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地球の舳先から vol.240
東北/被災地 定点 vol.7(最終回)
鹿折から、内湾を抜け、南気仙沼地域に入った。
津波被害が大きかったため、急に開ける視界。
しかし更地になりきるわけでもなく、ところどころ残る建物。
立派な二世帯住宅、河北新報のビル、7階建ての病院、魚市場――
ひとつひとつに、エピソードがすぐに浮かんでくる。
“あの日”のことを様々に、気仙沼の人たちから聞いてきたことに気付く。
移転が決まった店舗もあり、さらに人の気配が消えたようにも感じる。
たまにすれ違う車の音以外は、鳥の声と、自分が乗った自転車の走るタイヤの音だけ。
5ヶ月前、参加した気仙沼気楽会のツアーは、このあたりを重点的に回った。
旧店舗の跡地で話をしてくれた小山さんは、内陸の別の場所にコヤマ菓子店を出店した。
磯屋水産の安藤さんが自費でかさ上げしたかつての店舗には、移転を伝える看板が立っている。
マルケイの鈴木さんの住居兼店舗は、重機が入って、取り壊しが始まった。
より人の居なくなったこの地は、それはそれで寂しかった。
…こんなことを思うのは、不適切なのだろう。
自転車が砂利を踏みしめて進む音を聞きながらしばらく行くと、
偶然、気楽会の一行に出会った。手製の船のイラストの旗と、久しぶりの面々。
ほんの少しの時間だったが、みなさん元気そうで、会えてよかったと思った。
進んでいるのだ。とにもかくにも、前へと。
変化の無い日など一日たりとも無く、
その変化のすべてが、例外なく前へと向かっているのだろう。
地盤沈下の影響で、ポコポコと気泡が浮かんでは海水が浸み出してくる場所も、
いまだ片付けられることなく大漁のカラスやカモメの溜まり場になった場所もあった。
市の計画はまだ大雑把な計画にすぎず、自分の土地がどうなるのか分からない、
地面のかさ上げや防波堤設置の是非すら協議段階だ、と人は言う。
この地を去って行った人たちは決して少なくなく、
人が居なくなることで復興が遅れるという負の連鎖も、地域によっては存在する。
それでも、ここに留まった人たちはたくさん居る。
残された土地に囲いと屋根をつけ、生活を、商売を始めた。
それは単に、「官の遅さ」や「民のたくましさ」というだけの問題なのだろうか?
「復旧から復興へ」
聞き飽きた、当たり前のようなスローガン。
がれきを片付ける。それから、土地をならす。そのうえに、建物を建てる。
そういう”段階”を、どうしたって想像する。
しかし、「1が整備されなければ2にいけない」という考えは、
なんと不自由ない環境で生きてきたために形成された思考回路なのだろう。
復興が、復旧を追い越すことがあるのだ。
わたしは今回の旅で、それを知った。
人の、生きる姿を。
街を、もとに戻すのではなく、新しい街ができていく過程を。
間接的にでもこの目で見ていきたい、と思った。