地球の舳先から vol.361
屋久島編 vol.4(最終回)
信頼筋が薦めるので、泊まってきた。
泊まってきた、というより、体験してきた、に近い。
予約直後からの、細々した丁寧な連絡に、心くばり。
チェックインの時間は、お客さんが屋久島に来た時間だといって
朝早くなのに、ホテルまでの送迎車を出してくれるという。
トレッキングを予約していたのでレンタル品の問い合わせをするが、
その対応がなんとも、柔軟というか、システム化されていないというか、
「屋久島滞在“全般”において必要なことが無いか、あればホテルがそれを手伝う」
というスタンス。
しかし飾りすぎず、お客様様様様様な過剰なサービスではない。
まだ屋久島に行く1か月も前から、すでにホテルのファンになっていた。
あとで聞いた話だが、このホテルにはマニュアルが無いのだという。
送迎車が着くと、総出でお出迎え。
コック帽の人もいたので、その時間いる人が皆出てくるらしい。
こればかりは、ぎょっとするというかやりすぎというか、あまりうれしくはない。
それ以外は、アットホームな人たちばかりで、リラックスできる。
そして、いつどこへ行っても会うスタッフが皆、客の顔と名前が一致している。
どこでどう共有しているのか、不明。
悪いことできないなと思う。(しないけど)
チェックイン手続きにやってきたスタッフの私の予約メモには
びっしりと何事か書き込んである。そんなに、なんの情報が?!
ホテルマンたちは皆どこかしら洒脱な身のこなし。
このホテルで働きたくて県外から来るらしい。
水平線を眺める目の前に広がる一面の海・・・
は、そこが海であることが判別できないほどの大雨に見舞われ
プールで泳いだりプールサイドのテラスでごろごろすることは叶わないが
ライブラリーに置いてある本のセレクションがまさに絶妙で
ドリンク類(ビールも)フリー。何時間でもいられそう。
ライブラリーラウンジでチェックイン手続きをするが、このときは
地元の素材を使ったウェルカムドリンクを作ってくれる。
当然泡々したものを期待したが、これからトレッキングに行くことを
把握されているため、梅ジュースである。しょぼん。
全室が棟建てのヴィラで、一番狭い部屋でも大きなリビングに
マッサージベッドまでが完備されている。お茶は8種類。
バスルームは大きな鏡に、バスタブのほかにシャワールームも別にある。
アメニティはTHANN(ブランドのセレクションが、また絶妙)で
バスルームとシャワールームにそれぞれ香りの違う2種が用意されている。
浴槽に入れるハーブのマッサージボール。
ホテル謹製のスキンケアセットと、石鹸には持ち帰り用のバッグ。
冷蔵庫内の飲み物はもちろんフリー(ビールも ←しつこい)、
ターンダウンサービスには、木の葉に添えたチョコレートがつき
キャンドルで焚かれたアロマの香りが漂う。
(ターンダウンが不要の場合は、ドアの前に亀の置物を置いておく仕組み)
徹底して、色々なリゾートホテルの名物サービスを研究してきている。
この日は天候による欠航便も多く、お客さんの数が減ったからなのか、
よく飲むやつと踏まれたのか、上階のフレンチへアップグレードされていた。
オープンキッチン、その先に広がる屋久島の濃い緑がだんだん更けていく様は
ここがどこだかわからなくなる静謐さ。
料理は勿論屋久島の素材を沢山取り入れて、ペアリングはブルゴーニュ中心。
なんにも言わなくても、ペースと反応をソムリエさんがちらちら見ている。
最初のシャンパンから、某有名メーカーの、珍しい銘柄。
白とリースリングを往復して、お肉にはピノ。
チーズはワゴンサービスみたいに、7種類から好きなものを好きなだけ選ぶ。
ようやく口を開いて、白の重いめを頼んだら、安定のムルソー。
あー飲み過ぎた。知ーらない。ってなる。
でも、悪酔いをしないのが高いワイン。熟睡。
朝ごはんは、卓上でブッフェが展開される。ご自慢のパンは、7種類も。
「取りに行く方式のブッフェ」を、きっとホテルは絵的に嫌ったのだろう。
パンは、バターやジャムを塗って食べるもの以外は包んでもらった。
ちなみにわたしはこの日の昼も、競技後の夕食も、その翌日の朝も、
このパンだけで過ごした。このホテルさえあれば、もう何もいらない。
チェックアウト後に続く行程も、スタッフがこまごまと調整をしてくれる。
お土産にホテル謹製の パウンドケーキ型のオレンジブリオッシュを持たされ
空港まで送られた。
絶対また来ると思う。
地球の舳先から vol.360
屋久島編 vol.3
避けて通れない話。
今回の屋久島旅は、最初から雲行きが怪しかった。
文字通り、「雲行き」が。
最初に心配したのは台風である。
屋久島在住日高さんのコラムから、屋久島における「台風」が
我々の知っている「台風」とは別物なことは予習済。
例年よりはるかに早く台風の影が見え始めたが、持ちそうだった。
それを確認して、わたしは安心しきっていたのだ。
6時40分発のJALからまず鹿児島空港行き便の条件付運航の知らせが来る。
チェックイン時に再度、「悪天候時は羽田に引き返しもしくは福岡空港へ
行きます。いいですか」と迫られる。
全然よくないが、いいですと答えないと乗せてもらえないから仕方ない。
無事に経由地の鹿児島空港から屋久島までのフライトも飛んだのだが、
どうやら運が良かっただけらしい。
屋久島空港は着陸がレーダーではなくパイロットの目視らしく(驚愕)
滑走路も短いため、厚めの雲ですぐに着陸不能になるのだそうだ。
この日も、鹿児島から1日に5便飛ぶうち、3便が欠航。
福岡からの便は、屋久島上空で随分待機した後、断念して引き返した。
そしてわたしが大会で嵐の中泳いでいた日は5便中4便が欠航し、
最後の1便も偶然15分ほど雲のどいた時、瞬間着陸したらしい。
空港では、慣れきったグランドスタッフがプリントを手渡してくる。
そこには、鹿児島へ行く船便のタイムスケジュールと翌日の残席数、
鹿児島港から空港までのリムジンバスのスケジュール、
鹿児島空港からのJALの各地への乗り継ぎのタイムスケジュール
といった、必要な情報がびっしりと一覧になっていた。
貧乏人のわたしがもっていたのは、自己都合での変更ができない格安チケット。
「天候調査」と条件付きになった瞬間からしか変更が出来ないので
帰る日はなんにせよ1便の進捗を待つしかなさそうだった。
お金持ちの正規チケットを持った人たちは、翌日の観光を早々に諦め
1便目に変更をしておいて、順次、飛ぶものに乗るという。
ちなみに屋久島では、何便がただいま欠航になりました、とか、
港のコンディションが悪く●●港に変更になりました、とかが
島内放送でスピーカーから流れてくる。びっくりした。小学校みたい。
そしてみんな、いらいらしない。なるようにしかならないことを
身をもって知っているからだろう。
そして2日後の帰り便。
着陸より離陸の方がハードルが低いと踏んでいたのだが、そもそも鹿児島から来る機体で飛ぶ折り返し便なので、着陸してくれないことには乗る飛行機が無いという仕組み。
出発の1時間前から空港へ行き、空の雲と風を見上げていた。
欠航したらすぐに船便に切り替え、港ゆきの極少本数のバスに乗る必要がある。
朝からの土砂降りが、雨レベルの降り方になる。
雲は厚いが、流れも速い。すこし明るくなったのを見て、荷物を預ける。
保安検査場の先では、同じく乗客たちがガラス窓の外を見つめていた。
そのとき。パッと見たこともない光が刺した。
それが太陽だということが一瞬わからないくらい、この数日、太陽を見ていなかった。
視線の先の光景に、「うわぁ…」思わず声がもれたのは、わたしだけではなかった。
何ともドラマチックに、舞台の幕が上がるように左右にはけた雲間から
JACの機体が滑走路目がけて突っ込んでくる、その姿があった。
そこかしこで、小さな歓声と拍手があがる。
誰の晴れ女(男)力を借りたのか、自分の運を使い果たしたのかわからない。
握りしめていた、雨に濡れた船便のプリントを捨てた。
搭乗ゲートの隣には、天気を待つ旅人たちのためだろうか、
かごに入ったおせんべいが、たくさん置いてあった。
最後に、屋久島に梅雨時期へ行く人へ。
あちらの「梅雨」はしとしと雨とは無縁。
傘など役に立たないので、ごみ袋に穴をあけて頭からかぶるとよい。
わたしも、来年はそうする。
地球の舳先から vol.359
屋久島編 vol.2
ひと月に35日雨が降る、といわれる屋久島。
噴火の花崗岩でできた島には土が少なく、岩や木に生えた苔のうえに草木が生まれる。
木というのは大地の中に深く根を張るものだという先入観からしたら、苔の上に木が生えるなんて、信じられない話。信じられない話が、目の前に転がっている。
だから屋久島の森は、地面まで、茶色じゃなくて緑なんだ。
湿度と霧がつくる雲の中のような森は、雨だからトレッキングをやめようかなと言ったわたしに「水が無いと、あまり綺麗じゃないというか、屋久島らしい景色じゃない」とホテルの人が言っていた通りの幻想的な光景。
ピーカンのお天気では、苔も閉じてカラカラに乾いてしまうらしい。
その苔は、600種類はあるという。
15時間もかかる登山だという縄文杉は諦め、やってきたのは「ヤクスギランド」。
名前は子どもだましのようだが、美しい屋久島の自然が体感できる場所で
高齢者でも少しだけ歩ける短い舗装コースから、登山道の山道まで
所要時間とレベル別にわかれ、非常によく練られていた。
15分程度で最短コースを案内するガイドさんの甲高い声が響く。
山に入るバスガイド。なんてワイルドなんだろう。
木のたくましさといったら、意志を持ったバケモノのようだった。
横向きに10メートル以上、大木の幹をのばしていくもの。
昔、岩をまるっと幹で包んで成長したらしい、中に空洞をもつもの。
大木の途中に苔が生え、そこから別の木が生まれたりする。
同じ種であれば、同化して1本になることすらあるそうだ。
大木の幹にからみつきながら地面に下に向かって根を伸ばしている木。
「なかなか着かないなー、って、思ってるでしょうねー」
手練のガイドさんが、のんびりと言う。
お願いして本当に正解。知らないことだらけだった。
ちなみに、屋久杉とは、樹齢1000年以上のものだけをいうらしい。
じゃ、それ以下は? と聞くと、返ってきた答えは「小杉」。
999年生きても、小杉。なぜかイラッとする。失礼じゃないか。
「東京の杉も500年くらい生きますよー」
そうか、勝手に切るのは人間で、本来の木の一生からいったら、それが妥当なネーミングなのかもしれなかった。
レインコートで視界をふさぐよりも、透明なビニール傘が重宝した。
畳めば急勾配で簡易ストック代わりになる。
土が少ないので、大雨でもグチャグチャのぬかるみなどはほとんどなく
木よりも岩の方が滑らないから、できるだけ岩の上を歩くように言われる。
苔を踏むなといわれるが、やつらの増殖スピードが速すぎて、それは無理な話。
標高1000mくらいのところにあるのだが、車道ではシカ、サルにも会った。
道路を飛び出してくるヤクシカはよく見る鹿よりひとまわり小さく、
おしりが白いハートの形。かわいい。でもあぶない。
当て逃げされることもあるらしい。「軽とかだとねー」凹むのか。
ヤクサルに至っては、団体家族で道の真ん中で毛づくろい。
クラクションを鳴らしても、「あぁ~ん?」みたいな感じで振り向くが
どく気はゼロ。クラクション、あぁ~ん?、クラクション、あぁ~ん?
どいたと思ったら前方から車が来て、バックで広いところまで戻る。
いろいろな意味で、なかなか前に進まない。
外周100キロある、離島としては大きな島だけれども、
島のほとんどが国有林で、人が住むところがあまりないのだそう。
岩の島は大雨が山に溜まらず、ガンガン流れていく。川へ。
そして、わたしの泳いだ海へ…
そういえば今年のOWS大会のキャッチコピーは
「神様の住む森から流れてきた水は、ウミガメと私が泳ぐ海になりました」。
最初、このコピーの意味が分からなかったけど。
自然はぜんぶ、つながってるんだなあ。
地球の舳先から vol.358
屋久島編 vol.1
「山と海、どっちが好き?」そう聞かれるたび、こう答えてきた。
「どっちもヤダなあ。山は虫がいるし、海は焼けるししょっぱいし」
…数年前までは。
週末、嵐の屋久島を身一つで遠泳するというネタのような大会に出た。
どうしてこうなったのか分からなくて、いま、これを書いている。
わたしは0歳6か月のころから泳いでいた(泳がされていた)。
ほとんどやる気はないので、強化選手コースを選ぶこともなく
スイミングクラブのコーチにははじめから見限られていたが、
元々特技だから何の努力もしなくていいだろうという理由で入った
中学校水泳部の敏腕顧問に見いだされ、フォーム矯正と修行を強要された結果、
魔法のように美しく、速く、しかも楽に(これ大事)泳ぐようになった。
上位大会の常連にもなり、順調な競技生活を送っていた、のだと思う。
今も実家には夥しい量の賞状があるが、全校朝礼のたびに表彰されても
そもそも承認欲求みたいなものがあまりない人間なので、興奮するでもなく
ジャージ姿のまま全校生徒の前で台に上がらされることの方がよほど嫌だった。
そして思春期のある日、「こんな水泳体型はイヤだ」と我に返り、水泳とは絶縁した。
心境の変化が起きたのは、東日本大震災だった。
物心つく随分前から水の中に居たので、この泳力は、わたしにとっては
自分の意志とはまるで関係のないところで養われた先天的な能力だった。
泳ぐことを「選んだ」わけではなく、好きでも嫌いでもない。
ただ、泳げるから、泳いできた。主には、ラクをするために。
でも、わたしは、はじめて自分の意志で、水の中に戻ることを選んだ。
この泳力が、いつか自分か誰かの身を助けることがあるのかもしれない。
そう思ったからである。
2011年以来、わたしは、人命救助や水回りの資格をチマチマと取り始めた。
そして、同じJunkStageで連載している屋久島在住の日高さんのコラムから、
海を集団で遠泳する大会があることを知った。
どんだけ物好きなんだと興味はおぼえたが、相当悩んだ。
ずっと海を避けてきた。「焼けるししょっぱい」も実際あるが、怖いから。
あまりに「海では泳がない」と言うので、本当に泳げるのかと言われたこともある。
泳力の過信という自覚も十分にあった。
わたしみたいのこそ、調子こいて海で泳いだりするもんじゃない。
海は怖い。
遊ぶとこじゃない。プールじゃない、相手は自然だ。流される。死ぬ。
震災とは関係なく、身内に海の事故があったわけでもないのに、ずっとそう思っていた。
でもたぶん、海と向き合うこの一線を、超えるべき時が来ていた。
大会なら、コース上にジェットに乗ったライフガードも沢山待機している。
「もうイヤだ」と手を振れば、ジェットスキーで陸まで送ってくれるらしい。
「もう疲れた」と仰向けにずっと浮かんでいても、陸まで運んでくれるという。
「世界遺産で抜群の透明度の屋久島、去年は海亀と一緒に泳いだ」
の甘言で決意したわたしに、島は容赦なく自然の厳しさを見せつけてきた。
東京のゲリラ豪雨がかわいく思える、意味の分からない降り方の大雨。
会場のテントは風で吹っ飛ばされそうになっており、
吹きっさらしの荷物置き場にも雨が横殴りに降りこんでくる。
しかも、気温は21度、水温は23度。寒い。
別の距離では、低体温症がでて救急車が来たそうだ。(その後、無事)
これ、何の罰ゲーム?
透明な海も、海亀もいない。海に入っても、魚どころか浅い底砂さえ見えない。
すぐ近くを泳ぐ人の存在すら、手足がぶつかって初めて知れるほど。
近くの川から大量の雨水が流れ込んだ水面近くはところどころ真水で、浮かない。
目的を失い、頭を切り替えた先は、無理目なタイム設定をして真剣に泳ぐことだった。
幸い、五輪メダリストの宮下純一さん、寺川綾さんを筆頭に、インターハイ常連選手や
マスターズのランカー達が揃い踏みの先頭集団は、上質すぎるペースメーカーだった。
こんな人たちと一緒に泳げる機会も、そうそうないだろう。
足に巻いたICチップは正確にタイムを測り、
目標を15秒切ったタイムに、緩やかな高揚感を覚える。
こういうところは、どこかしらアスリートなのかもしれない。
またずぶ濡れになりながら移動した体育館では、地元漁港の漁師さんと
お母さんたちが、1日がかりで大量のご馳走を用意してくれていた。
あたたかい首折れサバのあら汁に、焼酎のお湯割りで暖をとる。
物好きなスイマーたちが、これが何戦目だとシーズンの予定と記録を話している。
「次は湘南ですか? 10kmで会いましょう!」
ヤダよ、3時間も4時間も泳ぐなんて。焼けるじゃない。
そう思いながら、別の大会の、今回の倍の距離をそっと申し込んだ。
↑メダリストの宮下純一さん、寺川綾さんと。
わたしの出た部の1位は寺川さんと同じミズノの白井裕樹選手、1キロ11分ってスゴすぎ。まさに速すぎて見えませんでした。