして「本質を見極めよ」とは、無茶に近い無理難題でもある。

楽しくて、おもしろおかしくて、とにかく笑いの絶えない旅行だったにもかかわらず、
帰国後、一緒に行ったちえさんもこう言っていた。
「日本のなかで生きていること、危機意識のなさだったり、周囲(海外含めて)に無関心で
 いることの罪を痛感した。これを経て、自分の生きる国のことを考えたいと思っています。」
外から言われる「イラン」と、わたしたちが歩いた「イラン」の印象の溝は一向に埋まらない。

わたしにもいまだ、答えが出ていない。
偏見も、澱のように積もった無意識下の印象までをも含めて、
それが、いまの「わたし」という人間のフィルターなのだろう。
この目で見たものでさえも、大きな大きな氷山の一角にすぎないのだと、そう思った。

だから、きっとまた旅をする。
見果てぬ世界を見るため、というよりは、自分の小ささを再認識するために。

おわり。


イランの地でわたしたちを助けてくれたすべてのイラン人、駐在日本人の方々に感謝します。

2012/07/31 08:00 | ■イラン | No Comments

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