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カナダ旅行記 vol.3(最終回)
最後の晩に、数百枚の年賀状の最後の1枚を書き終えた。
山小屋で暖をとる間に、せっせと年賀状を書いていたのだ。
最終日にはもう、私はオーロラを見ることは諦めていたし、
よし、次はフィンランドだな、とも思っていた。
それから、懐中電灯を持って、外へ出た。
しかし、歩をすすめる気には、なれなかった。
樹海で死ぬ人間の状態が、よくわかったような気がする(入ったことはないが)。
360度、すべてが同じ景色に見えて、一歩歩けばどこから来たのかわからなくなる。
おまけに、かさかさ言う小動物の足音や、もうちょっと大きそうな生き物の呼吸が聞こえたりもする。
あの地で、自然は決して広大なものではなかった。
広く遠くまで続いているからこそ、自分の手の届く半径のところだけが、世界だった。
そこに取り残されることを思うとき、自分は異常なまでに小さく頼りないが、
それは逆に、自分以外を中心に据えることは考えられない、究極の利己でもあった。
空を見上げても、景色は変わらない。
そのことが救いなのか、残酷なのか、わからなかった。
懐中電灯をつければ、すぐそばにある木の葉だけが、照らされた。
虎とかアルパカとか、もしくはもっとわけのわからない動物に、食われるかも。
そう思いながら、防水もきいたウェアで、雪の中に寝た。
高いはずの空がどのへんにあるのかさえ、暗闇の中ではわからない。
孤独は、ひとりになることではなく、自分しか居ない、ということなのだろう。
山小屋の明かりのそばまで、戻った。
ほんのすこしの明かりがあってはじめて見えるものもある。
空気のなか一面を、ダイヤモンドダストが舞っていた。
end
カナダ旅行記 vol.2(全2回)
結論から言おう。
毎日毎日、待てども待てども、ついにオーロラを見ることはできなかった。(!)
わずか数%の、運の悪さに当たったのである。
オーロラ観測を主目的とする、今回のツアー。
よって一日の行動の主役は、深夜12時にはじまる。
ホテルのクローゼットに収納してある、オーロラ観測専用の衣類。
自衛隊の短靴か、と思える頑丈なブーツに、つなぎのような全身防寒具、手袋。
マイナス十何度、という世界が想像できずにびびっていたが、今年は暖冬ということもあり
そこまでの極寒を体験することもなかった。
昼間はだいたい3~4度、夜はウィンドチルを含めてもマイナス8度くらい。
その影響か、積雪は数センチ。スキー場は閉鎖。
こんなところでも異常気象である。
まず、深夜の12時になると、ホテルのロビーに集合して山小屋に向かう。
これがホントの、丸太を切って積み上げたような山小屋である。
山小屋にはもちろん、町の明かりは届かない。
そこで暖炉を燃して、温かい飲み物とちょっとしたおやつで、ひたすら待つのである。
たまに、山小屋オーナーが森林探検を主催してくれたり、ジャズバンドを呼んでくれた日もあった。
そして偶然にも、あの「お父さん」こと伊藤史朗さんとテレビクルーと一緒だった。
伊藤さん御一行も、オーロラ観測の番組を撮影に来ていたのだがやはり見ることはできず、
あまりガードも堅くないなか、毎晩一緒の山小屋で来ないオーロラを待ち続けたのも今となってはいい思い出だったりもする。
こうして、出ないオーロラを待ち続けて3時すぎにホテルへ帰る。
時差ぼけを是正したのが無意味なほどの昼夜逆転生活で、昼間は常に眠かった。
そしてオーロラを見る以外には何もすることがない。
町という町はないし、ホテルのまわりには何も見るものもない。
昼間は、人生初の犬ぞり体験もした。
機械のようにちゃんと走るわけもないことを知った。
まだ荷を引くのには早すぎるような生後8か月の子犬もいた。
よそ見をしてばかりで、引きずられていく犬もいる。
途中で喧嘩を始める犬もいて、マッシャーと呼ばれる犬ぞり使いが調整する。
犬ぞりの話をすこし。
犬ぞりは現在では交通手段というより主にレースに使われるそう。
世界一過酷なレースといわれている「ユーコンクエスト」では、
アラスカのフェアバンクス~カナダのホワイトホースまで、約1600キロを11~20日かけて走り、途中で犬の交換はできない。
14頭で引くのだが、途中で脱落する犬も多く、ゴール時に7匹以上の犬がそろっていないと失格との事。
3人で来たことが救いだった。
とりとめのない話ばかり、よくしていた。
とりとめのない話をする機会など、なかったことにも気づく。
なにかを待つことだけに時間を費やすなんて、そうそうない過ごし方だった。
時間が、一定の速度でゆっくりと流れていた。
つづく
カナダ旅行記 vol.1(全3回)
パッケージツアーは、久しぶりだった。
だれかと旅をするのも、久しぶりだった。
まず、私が行きたいところを言っても、あまり一緒に行ってくれる人がいない。
そんなことを繰り返すうち、1人の気ままな旅が好きになっていた。
他人との旅行だと、よほど気ごころが知れていない限り、朝食に何を食べる、とか、次にどこへ行く、とかそういうひとつひとつの小さな事まで気遣いが生まれてしまうからだ。
今回の旅は、カナダ。
オーロラを見に行くことが目的だった。
12月29日という、最大の繁忙期に出発する。
大学時代のサークルの先輩と、その同期(こちらは偶然にも大学の先輩)と、3人。
よく3人で鍋なども囲む、それこそ「気ごころ知れた」メンツだった。
前評によれば、オーロラが見られる確率は90%以上。
よほどの運の悪い人でなければ、まず間違いなく、…のはずだった。
添乗員までいるパッケージツアーに、知れた仲間との旅は、いろんな緊張を緩くさせる。
カナダへ向かっているのか、ちょっと箱根に向かっているのかすら、よくわからなくなってもくる。
そんななかで待ち受けていたのが、まず行きの飛行機での洗礼だった。
揺れた、のである。
わたしが経験したもっともひどい飛行機体験は、高校2年生の時のノースウェスト航空だった。
乱気流に揺れまくり、隣のガイジンに
「シートベルトを締めないと、天井に頭を強打するよ」
と脅しをかけられるほどの、揺れだった。
しかし、それよりもひどかった。
後で、ツアーの参加者と添乗員の話から知ったことだが、どうも機体を雷が直撃していたらしい。
一瞬だけ写った、避雷針に雷が当たる映像を見たという人もいた。
とにかく何が何だかわからぬまま、機体は上下左右に揺れまくる。
しかもそれが、一時の乱気流とは思えないくらいの間、続いたのだ。
最初は「キャー」とか「フー」とか、悲鳴や歓声に包まれていた機内も、
あまりに続く揺れに、乗客は「これ、マジでヤバいような…」と思い始め、シーンとなっていく。
私には、あの静寂のほうがリアルに恐怖だった。
やがては揺れも当然おさまり、カナダの地を踏む。
私たちが向かっていたのは、陸の孤島だった。
オーロラは、たとえどんなに遠くだとしても街の明かりが届くようなところでは綺麗に見られないのだという。
完全な闇の中で観測するため、ツアー客を乗せたバスは未開の地を切り開くようにして街から離れていく。
「東京は、夜でも雲が白いんだね」
そういった、いつかの友人の言葉を思い出した。
東京は、常に光が絶えることがない。
だからその光を反射して真夜中でも雲は白く見え、完全な真っ暗闇というものがないのだという。
そんなもんか、と、それを聞いて感心したおぼえがある。
「白い雲」が当たり前になっているトーキョー人は、やはり何かしら異常なのだろう。
ぽつんぽつんと住宅があるうちは、クリスマスの名残りを楽しんだ。
家々の庭が非常に広いので、ちょっとした遊園地のように庭全体をクリスマスの装飾が覆っていた。
天使がいたり、マリア像があったり。家や木々を模したイルミネーションが続いた。
そのうち、バスはだんだん、徐行運転になる。
それもそのはずだった。
外灯もなく、道なき道のようなところも通っていく。雪も徐々に深くなっていた。
ふと明かりが見え、大きな道路がひらけた、と思ったとき、ホテルが1棟、そびえていた。
オーロラを見に来る観光客のために、町にひとつ建てられた大型ホテルだった。
吹き抜けのアトリウムにはジャグジーと小さなプールもある。
何もない街で、とりあえずは時差ボケを是正するため、しばしの睡眠にありついた。
つづく