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2011/12/19

地球の舳先から vol.218
東北/被災地 定点 vol.5(全10回)

志津川から、3本のバスを乗り継いでわたしは無事、気仙沼へ到着した。
運休になって久しい気仙沼線本吉駅で、代替バスの車体を取り替えるから待つよう手短に指示した運転手が、どこからか出てきた2匹のきれいで丸々とした猫を指差して言った。
「駅はもう、開いてないけど。あの猫、茶色いほうが駅長って呼ばれてるんですよ。
黒いほうが、社員。よかったら写真、撮っていって」
駅長は器用にわたしのカバンの中を勝手に漁り、社員はごろごろと足元にまとわりつく。
わたしは、カニカマを持ってこなかったことを後悔し、「駅長」と呼びかけてカメラ目線をいただいた。

 

最終目的地の気仙沼市役所前に無事、ほぼ定刻に到着したバスから降りると、気楽会の手作りのツアー旗をもったメンバーと、参加者、それからメディアの記者やカメラが集まっていた。
「気仙沼気楽会」は、気仙沼の若者が“いまの気仙沼観光マップ”を案内する有志のグループ。
この日11時に集合して、16時までみっちりと徒歩だけで気仙沼を回る。

 

気仙沼市役所から商店街へ降り、気楽会メンバーの斉藤さんの実家の茶屋からスタート。
1500の事業所のうち、1400が被災したというこの地域は、自衛隊が捜索活動にあたった証である丸印や「CR」という文字がすべての建物に赤々と記されていて、まだ瓦礫が建屋内に残る棟も。
立て壊しの申請はしているものの、順番を待つ期間が長く続いているのだという。
プレハブ小屋では、遅ればせながら仮設商店街の設営が始まっていた。
「食べていくだけなら、今現在に限ればできるけれど、
毎日仕事をしていないとやっぱり、なんだか生きている実感がないというか…」

 

南気仙沼地区は、地盤沈下によりあちこちが冠水していた。
車通りは多いが、信号は無く、大きな交差点には警官が立っているものの、危ない。
漁港に出ると、船がたくさん停泊していた。
「ライトがいっぱいついているのが、サンマ船。竿がいっぱいついているのがカツオ船。」
カツオは一本釣りだから、と、内陸で育ったわたしに気楽会のメンバーが説明してくれる。
「気仙沼は、加工の町。ここにいた97%の船が流されました。
残った船をかき集めて、ある漁師さんはすぐに漁に出て、サメが大量だった。
でも、加工ができないから気仙沼では水揚げできずに千葉に行って、損失はマイナス100万円。
それでも、水揚げしたあと、また漁に出るって言った。
すこしでも気仙沼の経済が動くなら、そこから復興が始まるのだから、って。」

 

プレオープンを迎えた、プレハブの飲食店が並ぶ「復興屋台村」で昼食タイム。
お客さんは多く、ランチタイムには満員で入れない店も多数。
まぐろ丼の店で、なかおち、中とろ、ねぎとろの3種盛りの丼をいただく。
屋台村の委員長、岩手佳代子さんに元気な笑顔の挨拶をもらい、
動き始めた街に希望を見て、参加者の心がこの日はじめてゆるんだ瞬間だった。

 

それでも、向かいのフェリーポートは桟橋が崩れて海に突き刺さったままで、
信号や避難所を示す立て看板が折れ曲がって地面に突き刺さっている。

午後はもっとも被害が大きく、船に積んだ重油で大規模火災にも見舞われた鹿折地区を歩いた。
大きな瓦礫は、同じだけ片付けられているはずなのに、この地域に漂う空気はまるで違う。
あらゆるところに、人力では動かせない船や、まだ解体できず歪んだままの建物が続く。
その中には、気楽会のメンバーの親戚が営んでいたという旅館もあった。
「身内からしてみたら、早く壊してもらいたい」と彼は言った。

 

高台であり、避難場所でもあった鹿折唐桑駅は波に呑まれ、もう電車は走っていない。
津波の大きさを”後から”思えば、実にさりげない程度の高度しかないのだった。
そして、建物という建物がなくなった今でさえ、海の水面をのぞむのが難しいほど離れたこの鹿折唐桑駅の目の前に、300トン級もの巨大な漁船が乗り上げていた。
もう動かしようもないという事情もあるのだろうが、ここを震災のメモリアルパークに、とする声もあがっているという。

 

電車が通らなくなった鹿折唐桑駅から線路の上を歩き、丘を上がる。
途中で立ち寄った「すがとよ酒店」のご主人は、震災以降、まだ帰らない。
今は息子たちが店を切り盛りし、女将の菅原文子さんが知人の勧めで書いて応募したご主人への手紙が「恋文大賞」を受賞した。この応募原作は現在、店内に展示してある。
同行していた記者の「ご主人はおいくつだったのですか」の問いに、文子さんは「数日前に、63になりました」と答えた。

 

スタート地点である斉藤さんのお茶屋に帰ってきたのは日も暮れかけた頃。
斉藤さんとお母さんが出してくれたお菓子とお茶をすすって、夕方の風で冷たくなった体を温める。
外は強い風が吹いていて、来るべき冬の足音を予感させた。
結論どころか個人的な感想を心の中でまとめることすらできないくらい、
目に映る光景の非現実さに彷徨う一方、被災地を初めて目にしたときの絶望感は薄れていた。

 

人がいなくならない限り、町は死なない。
1日かけて、この地の人たちに会って、話を聞いて得たわたしの結論がそれだった。

次回からは、気楽会のツアーで出会った人々の話を個別に紹介していきたいと思う。

つづく


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