Home > ■パリ
地球の舳先から vol.21
パリ旅行記 vol.4(最終回)
この日も、朝7時からコストでオムレツを食べる。
よくのびるチーズのオムレツ。
かたいフランスパンにも、すっかり馴染んだが、豆をすりつぶしているような苦すぎるエスプレッソにだけは慣れずに、ココアを頼む。
パリを離れる日だった。
たった3泊の滞在。
この日もペン先はよくすべる。
普通は、考えたことをペンが書き綴っていくのだが、
頭の中がまとまらないうちに、手だけが走っていって、
そのインクの動きが人格を持っているかのように動く。
頭で動く私のほうは、それをひたすら追いかける。
コストでアロマキャンドルとボディローションを買った。
いつか私にも、言葉の神様がまったく降りてきてくれなくなるときがきたら、
そのときは大金をはたいてコストの客室に泊まろうと思った。
惜しむらく歩くパリの町は、どこまでも美しい。
香水の発祥はパリで、臭みを消すためだとか
いまでもこの町の人々は縦列駐車をぶつけて崩すとか
そんなことはありつつも、
それでも、清潔で、美しく
その点においてのみ徹底する
それこそが、私がパリで得た印象の一番強いものだった
コストを出て、一度だけ国際電話をかけた
「これから帰るよ」
そう言った電話口の先の相手は、パリへの私の嫌悪感をとっぱらった張本人で
「俺はルーブル美術館の裏で占い師にあんたの前世はフランス人だって言われたんだ」
と言ってフランス代表を応援する彼と、イングランドの監督の大ファンだったわたしは、
この年のワールドカップでは毎日大喧嘩をしていたんだけれども
いい年こいて馬鹿らしい、そう思った彼の「前世」という単語すら
儚く切なくなるほどに、この街は不思議なシンパシーを与えて
「どうだ、コストは」と言う彼に
「帰りたくないの」と答える私は、間違いなく涙声だった
「日本人は年に3人か4人、パリ中毒になるんだとよ」
という言葉通り、わたしはいまだにテレビでパリの街が映ると涙が出る
そればかりか通ったことのない通りでも、
少しでもパリの映像が映ると、解説などなくともそこがパリだとわかるのだ
「前世はあたしも、フランス人だった」
そんなこと、口が裂けたって言わないけど。
end
パリ旅行記 vol.3(全4回)
カウントダウンのパリは、浮かれている。
カウントダウンの2日程前から、夜な夜な徘徊するパリっ子が多い。
道を歩いていると、突然パン屋から出てきた黒人に抱きつかれたりする。
「ひぃぃ」と思ってパン屋の主人に助けを求めても、主人は笑っている。
しょうがないなと思って、「アミーゴ、アミーゴ」とか言って抱き止めたりする。
お留守になってるズボンのポケットから見えている財布とかを、
こっちが盗んでやろうかとか思う。平和で危険な街。
カウントダウンの夜のパリは、地下鉄がタダになる。
私は市内のどこへ行くにも歩いて暮らしたが、
パリで一番便利な交通機関は、間違いなく地下鉄だ。
思わずコストで長居してしまって、急いでいたので初めて地下鉄に乗る。
切符の券売機が反応してくれないので窓口へ行くと、
おじさんがにこにこして自動改札を指差し「通れ」と言う。
そのときは、カウントダウンで地下鉄がタダになると知らなかったので、
わけがわからなかったのだ。
パリは、いろんなものに仄かなタングステンの黄色味がかかった街だ。
実際のライトアップもそうだが、どこか詩的な哀愁を感じる街。
ものものしい銀色の自動改札を抜けると、駅名を示す青い看板。
行き先別に、前と後ろどちらの階段を下りればいいかが書いてある。
おじさんを振り返る。
「L’Opera Garnier?(ガルニエ・オペラ座は?)」「Derrier.(うしろ)」
ほら、頑張らなくたって単語だけで会話は成立する。
あとは小洒落たパリジェンヌの真似をして、「r」の発音を喉の奥で枯れさせれば完璧。
階段を降りると、日本のように広告がうるさくないホーム。
赤いネクタイのアコーディオン弾きが奏でる音楽がクリスマスソングじゃないことが、
彼が、今日がカウントダウンだからじゃなく毎日ここで演奏をしていることを伝えている。
反対側のホームに電車が来て、美男美女のカップルが
とてもゆっくりとした動作で電車に乗り込む。
動いているのに、視線はお互いの姿しかとらえていないから、そこだけ時間が止まったみたい。
生演奏のアコーディオンを聴きながら、私は電車を待つ。
隣のベンチに座ったおじさんが、チョコレートをくれた。
「Chocolate?(チョコは?)」「Merci.(ありがとう)」
やっぱり、単語だけで会話は成立する。
12月31日、半ば諦めて向かったのはオペラ・ガルニエという劇場。
バレエの「ジゼル」をやっていたのだが、半ば諦めていたのは
1ヶ月前からチケットが売り切れだったから。
「ワールドチケットぴあ」では、26000円の席ならあると言われた。
海外旅行だからといって、金銭感覚を狂わせてはならない。
ディナーに出せるのは5000円までだし(旅行中1回なら)、
バレエのチケットに出せるのも5000円まで、が身の丈だ。
荘厳な建築で、建物全体がギラギラ光り輝くガルニエの前で、ダフ屋を捕まえる。
ダフ屋は当然のように英語がぺらぺらだが、
私の英語は「Water」すら通じないのでフランス語で話しかける。
粘ったり、脅したり、愛想よくしたり、すねたり、サンドイッチをあげたりして
手に入れたのは3階席の一角、3000円。
ちなみに額面は700円だが(ヨーロッパは芸術が安いのだ)
ワールドチケットぴあで26000円払うのに比べたら安い。
見るものはおんなじなんだし。
2時間半の公演を終えて、観覧車のある広場へ戻る。
こんどは徒歩で。アメとか絵葉書とか、寄り道で両手はいっぱい。
1時間に1回、5分間だけライトアップの変わるエッフェル塔を眺めながら
カウントダウンの花火が上がる。シャンゼリゼ通りは歩行者天国。
数え切れないシャンパンの瓶が落ちている道を、注意して凱旋門まで歩いた。
つづく
パリ旅行記vol.2(全4回)
内側総ファーの、ピンクのミンクのコートを着て行った。
7センチヒールの、1日数十キロ歩くのは無謀なロングブーツを履いて行った。
地理を頭に叩き込むために、決して広くはないパリの街を歩いて、午前7時。
サントノーレ通りに、目当ての赤いぼんやりした外套を見つける。
入り口は見落とすほどに小さいドアで、映画俳優のようなギャルソンが立っていた。
無表情な穏やかさは、通り人の品定めをすることに慣れきっている。
ホテル・コスト。
ダイアナ妃が愛し、ビヨンセが愛し、24時間世界のセレブリティが集うホテル。
パリ通の恋人が、「パリへ行ったら必ず行って来い」と真顔で言った場所。
「ちょっとでも隙を見せると、入れてくれないぞ」とも。
小雨を手でしのいでいた。
「Bonjour」あれほど癪だった、フランス語の「r」の発音で話しかける。
「Bonjour,Madame」 門番のギャルソンは、身長2メーター。
スキンヘッドに碧眼で、黒いスーツは偽物のようにしわひとつない。
営業スマイルというよりは慈悲で包むように微笑むと、小さなドアを開けた。
私は、毎日毎朝、コストのカフェへ通った。
ある朝はフルブレックファーストを、ある朝は濃いエスプレッソだけで、
夜明け前から早起きして過ごす朝の4時間を、コストで過ごした。
最初の朝に席につくと、すでに雰囲気に呑まれて、意識が曖昧なほど酔っていた。
頭の中に、言葉があふれてどうしようもない瞬間というのが、むかしは確かにあった。
何年かぶりのその感覚に、厚いノートを持ってきたことにほっとする。
もし紙を持っていなかったら、大量の紙ナプキンを使うことになっただろう。
そのくらい、枯渇して、ものを書きたい欲求に苛まれた。
早朝すぎて、他の客はいない。
8時を越えるとちらほら、宿泊客の姿が現れるくらいだ。
ギャルソンやウエイトレスの話し声も聞こえず、姿も見えない。
なのに、監視カメラでもあるんじゃないかと疑いたくなるくらい、
メニューを決めてふと顔を上げるとオーダーを取る女性が目の前にいるのだ。
逆に、こちらが用事のないときには、全くもって誰も視界にすら入ってこない。
これをサービス業と呼ぶのなら。
エスプレッソを頼んで、ペンを取り出し、ノートを開く。
最初の文字を書こうと行間をはかったとき、
壁際にあった小さなライトが音もなくついて、手元がふと明るくなる。
今度ばかりはびっくりして、ちょっと、いやかなり、きょろきょろした。
でも、人の姿は見当たらない。
無人感と、自分のために用意された空間がまた、もの書き欲を刺激する。
「これからそっちへ行きますよ」とあらかじめ宣言するように、
靴音が響いてエスプレッソがやって来た。
ライトを見てから、「Merci」と言う。
こちらも異常にガタイのいいギャルソンがにっこり微笑んで
「いい詩を書いてください」と英語で言った。
4日間で1冊、ノートを埋めた。
私にとってのパリの朝は、毎日こうして始まっていた。
パリ旅行記vol.1(全4回)
金はあるが、時間はない。
そんな社会人になって初めての年末年始休暇はなんと11連休。
部長ありがとう、と言いながら私は地球儀を眺めた。
もう半年、日本という国から出ていなかったし、
足場を失ってどこかへ飛びたいという欲求も限界まできていた。
結果的に、私が選んだのはパリだった。
パリへ行く、と友人に言うと、僻地ばかり旅をしてきたからだろうか、
「パリって、フランスの首都の、パリ?」
と怪訝な表情で聞き直されたものだ。
確かに私はフランスが嫌いだった。
大学も卒業ぎりぎりまでフランス語のせいで単位を落とし続けたし
発音と表記の一致しないフランス語も、なんか胡散臭そうなフランス人も
サッカーのフランス代表も、嫌いというよりは憎んでいた気さえする。
なぜそんなところへ行く気になったのかは今となっては覚えていないが、
とにかく「先進国」というだけでおっかなびっくりで訪れたのは覚えている。
もっともおっかなびっくりだったのは、入国管理官が
「オハヨゴザイマス、イェー?!ハッハッハッ」と笑い、
パスポートの写真もページも確かめずにスタンプを押すまでの間だけだったが。
12月29日、日本最大の繁忙期。
「金はあるが、時間はない」はずの私が選んだのは、底値の「中国東方航空」だった。
…聞いたことがない。
機体にテレビはついていないし、機内食に選択肢はない。
「コーラをくれ」と言ったら「ない」と問答無用に水を注がれる。
なんの水だかわかったもんじゃない。
上海のトランジットでは、空港の出口を出ると2階のコンコースで
全身黒服の上海人が何人も、何人もこちらを見ている。
出迎えの人だったのかもしれない。
しかし、私には上海マフィアにしか見えなかった。
短い滞在だから、無駄な時間は極力ないほうがいい。
けれどいちいちイライラしていたのでは、海外旅行はできない。
日本人の緻密さと正確さは、病的とも思えるレベルなのだから。
飛行機の遅れを十分想定していた私だったが、なんと飛行機は3時間半早くパリへ着く。
「あの、フ、フランスのパリですよね?」
シートベルトの確認にまわってきたフライトアテンダントに、
日本で自分がされたのと同じ質問をしていた。
夜の明けるよりもずっと前の、AM3時半。何も見えない。
列車の運行状況を確かめるより前に、私はタクシー乗り場へ向かった。
「タクシー」というのは、だまされやすい乗り物だ。
パリのタクシーには、後部座席の窓ガラスに車両番号と通報先が書いてあって、
乗るときはこれ見よがしにその番号をメモる振りをするとよい、と某ガイドブックが言っていた。
「あ、あ、…bonsoir(こんばんは)」
あれほど憎んだフランス語を律儀に発音悪く話す私に、
まだ若いタクシーの運転手はまるでフランス映画のモノクロの1場面のように
一瞬下を向いて笑い、なにごとかつぶやいた。
「…もう、朝だけど」
彼がそう言ったとわかった気がしたのが、ただの勘違いだったのか、
不思議な場の雰囲気が助けたのかは、わからないが、
私が空港を出てわずか1分でパリの魔力に取り憑かれたことだけは、事実だ。
つづく