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2017/03/16

地球の舳先から vol.368
東北2017春 編

はじめて、3/11という日を、あの日に被災した地ですごした。
行く勇気が無かったというのもあるし、
自分の中で3/11という日を「イベントごと」化することに
はげしい抵抗があった、ということもある。
ただ、去年、はじめて気仙沼の仮設住宅にお邪魔し
行ってよかったと、心から思った。
だからそろそろ、行くことにした。

翌日帰る東京での用事のための大荷物を抱えて、今回も駅前の観光案内所で
電動自動車「パワーだんとつ かじき号」を借り、街中をふらふらしていると
友人に会い、安波山という高台へ連れて行ってくれた。

キラキラした春の光に、東北で人が住んでいる島としては最大の「大島」
へと架かる、これまた東北で最大の橋の架橋工事が大詰めで、
巨大なサルベージ船が鎮座している。
見た記憶のない山肌は、盛土かさ上げ工事のため切り出したものかもしれない。
郊外のニュータウンのように、所狭しと立ち並ぶ集合住宅。
見たことのない光景ばかりだった。

午後は市主催の追悼式と、昨年うかがった公営住宅での追悼集会に参加した。
見た目をどんなにつくりかえても、心が癒えることはきっとないのだろう。
「6年が経った」のではなく、辛苦のなかの1日1日が、2,193回おとずれたのだ。
そしてそれは今日もまた1日1日、ふえていく一方で
「時が解決する」ことなんて無いのだと、思わざるを得なかった。
会場を出ると、吹雪が横向きに吹き付けていた。
こんな寒い中で水をかぶった人がいると思うと、堪えきれなかった。

夜、海町を歩きながら、2011年秋にはじめて気仙沼へ来たときのことを思い出した。
年に何度か来ている場所だけれど、改めてその頃を思い出すと、夜の明るさに驚く。
その光は、ここの地であれから生きてきた人たちが作ってきたものだった。
震災間もなくから唯一煌々と赤い光を灯し、県外人すらほっとさせていた復興屋台村
「気仙沼横丁」は、今週で閉村する。
移転先は決まっていないお店がほとんどで、事業継続するかどうかも未定だという。

新しくできるもの、なくなるもの。
そうやって目に見えているものは氷山のほんの一角で、

その狭間に「どうなるかわからないもの」が膨大に漂っている。

その現実を見てきたのがこの1日だったかもしれない。

(だからわたしは、国立劇場からの中継を気仙沼市民体育館で聞いていた首相のスピーチに、最初は首をかしげ、最後はあいた口がふさがらなくなったのだろう。)

自分のなかでも、少し書き残しておかなければならないな、と反省した。
行っただけで、薄れる記憶とともに記録をしていない土地も多い。
去年だけでも、東松島、山田町、田野畑、田老、宮古。(そして気仙沼に5回)
そして今年は、いま一度、これまで行ってきたところを再訪しようと誓った。
名取、閖上、塩釜、東松島、石巻、女川、南三陸、陸前高田、久慈…
もう一度、三陸海岸を回ってみよう。すこしずつ。

↓ 粋なものいただいたので、いつもお財布に入れてます。