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地球の舳先から vol.348
東北(2014)編 vol.11
年の瀬も押し迫ったクリスマス、最後の気仙沼へ。
大好きな土地に、今年は何度も通うことが出来ました。
まあ、ずっと、食べてただけだけど…
というわけで美味いもん報告だけしておきます。
1日目は東京から来ていたみなさんと「こうだい」さんへ。
ずっと気になっていたお店で、1階にはカウンターもあるというし行ってみようかと思っていたけれど、みなさんに混ぜていただけてとっても楽しいお酒。
最初に、なまこ(旬だそう、初めて食べました)やいくらなどの小鉢が出てきて、
刺し盛りの次の焼き物がすごかった!
絶品メカジキステーキに秋刀魚の煮たの、それに特大牛タン!
気仙沼で牛タン食べたの初めてですが…メカジキは照り焼きの具合がとっても上手。
しかもわたしの手のひらサイズくらいあって、もうこのあたりでお腹いっぱい。
しかしまだコンロに鍋が控えているもので、そろりそろりと開けてみると。
来ました!!!!大きな大きな牡蠣鍋!白味噌が上品でとってもよく合います。
お酒は蒼天伝シリーズをいろいろと、ポンポン空いていきます…
鍋で締めたつもりが、ここに来て牡蠣フライが登場!
気仙沼の冬、すっかり満喫しました。
しかもこれで、3000円のコースですって…海町気仙沼、さすがです。
食べ過ぎたので、仮設のスナックでひと働き…?!
帰りは代行の車に便乗して…人がみんな本当にあったかい。
酔い覚ましに朝風呂。気仙沼プラザホテルさんの海の見える露天風呂、
景色がよく見える朝が私の大好きな風景。
翌日は、内湾のイルミネーションを臨む「福よし」さんへ仲間を連れて再訪。
「女の子ばっかりかい!」と驚かれましたが…
前、こちらでコースを頼んで量が多くて撃沈したので、アラカルトにしました。
刺し盛り!見た目がすごいです。
なんといってもツブ貝が、わたしの知ってるツブ貝じゃなかった!
レバーのような見た目のは、気仙沼名物通称「モウカの星」、サメの心臓です。
旬のホタテにもありつけて大満足。
人数も多かったので、最高級魚「きちじ」(キンキ)を焼きで頼みました。
ここはすべてが「時価」なので、1人のときには勇気が出ません…
いろりで、直に火を当てず時間をかけて焼く、匠の技…
魚の個体差によって、焼くときに刺す串も変えるんだそう。
美味しんぼでも「日本一の焼き魚」と絶賛されていたお店なのでした。
ふわっふわの身を堪能した後はスープをもらって、魚から出る出汁を楽しみます。
そんなわけで、今回も、気仙沼ホルモンにも、渡辺謙さんのやっているカフェK-portの三國シェフのカレーにも、美味しいイタリアンにも行きつかず。
やっぱりいずれ、5泊くらいして本腰を入れて食べに来なくてはなりませんね。
さて、もう今年も終わりますが、明日からは再び新幹線に乗って、東北をぐるぐると回ってくる予定です!
最後に、海から一番近いお料理屋さんでもある「福よし」さんからの内湾のイルミネーションを。
Happy Christmas!
地球の舳先から vol.335
東北(2014)編 vol.10(最終回)
「かつおの刺し、ください」 寿司屋で、座る前から頼むと、目の前の板さんが
「今日、チューする予定は?」
「今のところ?」
「じゃ、にんにく付けますね。そのほうが、おいしいから」
陸前高田出身だという板さんとゆるりとカウンターで語りながら、帰りの新幹線の時刻を待った。
新幹線に乗ると、またすこしだけ寝た。遊び疲れて、なんだかよく寝る日だった。
起きた頃には半分以上東京で、そのために早めに帰ってきたリハーサルの時間も迫っていた。
なんのために、踊ってきたのか。
なんのために、吸い寄せられるように気仙沼へ行ったのか。
なんのために、たくさんの人との出会いがあったのか。
長い時間を経て、自分がこれまでやってきたことが、1本の線でつながる感覚があった。
目が覚めたときには、壮大な妄想のような夢が仕上がっていた。
気仙沼にバレエ団を作る。
普通に考えたら、「なに言っちゃってんの」な話である。
でも、現実から逆算をするのが、計画性からたたくのが、本当に大人なのだろうか。
不可能を可能にするのは、結局のところ根性とかだけだったりするんじゃないだろうか。
やればできる。っていうか、「できない」ってなんだろう。
夢を追ってる限り、ずっと道半ばだから、「ダメだった」なんて結論、一生出ないわけだし。
「何年かかるか」も考えないことにした。ただ目先のなにかを、ひとつひとつ。
力をくれたのは、間違いなく、この3日間で会った、しなやかで強い、東北の人たちだった。
それからの日々は、行きあたりばったりの呼ばれて飛び出てを繰り返し、
毎日が濃く飛ぶように過ぎ、気づいたらわたしの夏は終わっていた。
ほとんど毎日、人と会っていた。
何かしらの特殊技能を持った人たちが、「協力してやる」と手を挙げてくれ続けた。
ひと月後にはふたたび気仙沼へ行き、新たな出会いもあった。
特に、現地で唯一のバレエスクール、悲しい被災経験を越えて再び立ち上がった「気仙沼バレエソサエティ」さんと公演をご一緒できることになったのは、願ってもいない僥倖だった。
日を追うごとに、思いついたばかりの活動が、沢山の人のプラスのエネルギーで満ち始めた。
わたしは、プロジェクトの名前から、「ボランティア」の文字を外した。
これは、「震災復興」活動ではない。
震災復興を掲げている限り、それは長く続く類の活動にはならないだろうし、何よりわたしは
“気仙沼がかわいそうだから”この活動を始めたのではなく、
“気仙沼が好きだから”この活動を始めたのだから。
だから、
“気仙沼バレエ旅芸団”。
イメージは、キャラバンの移動式サーカス団。
「被災地だから」ではなく、「旅行するのにいいところだから」、
遠路はるばる出かけて、美味しいものを食べて、温泉でも入って、一芸である「バレエ」をやる。
そして、1年に1度くらい、気仙沼旅行ついでに踊ってくる、という人が増えたら、すごくいい。
ダンサーだって、「自分のための」発表会じゃなくて、「観客に見せるための」公演の機会って意外と少ないから、得るものも大きい。
旗揚げ公演、10月19日。
3年かけるような緻密な事業計画書を、用意しなかったから良かったのかも。
やっと立ったスタート地点。
でも、一段落なのでここで一度、これまでのさまざまな出会いとご縁に感謝して。
踊りに行きます!気仙沼。
励みになるので、「いいね!」お願いします。応援してください。
気仙沼バレエ旅芸団
地球の舳先から vol.334
東北(2014)編 vol.9
鳥の声で起きた。
かつてそんな経験があっただろうか?と思う。
良く飲んだ割になんとさわやかな目覚めだろうか。
朝食をとって雄勝アカデミーに別れを告げ、港へ向かう。
大量のホヤが揚がっていた。もちろん、見るのも初めて。
ホヤの養殖は3年かかるということで、あれから3年の今年が初の水揚げとなる。
ここで、漁師さんの指導のもと、蒸しホヤにするためにホヤをさばく。
ホヤの「ヘソ」と呼ばれる部分は希少部位なのか、違うバケツに溜めていく。
切り、内臓をはがし、腸の中の排泄物を出す。
次々に水揚げされるホヤ、積み上げられるカゴ…
いつ終わるともしれない作業だが、これを少人数でやるのは大変だろう。
黙々と続く作業の中、目を盗んではさばきたてのホヤをバケツではなく口に入れる一行。
「うまい!」思わず声が出る。
見かねた漁師さんが持ってきたのは…缶ビールだった。
作業が終わると、漁船に乗り、養殖場を見に連れて行ってくれることになった。
「漁師」というとどうしても大きな船で集団で遠洋漁業を想像するが、
養殖が中心の雄勝では個人商店のようなものらしい。
まず見に行ったのは前日に悶絶した銀鮭の養殖所。
網を張り巡らした中に、何千匹といるらしい。
水面を跳ねる銀鮭。あれで筋肉がついて身がしまるのか?
続いてはホタテの養殖場へ。船に積んだ秘密兵器たちが活躍する。
捕ったホタテを機械にかけると、貝についた海藻やごみがきれいになって出てくる。
それを漁師さんがその場でむいてくれる!!!なんと贅沢なのか。
なんとも甘みがあり、とろみの中にしっかりした身の歯ごたえ。最高に美味い。
海に捨てる部位もあるが、一瞬で海鳥がさらっていく。
こうして穏やかで波の少ない(そのため養殖に向くらしい)雄勝湾クルーズを終え
鳥の集団に追いかけられながらふたたび陸へ。
湧水を貯めた水槽で手を洗う。まさに自然の中の課外授業。
日曜なのに船を出してくれた漁師さんに感謝である。
雄勝が再生され、大量の海の幸が獲れんことを切に願う。
帰京の時間も迫っていた。
石巻までの帰り道、大川小学校へ立ち寄る。
ここは、津波でほとんどの児童・教職員が流されるというまさに惨劇の起きた地。
発令が出てから50分後に津波が到達、そのわずかな間に保護者が迎えに来た
児童と、あとほんのわずかな偶然の生存者を残しほとんどが犠牲になった。
ここまでは津波が到達されないとされ、この小学校自体が避難所に設定されていた。
そのため皮肉にも普段からの避難訓練や対策が徹底されていなかったという批判もあり
生存者と学校側の説明の差異、話し合いを拒否し続けた教育委員会への不信感も募り、
3年後の2014年3月10日には、遺族団が損害賠償を求める訴訟を起こしている。
母子像が建てられ、慰霊牌が立ち並ぶ。
乗用車や大きなバスが絶えず立ち寄っていた。
時が止まってしまった光景が、そこにはあった。
動き出した未来はたくさん見てきた。
誰だって、ポジティブな方を向いていたい。
しかし、いまだ何一つ終わっていないこともまた、同じくらい沢山あるのだった。
地球の舳先から vol.333
東北(2014)編 vol.8
バスはこの日の最終目的地、雄勝地区へ向かっていた。
女川から雄勝までを走るのも初めてなので、道々の車窓を…と思っていたのだが
カツオの水揚げから始まって、うに丼、温泉、女川と盛り沢山の長い一日のすえ…
「はい、着きましたよー」の運転手さんの声に起こされる。
ほんとうに、東北へ来ると、なんでこんなによく寝るのか。
宿泊するのは古民家を改修した「雄勝アカデミー」という森の中の平屋。
何がアカデミーかというと、ここは、公益社団法人sweet treat 311という団体が
雄勝の築90年を超える廃校を再生するプロジェクトを進めている拠点であり
支援者や地元の人たちが集う場所(家)になっているのだ。
このあたりは一緒した千恵さんが記事を書いているので詳しくはそちらに譲ろう。
さっそく、畳に布団を敷き(修学旅行気分)、ダラダラした格好に着替える一行。
大広間にはすでに先に着いていた人々が今にも宴会を始めようとしている。
雄勝アカデミーは毎月クラウドファンディングで資金を募っていて、
その中に1万円寄付のリターンとしてこの古民家で寝泊まりして食道楽できるという
プランがあるのだった。
布団を敷き先に着替えたのも、たらふく飲んでそのまま寝ようという魂胆である。
テーブルに盛られた沢山の料理。いちいち美味い。料理が上手いし、食材に味がある。
そして本丸がやってきた。牡蠣である。この時期に?と思われるかもしれないが、
本当に美味いモノは市場に出回らないことをよくよく知った。
蒸しただけ。ぷりぷりだけどふわふわ。箸で3つくらいに切る。1個でお腹いっぱい。
そして、ホヤ。ホヤといえば、すえたような味と匂い…というイメージだが全くない。
貝類らしいコクがあり、ビールを飲んでいる場合じゃなくなり、日本酒に持ち替える人たち。
しかし、わたしの中での「トドメ」は「銀鮭」だった。
銀鮭は回遊魚で寄生虫がつくため生食は普通はできないのだが、雄勝では稚魚のときに
川から捕ってきて養殖するので刺身で食べられるのだという。
このまろやかな味がすばらしく、「肉も魚も赤味がいいのじゃ。脂身なんてもたれるだけじゃ」
と言い続けていた自分に、心から手のひら返しをした。
おかげさまで、あれ以来、スモークサーモンを食べて「む、この脂身は魚本来のものじゃない」
などがわかってしまうようになり、相対的なQOLとしては幸福度下がったのかもしれないが…
最後に食べたのは、ふかふかの白米にこの銀鮭とお湯をぶっかけただけのお茶漬け。
…あれ、雄勝アカデミーのことを書くはずが、まったく食べ物のことしか書いていない。
思えば、今回の旅のシリーズタイトルも「美味いもん巡り」になってるし…何しに行ったんだ。
そんなわけで、雄勝アカデミーについての上の千恵さんの記事をよくよく読んでください。
あと、sweet treat311のクラウドファンディングのページはこちらです。
よろしくお願いします。
雄勝アカデミーは猫ちゃんもグルメ。アイナメ1匹もらってますよ!
地球の舳先から vol.332
東北(2014)編 vol.7
南三陸を出て、女川へ。ずっと行きたいと思っていた場所。
ただ車がないとどうにも行くのが難しく、今回のお誘いはまさに3年目の僥倖だった。
まずは町役場で、須田善明町長のお話をうかがった。
なんというか「政治家」っぽくない、民間企業というか体育会系の営業マンみたいで、
「相手のわかる言葉」で喋るのが印象的だった。
須田町長の経歴に「電通東北」という文字を見つけて、非常に納得した。
わたしも1年前までは電通ナントカという支社にいたからである。
(須田町長の話を聞く、わたしと、今回のツアーに誘ってくれた盟友千恵ちゃん。)
少しだけお話を伺うはずが、マイクロバスに同乗して町内を案内してくれるという。
「休日出勤ですみません」と恐縮する一行に、
「いや、この仕事は休日とかないですから」と豪快に笑う。
そう。豪快なのだ。
各地で議論の防潮堤は作らず、海沿いの大幅なかさ上げをするプランを採用した女川町。
その理由は、「海を“怖いもの”と考える町には、したくなかった」。
かわりに、山を切り崩して、すごいスピードで盛土が進んでいる。
見たことのない大きさの重機は、幹線道路で運べないのでここで組み立てているのだそうだ。
もちろん、簡単に採れる選択肢ではなかった。
須田町長が育ったという家も、盛った土の下に埋もれることになる。
「元に戻らないのは、そりゃしのびない。思い出だってたくさんある。
でも、僕よりも子供たちのほうが、長く生きるんだから、
これまでよりもこれからのことを考えないと」
そのためにはひたすら、向き合って、話をするしかない。
時に十何人という規模からの町民説明会を、須田町長は繰り返しているという。
須田町長からはこの、「子どもたち」という言葉を何度となく聴いた。
最初に配ってくれたパンフレットの表紙にも、こんな詩が載っている。
女川は流されたのではない
新しい女川に生まれ変わるんだ
人々は負けずに待ち続ける
新しい女川に住む喜びを感じるために
「小学生の子どもがね、こういう文章を書くんですよ。
大人ばっかり下を向いていたら、駄目でしょう」、と。
「この震災を活かしていくためにどうしたらいいか」を児童・生徒たちと一緒に考え、
建てたのが女川中学校の前にある石碑である。
「津波が来たらここより高いところに逃げてください」ということと、「何があってもこの石碑を撤去してはならない」ということが、日本語、英語、フランス語、中国語で書かれている。
それはなぜか。遠い将来に、この地で日本語が公用語かどうかなんてまったくわからない。
たとえこの地が誰の国になっていたとしても、ここに住む人の命のために――
「千年後を見てるから」と、あくまでも須田町長は豪快に、笑う。
「戻す」でも「作る」でもなく、「遺す」ことを考えている人だと思った。
自分の手の離れた後、いや、それどころじゃなく、自分が死んだそのずっと先を。
1000年つづく町があるとしたら、こういう人がいた所なのかもしれない。
須田町長が最後に案内してくれたのは高台(といっても海のすぐそば。スイスの援助で再建した)の病院だった。
ここには、急作りの慰霊碑があった。「仮のものです」カメラを向けるわたしたちに、そう言う。
「新しい町ができたら、一番いいところに、これを移したいと思ってます」
そこからは今、横倒しになったままの、大きな灰色の建物が見おろされていた。
ああいうのは撤去するのかと聞かれると、「維持費とかそういう問題もあるけれど…」と前置いて
「名所を作るなら、どんなに悲惨なことがあったか、ということではなくて、
そこから立ち上がった活力のほうを見せていくのが女川の役目じゃないかと。」
駅前地区の町びらきは来年の3月の予定だという。
その頃また来よう、と強く思った。
だって、結局笹かまも食べてないし(大変不覚)…。
須田町長、プラスのエネルギーをありがとうございました。
地球の舳先から vol.331
東北(2014)編 vol.6
切符を買って、JRの気仙沼駅に入ると、そこは車道だった。
BRT(bus rapid transit)路線は、断線した列車の代わりに海沿いを走るバス。
そのため、JR気仙沼駅は、電車の走るホームと、車の走る道路が平行に並んでいる。
ひかれるほどの本数はないのだが、旗を持った人が乗客をひとりひとり案内する。
ほどなくして、ホヤぼーやのイラストがふんだんに使われた赤いバスが入ってきた。
発車すると、携帯を取り出して、到着予定を知らせるメッセージを打つ。
イランにも一緒に行った盟友、千恵さんのご一行と南三陸で合流することになっていた。
彼女は物を書く仕事をしていて、その取材で宮城県雄勝に何度か行っている。
わたしが気仙沼をこよなく愛していることもよく知っていて、今度南三陸や女川、雄勝を回る
ツアーを友人同士で組むけど行かないか、と誘ってくれたのだった。
わたしは「雄勝」の読み仮名もわからなかったが、「笹かまね、行く!」と即答した気がする。
これを書いていていま気がついたが、笹かまを食べ忘れた。
バスはまだ復興とはほど遠い景色のところも通って行く。
降車した志津川駅は目の前が南三陸町のさんさん商店街。
ここで一行と合流し、南三陸町長である佐藤仁さんを囲んで昼食会だ。
わたしは旅に出たら朝からでも飲みたいのだが、さすがに町長が一緒ではまずいだろう。
うおう、ビールなしでこれから海鮮丼を食べるのか、と思っていると「飲め飲め」と言う。
すかさず、男性陣が地酒とビールを仕入れてきた。南三陸に地ビールがあったとは!
なるほど、町長がどんどん飲めという理由がわかった。
昼食会を終えると、マイクロバスへ乗って、「あさひ幼稚園」に立ち寄った。
サッカー日本代表の長谷部誠選手が著書の印税を全額寄付している。
総木造でやさしい香りのする建物。
将来的な移転を考えて釘を使わず建てているという。宮大工仕事。
いよいよ、南三陸へ行く人の多くが必ず訪れるであろう防災対策庁舎跡地へ。
テレビでもよく報道されたのでご存じの方も多いだろうが、職員だった24歳の女性が、
最後の最後までこの庁舎に留まって町中に避難を呼びかけ続けた。
そして、津波に流され、命を落とした。
3年前、わたしはここに来ている。
「被災地を見たい」などとは言い出せないまま、ホテルのスタッフにタクシーの手配を頼んだ。
しかし彼女はすべてを察しており、呼んでくれたタクシーの運転手さんは、
わたしが何を言わずともはじめにパネルされた震災前の南三陸の写真を手渡してくれ、
いろいろと説明をしながらこの地を回ってくれたことをよく覚えている。
まだ建物の上に自動車が乗っかり、信号がひしゃげてなぎ倒され、がれきが残っていた。
そんな中運転手さんが「あ、あれ」と思わず車を止めたのは鮭のほんの小さな養殖所だった。
あれからわずか半年のこの地で再出発を果たそうとする、「生」の側の一端だったのだろう。
海の幸が入らないのに、他から仕入れてでも、震災前と同じメニューを意地で提供していたホテルのレストラン。
そして真っ先に再建したという、真新しい、海に張り出した露天風呂。
そこから見える光景は、目の届く限り津波に流された更地が続いていた。
3年ぶりで、その、ホテル観洋の温泉に入った。
3年前と同じ穏やかな凪からは、やっぱり津波を想像することができず
別人のように美しい海は、かえって自然の残酷さばかりを思わせた。
地球の舳先から vol.330
東北(2014) 番外編
先月の旅のコラムの途中ではありますが
ついこの間行ってきた夏の気仙沼が楽しすぎたので割り込み番外編レポート。
かつおを食べに行ってきたのです。
(↑何コレ?少なくともわたしの知ってるかつおじゃない)
いや、珍しく、旅行というより用事があって行ってきたのですが、
「気仙沼で一番美味い鮨屋」とその筋の人がおっしゃるお店へ行き
「ふかひれ冷製茶碗蒸し」なるものを食べ
(2層になっていて、上の透明な部分はふかひれの煮こごりでできてます!
そして!ふかひれの!身が!!)
2日目はあまりに天気がよかったもので、あと海の日だったので船に乗り
大島というところへ行って涼しげな紫陽花街道を電動チャリでひた走り
素敵なカフェでお茶をしながら帰りの船を待っちゃったりなんかして
舳にあるホテルの海の見える温泉で暮れなずむ港を見て
ジャズの流れるヴァンガードコーヒーでサイフォンではなくアイスコーヒーを飲み
駅前の味のある食堂で気仙沼らーめん(さんまのふわふわつみれ入り)を食べ
かつおを買って、帰ってきました。
そうだここは海のまちなんだから、夏が一番似合うはずなのに
どうも食欲先行だと秋のシーズンばかりに目が行ってしまうのでした。
今回はカメラも置いていったから、すべてスマートフォンの写真です。
次回からはまた、東北旅の続きをお届けいたします。
地球の舳先から vol.329
東北(2014)編 vol.5
朝6時。フワーーン、という、屋外からのやたら優しい放送で起こされる。
魚市の朝を告げる場内放送だろうが、時間を考慮しての控えめさだろうか。
「今日は時化てて、カツオは明日だよ」魚屋さんの昨日の言葉を思い出す。
二度寝をするほど眠くもない。これは、わたしにも魚市に出勤しろということだろう。
宿泊した「ホテル一景閣」は、震災のなかいち早く営業を再開したホテルで
しかし再開当初は、被災中心部という立地からさすがに泊まるのに躊躇する周辺状況だったのと
復興関係者を優先して受け入れていたこともあり、今回ようやくの宿泊。
盛土をした広大な駐車場に自転車を停めていた。
途中に建物がないために遮るものがなく、市場がよく見える2階の食堂で
無料サービスの朝食をいただいて、いざ出発。徒歩で数分なので歩きにした。
魚市に着くと、カメラを背負いにして、物陰(自動販売機)から顔だけ出して中の様子をうかがう。
ここでまたわたしは、自分が激しい勘違いをしていたことを知る。
「魚市」といえば、唯一わたしが知っているのは築地市場で、よくわからない1人乗りトラック?を
猛スピードで走らせ、ギラギラと大声を張り上げる荒くれ的なところだと思っていたのだが、
よくよく考えればそれは「市」じゃなくて「競り」のほうである。
「怖いところ」「ガイジンが邪魔だ邪魔だと突き飛ばされる」を想像して
心して行ったが、勝手に肩透かしを食らった。
船に突っ込む巨大な網、すくわれる大量のカツオたち。
ベルトコンベヤーに乗せられたカツオを1匹1匹じっと観察する男たち。
なんの基準か(大きさ?)、ふりわける男たち。
氷を入れ、かごで運ばれ、どんどん積みあがっていく。
気仙沼の魚市の2階の廊下からは、そんな光景が見下ろせる通路がある。
ひとしきり缶コーヒー片手に見学した。
前の日の晩、カツオをどうやって釣るかやら、漁師の豪快な生活やらを
聞いたばかりなので、見る目もかわってくる。
漁っていうのは、狩りに近いのではなかろうか。
モノを食べるときに「命あるものをいただいている」という感覚は、
「メェェ」という鳴き声を聞きながらジンギスカンを食べたりとか
なぜか動いたまま串に刺されて盛りつけられるアジなどを見たりすると
それなりに、生まれるのだが
「捕ってくる方も命がけ」ということに心が及ぶことは少ない。
想像もつかないし考えもしない、という常態。
自分の肉体は自分が食べたものでできているのに、不思議な話である。
食べ物が口に入るまでの過程がきっと、長すぎるのだ。
気仙沼だけでなく、今回の旅はそんなことを見直す機会になる。
あのかつおが今夜飲食店ではテーブルに上がるのだ、と思うと
うしろ髪を引かれる思いで、わたしは朝の気仙沼をあとにした。
実は、今回の旅は、まだ半分しか終わっていない。
買い込みすぎた土産を宅急便で東京へ送り、再び身軽になって駅へ向かった。
地球の舳先から vol.328
東北(2014)編 vol.4
周到に予約を入れていたのは、「美味しんぼ」でも世界一と描写された
焼き魚が名物の「福よし」さん。
囲炉裏で焼く焼き魚は、魚の種類だけでなく、個体差を加味して
焼くときの串まで変えるらしい。
遠くからでもすぐわかるほどに港の近くに灯りを灯す名店。
ご主人の手作りという、ホヤのランプがオレンジ色に店内を照らす。
話には聞いていたがメニューには値段がなく、
予算を言ってコース(3000円から6000円)を組んでもらうのがいいらしい。
ちなみに品数は同じで内容が違うとのこと。
「はじめは、3000円くらいで、やってみますかね」とご主人に言われ
わくわくと待つカウンターの端っこ。
壁には、カツオ漁の写真が飾ってあり、そもそも「一本釣り」の意味すら
よく知らなかったわたしに、いろいろと教えてくれる。
漁の仕方から、漁師の生活、港の風習、etc..
いずれももちろん、はじめて聞く話ばかりで大変おもしろい。
最初に出てきたのが、上品に甲羅に盛られた蟹味噌にもろきゅう。
そしてイカとイカわたを合えて卓上で火を入れる名物「腑焼き」である。
これが主役級の美味さで、これだけで結構満足してしまう。
当然、ビールはお酒に持ち替えて。
ここから刺身が出てくる。
水揚げをようやく迎えたカツオに、珍しいところだとマンボウの胃を湯がいたもの。
どんな味がするかと思いきや、コリコリして、貝のよう。
3000円というのはコースだと底値のパターンなのだが、
そのなかでもここでしか食べられない珍しいものを出してくれようとする
ご主人の、言葉無き気遣いにぐっとくる。
続いて、ぶりとさんま。もう胃袋は十分目に近い…。
箸の原則を察してか、「あと、焼き魚が。そこまで、いきますから」
とあるお客さんを見送ったご主人が、「恰好いいなあ」とその背中に何度も呟いていた。
「あれ、去年、カツオ水揚げナンバーワンの船の漁師」という。
漁をして気仙沼に寄港する漁師と、その漁師が捕ってきた魚を使う料理人、
そして、その料理を食べに定期的に来訪する漁師。
なんていうか、ものすごい蜜月感。と、お互いの敬意をひしひしと感じた。
最後のお料理、焼き魚が出てくる。ホッケ。
いや、ホッケと侮るなかれ。
中の一番太い骨まで食べられるくらいカリカリなのに、中身はふっくら。
むしろ、焼きの技術を見せるために、あえてよく知られた魚を選んでるのではと
思ってしまう。
とにかく何かしらの皿をあけなければ、と刺身に集中力を注いだわたしにサービス。
「今日水揚げの、帆立のヒモね」なんて言われたら、これまた食べないわけにはいかない。
んー美味しかった。
味ももちろんだけど、ご主人の話もおもしろいし、人柄が店全体に流れているような。
みんなでワイワイ囲炉裏前も楽しそうだけど、カウンターでじっくりもおすすめです。
結局、食べきれずに、弁当箱を渡され、自分で好きに詰めて帰る。
ホテルで夜食、いや、晩酌にならざるを得ないコース…
またひとつ、寄りたい店が増えたのでした。
地球の舳先から vol.327
東北(2014)編 vol.3
さらに海側を目指すと、長いこと魚市周辺の震災の象徴として存在感を残し続けていた
「気仙沼リアスシャークミュージアム」が再建を進めていた。
新しい建物の匂い、まだ一部のオープンで工事も続けられている。
2階の観光協会とミュージアムはすでにオープンしていた。
真新しい券売機で切符を買い、ミュージアムへ入ると、まずあの日からのムービーが
大写しのスクリーンに残っていた。
「震災」をどうとらえ、どう記憶を遺していくか、というのは
自治体や地域にとって、価値観を反映したものであるように思う。
スクリーンには気仙沼へのメッセージがその場で入力でき即時反映されるようになっている。
電子の語り部として気仙沼であの震災を経験したいろいろな人のインタビュー映像やパネルも。
そのほかに、さかなクンがイラストを提供した気仙沼の魚解説コーナーや
サメの生態に関する展示もある。サメ漁に関する知識に乏しいLUSHの人たちは、妙なグッズを作っている金があるならここへ来るとよいだろう。
さて、続いての定点観測、気仙沼名物として外せないお魚屋さん
安藤社長の磯屋水産は…
…とんでもないことになっていた。
かつて、魚市の再生なくして気仙沼の再生なしときっぱりと言い切り、
「役人や政治家に頼ってばかりはいられない。
私は、自分のお金を使って、やれることからやります。
地元の人間が地元を愛せなくなったら、日本はおしまいです。」
と言っていた安藤さん。(2011年11月のインタビュー記事を参照)
去年来たとき、防潮堤なんて馬鹿らしい、自分は海と生きるんだと言って
海の真ん前に店を再建する、と言っていた安藤さん。
そんな安藤さんの自慢の店がようやくできたというのだから、
この目で見たら感極まって泣くかもしれない、とかひそかに心配していたのに。
結果は…思わず、笑った。
…確かに言っていた、もっとデカくして海の前に店を建てる、と。
(( ;゚д゚))
…いや、社長……
デカすぎでしょ………
なにやってんの…………
いや、まあ、片鱗らしきものはあったのだ、去年来た時も。
↑こちらが去年秋の写真。
黒い三角の建物は、渡辺謙さんが建てたカフェK-portである。
しかし、まさか、これがあれ、とは…。海の男ってのはおそろしいもんである。
こちらのK-portもなんともおしゃれなジャズの流れるカフェ。
外のテラスでコーヒーでも飲みながら、暮れなずむ港を眺めるベストポジション。
幸いここには防潮堤も建たず、海を遮断した景観にもならないらしいし。
これは、お隣さんのよしみか、K-Portで数量限定で提供される「磯屋のまかない丼」。
だし汁がついてきて最後はお茶漬けにするのだそう。
K-portにはもうひとつ、三國清三シェフのカレーという名物もある。
1泊2日の旅の行程を激しく恨む。
まったく、気仙沼へ来たら、1日3食じゃ全然足りないんだから…。