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インド旅行記 vol.7(最終回)
コルカタを離れる日。
庶民(といっても私が触れ合えるのは中流階級なのだが)の生活にすっかり馴染んでいた。
床に座って、バナナの葉っぱをお皿にしていただくカレー味の料理も。
風呂上りが一番機嫌よく、トランクス一丁でふんふん鼻歌を歌うお父さんにも。
出発は夜だったので、マザーハウスへ寄って挨拶をしていくことにした。
そこで私ははじめて、マザーが今もそこに眠る礼拝堂に入った。
だれでももちろん無料で入ることは出来るのだが、無宗教の私が足を踏み入れるのは、何かが違う気がしていたからだ。
靴を脱いで、足を踏み入れる。
目の合ったシスターがにっこり微笑みかけてくる。
マザーテレサの棺が綺麗にバラで飾られている。
淡い光が差し込むその場所で、私はゆっくり歩いて近づいた棺の端っこのほうに、唇を触れさせる。
控えめに光を放つろうそくが綺麗だった。
姿勢をもとに戻し、しばし礼拝堂のなかを歩いていると、訪れた人が皆、棺にキスをして敬愛を示している。
そのとき初めて、わたしは自分の異変に気付いた。
人々の礼をあらわす仕草を見ながら、なぜわたしはついさっき、あれと同じことをしたのだろうと思ったのだ。
礼拝堂の中は空いていて、前の人を見習ったというわけではなかった。
加えて、教会に行ったこともないわたしが、キリスト教なりのルールや慣習マナーを知っているはずもない。
でもなぜかあのときは、それがあらかじめ知っていることであるかのように、自然に起きた行動だった。
不思議に思う気持ちはしかし動揺することもなく。
それが普通であると思えるだけの、雰囲気があった。
礼拝堂を出て、初日にボランティア登録をしたときに貰った、マザーハウスのペンダントトップを取り出す。
極力原価の安い、アルミでできた薄い薄い楕円形に、マザーの像が彫られている。
この軽さを、彼女たちは清貧と呼んだのだろう。
ステイ先に戻り、部屋の掃除をして、初めてここへ来たときにあったチェスとの位置にマザーテレサの伝記を戻す。
スーツケースに鍵をかけると、お母さんがやってきて、チャパーティーを紙に包んでくれた。
「インドの飛行機は、何時間遅れるかわからないからね」
そう言って、笑う。
がらんどうな空港へ行き、案内ボードを見て驚いた。
12時間前に経っているはずのエア・インディア機が、まだ空港にも到着していない。
私はクアラルンプール経由の、マレーシア航空。
出発前は、直行便のエア・インディアを取りたいと希望を出していたのだが、
「う~ん…かかる時間は、結局同じだと思いますけどねえ」
と言った旅行代理店の担当者の言葉が蘇る。
私を乗せたマレーシア航空は、ほとんど定時で飛び立った。
帰国後数日して、渋谷で偶然、マザーの施設の証である青い三本線のサリーを着た女性を見た。
どこか神々しいそのオーラとすれ違いながら、どこかで宗教をすべて一緒くたに胡散臭いと嫌悪していた自分の、狭さを知った。
end