Home > ■日本‐3.11後の東北

2015/01/13

地球の舳先から vol.349
東北(2015)編 vol.1

150101_1

いろいろとのっぴきならない事情が重なり、年末年始は東北にいた。
のっぴきならない事情ゆえ、そんなに遊びまわれる時間もなかったけれど
それでも毎日時間をつくって、いろんなところへ行ってきた。
名取、閖上、松島、奥松島、塩釜、西和賀、久慈、宮古…
その中には、さきの東日本大震災の大きな影響を受けた場所も多々あった。

あれから、もう4年が経とうとしている。

そろそろ、というよりは、もういい加減「被災地」というのをやめにしたかった。

というのはもちろん、個人の気の持ちようとしての話。
復興には時間がかかり、爪痕が完全に消え去ることはなく
未だほとんど全ての地域が苦しい状況にあることは確かな事実。
でも、気仙沼に足繁く通うようになって、もう2回目の訪問くらいでわたしは
気仙沼を「被災地」と呼ぶことに違和感を覚えるようになっていた。
わたしにとって、「気仙沼」は「気仙沼」だった。
いや、「気仙沼」がわたしの中で、「被災地」じゃなくて「気仙沼」になった。
かわいそうだからじゃなくて、好きだから通っている。
復興支援だからじゃなくて、美味しいものがありすぎるのでお金を使っている。
仕方ない。

いつしか、「被災地応援プロジェクト」なんていうバブル臭漂う文言に、いや、
他人が人ん家を「被災地だ」と喧伝する物言いに、嫌な感じすら覚えるようになっていた。
「被災地」という、うすらぼんやりした(そしてネガティブな)呼び方が
「どこどこ」という固有名詞に変わるのは、この足で旅をしたときであるようだった。
はじめて気仙沼に行ったときから、「被災地」という白地図を自分の中で「もとの地名」にリネームする旅を始めていたのかもしれなかった。

この年末年始で、またいろいろなところでいろいろな人と出会い、
そらで地図を手書きできる地域が増えた。
物産展の手伝いに行って、「東松島っちゅーのは牡鹿半島より先かね」
なんて聞かれても、もうキョドらない。

ただ、正直、旅をしても、固有名詞にならなかった場所も2箇所ほどある。
具体的には挙げないけれども、どうしようもなく脱力と絶望しか感じられない場所もあった。
そうではない場所だって、そこで亡くなった人たちがいる。
「震災被害者」ではなく、「1人の人間がいなくなった」ということが同時多発したことを
考えるとき、それは堪えきれない重みになることは間違いない。

それでもわたしは、やっぱり、人ん家を「被災地」と呼ぶのはもうやめにしたい。
やめにするために、これからもいろいろなところを訪ねて行きたいと思っている。

そんな東北ぶらり旅を、たぶん今年も続けていくんだろうと思いながら。
とりあえずは年末年始の思い出を、振り返っていきたいと思います。

« Previous