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2012/06/09

地球の舳先から vol.241
イラン編 vol.1

イランへ行くことを決めたのは、まだ冬も真っ盛りな頃。
大学時代の友人がなぜかテヘランで働いていて、そんな縁でも
なければ一生いくこともないかもしれない国なので、即刻アテンドをお願いした。
結局、休みまで取ってアテンドしてくれたのだから、有難い限りである…

イランへの道は、友人に「そんなとこ行けるの?!」と言われたように
険しいようで、そこまででもない。
白金の一等地にはイラン大使館があり、それは日本とイランの国交が正常な証拠で、
しかもその大使館は、ちょっと引くぐらい立派な綺麗な建物だった。
ビザの申請で初めてチャリで乗り付けた際の、
「経済制裁どうこうって言ってるけど、実は金持ちなんじゃないのかこの国は…」
というのがわたしのイランに対する第一印象。
かくしてこの印象が間違っていなかったことを、わたしは後々、肌で知ることになる。

日本からイランへ行く場合、もっとも簡単な「eビザ」というシステムが現在使えず、
旅行代理店経由でビザを取るか、もしくは現地にいる友人や知人から、
現地イランの外務省宛に、紹介状というか申請を出してもらわなければならない。
前者の手段が残されている限り、イランへの道は万人に開かれているわけだが、
手数料が滅法高い。(おそらくは、賄賂込みではないだろうか。←あくまでこれは憶測。)
わたしたち(わたしにしては珍しい、同行者のいる旅。相棒は、大学時代の友人ちえさんだ)
は、うまいこと現地で働くM氏が手を回してくれたので、ビザは1週間きっかりで出た。

写真入りで、パスポートにべったり貼り付けられたビザを受け取り、
またひとつ旅先を選ばねばならなくなったことを実感。
…つまりこの時点ではまだ、わたし自身すらイランを「ちょっとヤバい国」と認識していた。
右寄りでバランス感覚溢れるちえさんの相方にすら、「本当に大丈夫なの?」と言われた。
我々の民度の問題か、というと、そう単純な問題でもなく
つまり日本に居ては、“そういう方向”に偏向された情報しか入ってこない、ということである。

航空券こそ先にとってあったものの、ビザが取れるまでは渡航できるかどうか
半信半疑だったわたしは、それから火がついたようにイランの情報収集につとめた。
図書館で借りた本の履歴はイラン関係ばかりが30冊も並び、あやしい限りである。
勉強になったのは宮本律さんの本
イランを擁護するばかりでなく「自業自得」と言いながら、近代イランの政治、歴史、文化と
多岐にわたる紹介を、すごく平易な言葉でしてくれる。
逆に、イラン関係の書物においては「親米・反イラン」のものを探すのに苦労した。
世界中から嫌われているのがアメリカやイスラエルという国の特徴だが、日本においても
アメリカやイスラエルを擁護・支持する書物を探すのにはずいぶん時間をかけた。
が、この中に、わたしが文句なくダントツでベストをつけたい本を見つけた。

「ホメイニ師の賓客」
ホメイニとは、かつてのイランの最高指導者であり、イスラム体制を作ったイラン革命の中心人物。
つまり今のイランはホメイニ師とは切っても切れない。
この本は、イスラム教革命の前後に起こった、イランによるアメリカ大使館占拠・人質事件を、
開放されたアメリカ側関係者への緻密なインタビューにより書籍化した秀逸なドキュメンタリー。
「人質事件」というと、軽い響きすらするが、この監禁は解放までに444日もかかり、
カーター大統領時代のアメリカの政治を大きく動かした事件である。
ここで描かれるイラン人は稚拙で単純で、暴力的ながらも腰抜け(ネコパンチ的な何か)で、
アメリカ人の人質側からイランを見た視点は非常に新鮮なものだった。

こうしてわたしは、もう250年も他国に侵略戦争を仕掛けたことのないイランの歴史と、
周辺の濃すぎる人物、宗教の奥深さにハマってゆき、
完全に「耳年増」状態でイラン入りのその日を迎えることになったのだった。

つづく

2012/06/09 12:00 | ■イラン | No Comments

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