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2014/01/30

地球の舳先から vol.306
ミャンマー編 vol.4

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景色を見たかったが眠気が限界だった。ホテルに着いたと運転手に起こされる。
ヤンゴンとはうって変わって、どこぞのヨーロッパの中級ホテルのように隅々まで磨き上げられ、洗練されたホスピタリティのホテル・ヤダナボン。
昼寝をしようか、とも思ったが、そんなことをしては時差ぼけが始まる。
お腹もすいていたし街を歩くことにした。

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繁盛しているカレー屋さんに入り、初めてのミャンマーカレーにありつく。
ミャンマーカレーは便宜上カレーと呼ばれているだけで(なんの便宜だろうか)、
実際には「油煮」だと地球の歩き方に書いてあったがその意味を知る。
香辛料で具を煮込み、その具の味がたっぷり出た「油」で、ごはんをたくさん食べるのがミャンマー流カレー。かくしてわたしの頼んだ「エビカレー」はしょうゆ皿ほどの皿に、味の出切ったエビの殻と「油」であった。
が、ただの油と侮ることなかれ。これが、複雑な香辛料の旨みも手伝って絶品なのである。
この油だけで、山盛りに盛られたご飯が2杯いけてしまった。
ちなみに食堂にビールはなかった。「ラッシー?」といわれたが、入国2日目で水道水を飲む勇気はない。

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(食べかけではない。出てきたものがこれである。)

マンダレーの中心は、一辺3キロある王宮で、
鉄道駅のあるメインストリートから少し離れると庶民の生活が横たわっている。
腹ごしらえも終え、食後の一杯を探しながら歩くもバーやカフェのようなものは見当たらない。
そればかりか、タクシーがいないし、バス停も見当たらない。
歩く道は非常にのどかだが、そもそもそんな行動は想定されていないのか歩道がない。
観光地とは程遠い、しかし車道だけがアグレッシブに整備された碁盤目状の街だった。

わたしの目指した先は10キロ弱ほど先の「マンダレーヒル」だったが、このままだと
全行程歩く羽目になるのではなかろうか。そんな不安に駆られる。
王宮の東側には僧院や寺におさめる調度品などを作る工場が立ち並ぶ。
流しのタクシーが声をかけてくれるのを待ち続けながら歩くが、
行き交う車は皆クラクションを鳴らすくせに振り返ると全員でニコニコ手を振って来るとかで
まるで役に立たない。そうこうしているうちにマンダレーヒルに着いてしまった。

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(僧院にて。近くに宗教学校があるので僧侶が多い)

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(捕われた鳥を放してやることは「放出」という徳を積むことになるらしく、それを商売にしている子ども。逃がした鳥はまた捕まえにいくらしいが・・・)

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(マンダレーヒルの麓で遊ぶ子どもたち。)

「天空寺院」と称されるものの、頂上が見えないのでゴールイメージが沸かないまま、
その丘を靴と靴下を脱いで(ミャンマー流の礼儀)上がっていく。
頂上まで1時間ほどの道のりは、屋根のある参堂。
涼しくて快適で、所々に絵画や巨大仏像などの見所もあり飽きない。
屋台も出ている。息を切らしてくると「ウォーター?」などと言ってくるので涼しい顔で見栄を張る。
すれ違う片手で数えるほどの参拝者は皆現地の人。
途中には何屋なのかわからない、一家が住む小屋のようなものも沢山あった。
僧侶がなにごとか計算ごとをするらしい執務机が設置されたちいさなコーナーに
飾られていた壁掛けカレンダーはスーチー女史だった。変化の自由を垣間見る。

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(スーチー女史のカレンダー。)

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(とかく参道には犬猫が多い)

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(じゃれて離してくれない子猫さん。)

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(最後の階段が、やたら急)

静かに佇み、素足のため自分の足音もせず、静謐な空気が漂って美しい。
最後に、クラクラ来るほどの急な階段を上り頂上へ出る。
子どもが走り回り、隅々まで絶えず清掃をしている人たちがいる。
確かにマンダレーの町を見下ろす自然豊かな丘は美しかった。
涼風に打たれて澄んだ気持ちになっていた頃、欧米人団体観光客が夕焼けを見ようと
邪道にもエレベーターで大量に上がってきた。あれでは徳は積めないだろう。

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静かな参道が気に入ったので、帰りも歩いて下りた。
今度は、参道入り口に待機していたバイクタクシーに乗ってホテル近くまで戻る。
運転手は陽気な人で、いい夕陽スポットがあると連れて行ってくれた。
王宮とそれを取り囲むお濠に沈む夕焼け。運転手は満面のドヤ顔だった。

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都合、トータル20キロ歩いたらしいこの日、ようやくホテルへの帰り道で
ビアホールらしきものを見つけた。半屋外だが贅沢は言うまい。
子どもがひどく楽しそうに嬉々として働いていた。
手を上げると我先へとすっ飛んでくる。
60円の生ビールにようやくとありつき、いい気分でホテルへ帰ったのだった。

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つづく

2014/01/24

地球の舳先から vol.305
ミャンマー編 vol.3

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マンダレーに着くと、空港のカウンターでタクシーの手配をしてもらった。
手数料が乗っかるのは当たり前だが、回ってほしい場所があったし、その間
荷物を車に預けたまま何時間か待っていて欲しかったので安全な業者がよかったのだ。

わたしが向かったのはサガインという地。
マンダレー空港は市街地から公共の交通機関がないにも関わらずその距離40kmという
ヤケクソに遠いところにあり、サガインは直線距離でその中間地点くらいにある。
仏教修行の中心地で、その関係からか外国人規制区域でもある。
イラワジ川を渡る大きな陸橋から見える、山に転々と輝く大きな仏塔や僧院が並ぶ光景が
まさに圧巻の一言。一帯自体が神々しいというか、ちょっと表現しきれないオーラがある。

仏教の修行をしに行ったわけもなく、目的はジャパンハートのワッチェ慈善病院
ジャパンハートというのは日本人医師吉岡秀人氏が始め今でも陣頭指揮を取る
世界で無償の医療提供を行う組織で、吉岡医師はもう長いことミャンマーで活動している。
偏差値30から国立医学部に合格したとき、「神と取り引きをした」と感じたらしく
医療を受けられない人に生涯、医療を提供し続けていくことを心に決めたそうだ。
NHKの情熱大陸でも複数回取り上げられているので、ご存知の方も多いと思う。

友人たちはよく知っていることだが、わたしは医療の道を志していて、
それはいまさら自分がこの手で切ったり貼ったりという医療では勿論無いのだが
ぜひ見学をしたいと思っていた。ちょうど集中して手術を行う「ミッション期間」
が明けた日取りだったこともあり、事前に日本の事務局に相談をして許可を得た。

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(入院病棟。家族が多く賑わっている)

野戦病院のようなところを想像していたのだが、空気が暖かくて驚く。
スタッフ宿舎、病棟、ナースステーション、果ては手術室の中まで案内をして頂いた。
2004年から、お坊さんの病院の2階部分を間借りという形で使わせてもらっているという。
日本からは医師1人、看護士4人が常駐。それとは別に、月2回の「ミッション期間」に
臨時ボランティアという形で医師を呼び、1日15~20件の手術をこなす。
外来は1日20~80件で大人も子供も無料。手術は18歳以下が治療費含めすべて無料。

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(手術室。最新鋭の機械を持ち込むのではなく、ミャンマーで持続可能なやり方を探っていくのがジャパンハートのポリシーだ。ミャンマー人看護助手の育成も行っている)

日本だと完治しなければ文句すら言われるが、医療がまったく身近でないここでは
「日本人の先生に見てもらった」というだけで感激で、少しでもよくなれば喜ばれる。
何日も何日もかけてここまでやってくる人も多いという。
もともと、生活に支障が出るまで放っておいてしまうので簡単な病気もすごい状態に
なってからやってくるし、入院となれば親戚中で来て住み込むこともあるというミャンマー人。
病院ながら家族に囲まれ、下階にはそんな家族が洗濯や炊事をするスペースも用意されている。

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炊事スペースのすぐ横のお茶屋さんで、ラペイエというミャンマー流紅茶(コンデンスミルクを極限まで入れて溶かした非常に甘いミルクティー)を飲みながら、スタッフの女性に話を聞いた。
彼女は大学生で、インターンで1年間ここへ来ており、元々は医療関連とは無縁で
NGOやNPOの活動に興味があったというのだが、ここでは日本で言う看護助手以上の
仕事もしているので、関係ない道に進むのも勿体無いような気がする、と言っていた。

自分より10歳若い彼女に、なんでもできるよなあ、という通り一遍の感想を抱きつつ、
その実、意外といくつになってもなんでもできるということも分かっている自分に気付く。
つまらない大人は、いつだっていろんなものを諦める口実を探しているだけなのだ。

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(ダウン症の男児とその両親。)

物事にはなんでも賛否両論があると思う。
たとえばミャンマーで殺害された日本人ジャーナリストは観光ビザで入国していた。
当時ジャーナリストビザなんて下りるわけもなくその行為は業界的には当然だったのだろうが、そのことによってミャンマーで活動する日本のNGOやNPOは締め出された。
ジャパンハートも例外ではなく、そのために医療を提供できない時期が続いたという。
誰かの「正義」は、所詮その人だけの正義でしかない。

わたしもまた、誰かの正義に批評を投げかけさせることが目的ではないので
お聞きした話の多くはここで晒さずにわたしの胸にしまっておく。
しかしそこで無償で働く日本人の真っ直ぐな目と、日の丸から模したのであろう
赤と白のユニフォームで誇りに輝く姿、
そして穏やかで満足げな現地の患者さんの姿は強く印象に残った。

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つづく

2014/01/20

地球の舳先から vol.304
ミャンマー編 vol.2

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ヤンゴンに着いたのは現地時間で午後5時。
日本との時差は、2時間30分。分の単位がでてくるのは初めてだった。
作り替えたばかりのピカピカの空港に、LGとサムスンの巨大広告。お約束。
経済制裁緩和に伴いマスターカードの広告も存在感を示していた。

ところでミャンマーの旅行を検討してこのコラムに辿り着いた方に
まずお伝えしておきたいのが、地球の歩き方が珍しくまるで駄目だったことだ。
おそらく、3~5年くらいのレンジで取材をしていないのではないかと思う。
それでも毎年、「今年版」といって売りつけるのだから、いい商売だ。

空港から市街へのタクシーは、公定料金になっていた。
しかし空港を一歩出て個別交渉をしたらぐんと料金が下がる、なんていうのは
旅においては日常茶飯事なので、一応ぶらぶらと空港の外に出てみる。

「タクシー!」
「いくら?」
「10ドル」
「はぁ?!なんで公定料金より高いのよ」
「ノー、ノー、エアーコンディショナー」
・・・いらんわトヨタ車。思ったより寒いし。
「チープ カー お願いします」

それ以上がんばろうかとも思ったが、結局、公定料金と同じ額で乗った。
そもそも、わたしはバックパッカーにはなれない!根性がゼロだ!とよくいっているのだが
交渉というものがほとほと性に合わない。楽しめないし、異常に疲れる。嫌いなのだ。
おまけにときに怒ったふりをしたり戦闘体制にならねばならないので、勘弁してくれと思う。
だから、インドやタイやバリ島みたいなところへ行くと、早々に「もう帰りたい・・・」になる。

幸い、運転手は寡黙な人で、フロントミラーに仏陀のお守りが揺れていた。
東南アジア独特のもわっとした空気はなく、乾燥した空気が香辛料の香りを運んでくる。
東京近郊の高速道路から見える「お城」そっくりの安っぽいイルミネーション、
最近進出してきたらしい外資の保険会社の大きなビル、
おしゃれな円柱形ガラス張りの高層ビルには「シボレー」のロゴ。
建設中の巨大な工事現場には、世界的ホテルチェーンの「ノボテル」の名前。
まさに絶賛開発中。暗闇のなかではあったが、想像していたような「ヤンゴン」だった。

しばらく行くと左手に、輝く巨塔が見えた。
ヤンゴンで一番有名なパゴダ(仏塔)、シェエダゴン・パヤー。
輝く、というのは比喩ではなく、たっぷりと金箔が塗りたくってあるので本物の黄金の輝き。
大渋滞で、市街中心部のホテルまでは1時間近くかかった。

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(これは小さいほうの仏塔、ホテルから30秒、市街地中心の目印スーレー・パゴダ)

そう疲れてもいなかったし、「串焼き屋台ストリート」なるところに行きたかったのだが、
なにせ外灯が少なく地図を開くのもままならないので近くの定食屋で夕食を取る。
ミャンマービールを飲もうと思っていたのに見事にアルコールがない。なんてことだ。
ここだけでなく、道中を通じてお酒の入手にはほとほと苦労することになる。
店の隅の看板に、「HALAL」(ハラール)の文字を見つけた。イスラム教法で許可された
食材や調理法で提供される食事のことだ。イスラム系の店だったのだ。

あとで知ることになるのだが、ミャンマーでは食事は売るものではなく振る舞うもの、
ということで、ミャンマー料理のレストランというものはつい最近までほぼなかったらしい。
確かにインド系やイスラム系のほうが商売ごとははるかに上手そうである。

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そこでよくわからないドライカレー(米の中に大きな鶏の身が入っていた)を食し、
ホテルに帰ってミニバーで1杯やろうと思っていたら、ホテルのフロアにはでかでかと
禁酒禁煙を示す看板がかかっていた。なんてことだ。そんな国だなんて、聞いていない。
部屋の冷蔵庫にはお酒が入っているわけもなく、電源も入っていなかった。
ためしに町を1時間以上歩いたが、スーパーにも売店にもアルコールはなかった。なんてことだ。

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かくして翌朝、マンダレーへ向かう飛行機を待ちながら朝の6時から
空港でビールを飲むという非常に遺憾な事態になってしまった。
出発が早かったため、ホテルが朝食代わりのお弁当を持たせてくれた。ワクワクである。
これは、ミャンマーのホテルでは一般的なサービスらしい。
その弁当箱のあまりの軽さに想像をめぐらせていたが、中身はこれだった。・・・贅沢は言うまい。
なんだか甘ったるいマーガリンらしきものをはさんだサンドイッチは「ミャンマーサンドイッチ」というらしく、空港にも売っている。卵が固ゆでだったので、安心して食べる。

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こうしてさほどヤンゴンに興味もなくわたしが向かった最初の都市はマンダレー。
イギリスに併合されるまで、最後の独立王朝として栄えた王都である。
ちなみに、名産はマンダレービール。(頼むよ、まったく)

当然のように飛行機は陸止め。順路通り歩いていたら空港の外まで出てしまい荷物がない。
なんと、滑走路から空港施設(屋内)に入るときに自分でピックアップするのだ。
屋内の入口までガラガラと運んでくれはするのだが、手渡しである。
さすがに珍しいので、外国人が皆引き返して荷物をピックしがてら写真を撮っている。

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(手渡しです)

とにかく飛行機(しかも部品のメンテナンスが危うそうなちいさな国内線)は
いつ落ちてもおかしくないので、ロシアンルーレットを抜けたことにほっとするのみ。
荷物を持って、こんどこそゲートをくぐった。

つづく

2014/01/14

地球の舳先から vol.303
ミャンマー編 vol.1

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・・・なんだろ、どこだろ、ここ。

そう思うことが、何度もあった。
わたしは基本的に、丸腰で海外へ行くことをしない。
いくつかの国を周遊するということも9割がたしない。
ひとつの国にターゲットを絞り、日本語で書かれている、図書館にあるような本には目を通す。
そのような「予習」は、いっぺんに何か国ぶんもできないからだ。
頭でっかちになってよくない、という人もいると思う。
けれど、わたしにとっての旅は、本を読む→足で歩く→頭で考えて書く、の3段階で完結する。

今回のミャンマー旅行ほど、事前のイメージと実際がまるで重ならない国もなかった。
もちろん、テレビで見たあのまんま、の北朝鮮のような国もそれはそれで衝撃なのだが。

「最後のフロンティア」? ・・・違う。
「ASEAN最注目の急新興国家」? ・・・違う。
「アウンサンスーチーさんが軟禁を繰り返されている危ない国」? ・・・違う。
「日本人ジャーナリストも殺害された軍政国」? ・・・違う。

いや、どれも一側面からはたしかに「事実」なのだろう。
しかしこの国を歩いてみると、受けるイメージとは乖離がありすぎる。
わたしは旅をしながら、この地が「ミャンマー」であることがしっくりこなかったし、
じゃあ「ビルマ」かといえば、「ミャンマー」よりはましだけれどやっぱりしっくりこなかった。
果たして、冒頭の感想である。

安寧の仏教国。
すくなくとも、短期外国人旅行者としてのわたしの目にうつったのはそれだった。
いやな顔ひとつすれば、そんな自分が恥ずかしくなってしまうくらい、
およそ怒ったり争ったりしない人たち。
「神」なる何かに、どんなに祈っても叶わず死んでいった宗教もあれば、
求めることが欲でありいけない、と教える宗教もある。

各地にある日本人慰霊碑を、人目を気にしながら見に行ったとき、
ひざをついて一緒に(というよりわたしよりよっぽど)祈ってくれた僧侶も、
お金も要求せず火をつけた線香をあわてて持ってきたのもミャンマー人だった。
「日本はよくないことをしたのに、なんで?」と聞くと、
「日本の兵隊さんはミャンマーで死にました」と言う。

今回、道中で、情熱大陸でも複数回取り上げられた、ミャンマーで無償医療活動を
長いこと行っている、吉岡秀人医師の病院施設を見学させてもらった。
そこのスタッフが、こんなことを言っていた。
「ミャンマーでは、病院で死ぬことは悪いことなんです。本人にとっても、
 病院にとっても。だからできるだけ、お家で死を迎えられるようにします」
戦争で迷惑を被ったにせよ、ミャンマーの地で沢山の人が死んだということは
彼らにとってそれだけで不名誉なことだった、ということなのかもしれない。

さほど望んだわけでもない寺院めぐりを、結果的にすることになりながら
ブータンで、「自分の欲を祈れば、積める徳が半減する」といわれたことを思い出した。
(「罰があたる」ではなく徳は積めることは積めるというのが仏教的でなんともいい)

仕方がないので、世界平和を祈ろうかなどと心の大きいことを考えたが
滅亡したほうがよかろうという国が思い浮かぶほどにはわたしの心はけがれていたので、
この国の、親切なミャンマーの人々の安穏を願った。

こういう国にこそ、どうか幸が降りますように。

ミャンマーへ行くと、すっかり洗脳(言葉が悪い)されて帰ってくる人が多いと聞く。
しかし、まあそうなっても仕方ないだろうな、と思うくらい、とても良いところだったのだ。
いい意味で、ちょっと現代では信じられないようなことが、たくさん起きた。

筆舌に尽くしがたい、経験をした。
がしかし、これから、ゆっくりめに振り返っていきたいと思う。

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2013/12/29

地球の舳先から vol.302
旅の準備 編

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ユウさんはビルマ(ミャンマー)へ行きました。
この記事は、小人ではなく、出発前夜に本人が書いたものを予約投稿しました。
写真はイメージです。

ミャンマー。かつてのビルマ。それほどの印象しかなかったけれども、
数いる旅の猛者どものうち「ミャンマーが一番良かった」という人が結構いるのです。
なんでも、人がいいとか。そのほかにも安全だとか物価が安いとか色々あります。
でも、わかりません、ミャンマー。大日本帝国の戦争のイメージしかないです。

しかしよくよく調べてみると、トルコかミャンマーかというほどの親日国家とのこと。
東南アジアには軒並み恨まれている日本ですが(中韓はタカリ屋なので話が別)
あの戦争後、仏教国マインドといえどどうやったらそこまで親日になるのでしょう。
しかも、賠償などをいっぱいして時間が解決してくれたということでもなさそうで、
敗戦直後、焼け野原になった貧しい日本にミャンマーはいち早くコメ援助をしています。
ビルマで死んだ日本の軍人は、戦闘よりも、大本営の失策で兵站も断たれ、飢えや病気で死んだ人が多いそうで、ミャンマー人の中には、いまだに「あのとき日本の兵隊さんを助けてあげられなかった」と言う人も少なくないそうです。 …そんなにいい人で、大丈夫ですか。

そしてアウンサンスーチーさん。どうもこれは、現地で大使をやっていた人の著作によれば
「軍政はよくやっている。アウンサンスーチーさんは諸悪の根源で、西欧諸国にミャンマーを経済制裁しろと呼びかけていたり、最大の問題である少数民族との対話は拒否するなど、話にならない」という見方もあるようで、この見方の是非はさて置くとしても、少なくとも「スーチーさん=善、軍政=悪」という単純なバカでもわかる構造はやはりメディアレイプのようです。
ノーベル賞だって、アレですしね。スーチーさんは欧米の傀儡なんでしょうか。
あと彼女、韓国で日本批判演説とかしてるから、彼女が国のトップについたら、
ミャンマーも親日国ではなくなるかもしれませんね。まあ、そうはならなさそうですが…

そんなこんなで、どうも結局よくわからないというか、興味を持ったミャンマー。
実はもっと昔に行くつもりでいたのですが、なぜかいつも機をうしない、
そうこうするうちに数ヶ月前にホテルをとらなければ人気の宿はいっぱい、
というくらい、ミャンマー需要は高まっていたのでした。
「いざとなったら寺に頼み込んで宿坊させてもらえる」と前向きなアドバイスを頂きましたが
わたしはバックパッカーではないですので、そういう旅は根性がついていきません。

周到にホテルから押さえ、航空券はなんと全日空の直行が飛んでいたのでそれを押さえ、
ビザを取って、ついでに僻地のガイドと気球のツアーを予約しました。
そこまでやってから初めて『地球の歩き方』を買ったのですが、ページをめくれど寺、寺、寺。
寺以外の見所はないのでしょうか。たぶんないのでしょう。
いや、以前日本軍が従軍慰安施設にしていたところなどがあるのですが
キレイにリノベートして高級リゾートホテルになっていたりして、昔のそういうことは
ガイドブックには一文字も書かれない。変なところに観光客を連れて行くと現地の人間のほうが
尋常でなく罰せられるというのもなんともキューバ北朝鮮的、いや失礼、社会主義的です。

そんなこんなで、余計な詮索をするという楽しみも断たれ、
「美術館・寺(城)・遺跡」にまるで興味がないというか極力避けて通りたいわたしは
いったい何をしにミャンマーへ行くのか。完全に「やること」を見失って早数ヶ月。

突如、わたしは仏教に目覚めました。

なんか、仏教、すばらしいと思うんですよね。
どっかの宗教のように正当な理由があれば人を殺していいとか言わないし、ウィキペディアによれば“(仏陀は)「私を信じなければ不幸になる。地獄に落ちる」という類の言説は一切しておらず、死後の世界よりもいま現在の人生問題の実務的解決を重視していた。” んだそうです。
「神のご加護」なんてない。崇拝すべき教祖もいない。

仏教に目覚めた割には寺めぐりをして徳を積もうというほどには敬虔になれないのですが、
仏教が息づく国とそこに生きる人びとというのを、興味深く見てきたいと思っています。
あと、今度から外国で宗教を聞かれたときに「仏教徒だ」と答えることに嘘八百を感じずにすみそうです。

パスポートを取り替えてはじめての旅。
わたしなんかにもらわれてしまった不運なスーツケースも先日ちょうど10年でぶっ壊れ(よく頑張った)、最初の1ページをまた刻み始める旅になりそうです。
皆さまも、よいお年を。

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