Home > ■日本-山里海 > ■日本-八重山諸島

2016/08/25

地球の舳先から vol.366
八重山 編 vol.1

ya1

旅をしたい、と思うことが、ほとんどなくなっていた。
行きたいところには、ほとんど行ってしまった。
残っている行きたいところは、だいたい今行くべきでないところだった。
そして、ばかみたいに、同じところへ何回も行くことも増えた。
たぶんそれはもはや「旅」ではなくて、ただの「用事」だ。

早くに夏休みを取って向かったのは、またしても海のある場所。
海でレースには出るくせに、自然はあんまり好きではない。
暑いとか流されるとか刺されるとか、なんかしか「ヤラレる」ことが多すぎる。
だから、ほとんど名前しか知らない「小浜島」に降り立ったとき
わたしは、とにかく「あれ、どうしよう」と思った。
船着場を降りたらば、草がボーボーで、ほかには何もなかったから。

海外へ行く時はあれだけ調べて本も読み漁るのに
行っても帰ってもカロリーを使う「旅」とくらべて、
国内の休暇では、なにもしない。
ソンをしている部分もあるのだろうが、たぶんトクもしている。
「あれ、どうしよう」と思った後、
「別になにもしなくていいんだ」と思い直し、
自分で何もしなくていいホテルを選んだことも、同時に思い出した。

ya3

ホテルの看板を持ったおじいちゃんに導かれてバスに乗り込むと、
ここが古く「ちゅらさん」の舞台となった地だということを知る。
それから、八重山諸島でいちばん星が見える島だということも。
そして、今年はカラ梅雨で、異常に暑いということも。

梅雨だというから、室内のアクティビティがあるところ、
そして、ホテルにこもっていても十分快適なホテルを押さえていた。
それなのに、鬼のように、晴れていた。

その暑さは、東京のあの薄気味悪い暑さとはぜんぜん違って、
ストレートなだけに攻撃性も高い。
いつだったか、どこの国か忘れてしまったけれど砂漠地帯の国で
だんだんと頭がもうろうとし、具体的に言うと
だんだんと数が数えられなくなったりするあの感覚を思い出す。
あれは、暑すぎて脳細胞がだんだん死んでいくのに違いない。危ない。

スコールでも降って落ち着くかと期待したが、気温は上がり続ける。
冷房をまわして、抵抗する。
その駆け引きの結果、わたしの一眼レフは結露した。
ゆるんだ思考にも、これは相当な打撃だった。

とんでもないところへ、来てしまったようだった。

つづく

ya2

2015/08/10

地球の舳先から vol.362
尾道編 vol.1

bella0-main

“瀬戸内キロメートル・ゼロ”という
地産地消をコンセプトにしたリゾートホテル、ベラビスタ。
ここでいう「地産地消」は食べ物だけの話ではなく、
デニム(知らなかった広島ブランド)など産業や文化までを含むという。

元々、造船大手の常石造船の迎賓館だったというから、もちろん景色は至高。
海を目の前に、山の上に鎮座するホテルの中をくぐってデッキに出ると、
「多島美」といわれる瀬戸内独特の、美しい小島が続く穏やかな海が広がる。
そのまま海とつながっていそうな、レッドカーペットみたいな水面には
空がそのまま映り込んで、ぐんぐん流れる雲に1秒たりとも同じ景色がない。

bella7-takibi bella3-sofa

陽をよけてソファに体をおろしたら、あとはやることはひとつ
…と思いきや、夏は線香花火もできるそうです。

bella6-hanabi bella4-marina

お部屋は全室オーシャンビュー。そして全室50平米以上。
1室しかない最上級スイートの「ザ・ベラビスタ」には
海を臨む露天風呂があるそう…でも人気でなかなか予約が取れないらしい。
ベッドの上には、デニムのテディベア(連れて帰っていいとのこと)。
遮るものが無いのでいつも陽の光が入って、どこもとても明るい。

bella2-bed

相変わらず、広すぎる浴槽の入り方がわからないわけですが
足を伸ばすと頭まで沈むので、だれか正しい入り方を教えてほしい。
浴室には、アロマキャンドルと、瀬戸内レモンの顔用パック。
室内に、ハーブの香りのスプレーがあったのが気に入ってつけていたら
それは蚊よけだったらしい。このあたりのさりげなさがセンスだなあ。
アメニティはなぜかBVLGARI。唯一の謎。

bella5-scene

SPAは天然「尾道温泉」もちろんオーシャンビュー!
そして、6時からやっている入り放題の岩盤浴、これが本格的。
湯上り処にはせとうちレモン水やホテル手作りのアイスやビールが
あるらしいけれど、わたしは夜は飲んだくれていたので朝入ったのでした。

そして、オーベルジュリゾートですから。
メインダイニングは珍しいバスク料理。
ベラビスタのラベルがついた(独占なのでしょう~)バスクワインも。
そして、スタッフが楽しい。ラテンの香りがする。
お料理は、瀬戸内の素材を生かした創作。
オープンキッチンというか、キッチンの中に客席があるようで
1品1品シェフのパフォーマンスも食事の内。
旬の夏野菜、地元のお魚に、熟成肉まで!

storagesdcard0SilentCameraSoft1437219704727 storagesdcard0SilentCameraSoft1437220616128 storagesdcard0SilentCameraSoft1437222421431 storagesdcard0SilentCameraSoft1437223898081 storagesdcard0SilentCameraSoft1437224586931 storagesdcard0SilentCameraSoft1437226015435 storagesdcard0SilentCameraSoft1437227158091 storagesdcard0SilentCameraSoft1437229226419 storagesdcard0SilentCameraSoft1437229706110

朝食は日本料理の方へ行ってみたら、
なにごとか朝7時なのにドリンクブッフェ台にシャンパンが…
と思ったら「朝シャン」はここの売りの一つなんだそう(あとから知った)。
すだれのかかった緑のお庭を見渡す席は、茶室にいるようで
20種類もの手のかかった旬のおばんざいに
自然飼育の有精卵「神勝寺たまご」が木箱に入り…
お豆腐も朝づくりのすくい豆腐だったそう。
うんちく好きなので、もうちょっとメニューの説明があったらよかった。
(も一度来いってことか。)
テーブルをいっぱいにしたところで、干物を何にするか聞かれる。
ここから、メインが来るのですか。もう戦いですね。

bella8-wa bella9-wa2

bella10-waplate

(↓こちらはメインダイニングの方の朝食風景から。名物はスパニッシュオムレツ)
bella11-ele bella12-ele2

bella13-wine bella14-wine2 bella15-wine3

面白かったのは…ロビー。 1日通して、とっても変幻自在。
昼間はとっても明るくて海を見ながら涼しげに泡のでる飲み物…
午後、6時まで角っこでひとつ300円で売ってるピンチョスは
つまみというボリューム感を越えていて見た目もきれい。
6色マカロンはじめデザートやチーズも出すけど、
夜は尾道ラーメンとカクテルも出す。

bella1-lobby

bella16-tuika storagesdcard0SilentCameraSoft1437231401488 storagesdcard0SilentCameraSoft1437232326855

ラーメンからチャペルまで。
瀬戸内 しまなみの 旅でした。

ベラビスタ スパ&マリーナ 尾道

2015/08/07

地球の舳先から vol.361
屋久島編 vol.4(最終回)

yaku4-2bed

信頼筋が薦めるので、泊まってきた。
泊まってきた、というより、体験してきた、に近い。

予約直後からの、細々した丁寧な連絡に、心くばり。
チェックインの時間は、お客さんが屋久島に来た時間だといって
朝早くなのに、ホテルまでの送迎車を出してくれるという。
トレッキングを予約していたのでレンタル品の問い合わせをするが、
その対応がなんとも、柔軟というか、システム化されていないというか、
「屋久島滞在“全般”において必要なことが無いか、あればホテルがそれを手伝う」
というスタンス。
しかし飾りすぎず、お客様様様様様な過剰なサービスではない。
まだ屋久島に行く1か月も前から、すでにホテルのファンになっていた。

あとで聞いた話だが、このホテルにはマニュアルが無いのだという。

送迎車が着くと、総出でお出迎え。
コック帽の人もいたので、その時間いる人が皆出てくるらしい。
こればかりは、ぎょっとするというかやりすぎというか、あまりうれしくはない。
それ以外は、アットホームな人たちばかりで、リラックスできる。
そして、いつどこへ行っても会うスタッフが皆、客の顔と名前が一致している。
どこでどう共有しているのか、不明。
悪いことできないなと思う。(しないけど)
チェックイン手続きにやってきたスタッフの私の予約メモには
びっしりと何事か書き込んである。そんなに、なんの情報が?!
ホテルマンたちは皆どこかしら洒脱な身のこなし。
このホテルで働きたくて県外から来るらしい。

水平線を眺める目の前に広がる一面の海・・・
は、そこが海であることが判別できないほどの大雨に見舞われ
プールで泳いだりプールサイドのテラスでごろごろすることは叶わないが
ライブラリーに置いてある本のセレクションがまさに絶妙で
ドリンク類(ビールも)フリー。何時間でもいられそう。
ライブラリーラウンジでチェックイン手続きをするが、このときは
地元の素材を使ったウェルカムドリンクを作ってくれる。
当然泡々したものを期待したが、これからトレッキングに行くことを
把握されているため、梅ジュースである。しょぼん。

yak4-2living

全室が棟建てのヴィラで、一番狭い部屋でも大きなリビングに
マッサージベッドまでが完備されている。お茶は8種類。
バスルームは大きな鏡に、バスタブのほかにシャワールームも別にある。
アメニティはTHANN(ブランドのセレクションが、また絶妙)で
バスルームとシャワールームにそれぞれ香りの違う2種が用意されている。
浴槽に入れるハーブのマッサージボール。
ホテル謹製のスキンケアセットと、石鹸には持ち帰り用のバッグ。
冷蔵庫内の飲み物はもちろんフリー(ビールも ←しつこい)、
ターンダウンサービスには、木の葉に添えたチョコレートがつき
キャンドルで焚かれたアロマの香りが漂う。
(ターンダウンが不要の場合は、ドアの前に亀の置物を置いておく仕組み)

yaku4-3tea yak4-3ame yak4-4rei

徹底して、色々なリゾートホテルの名物サービスを研究してきている。

yak4-8resta

この日は天候による欠航便も多く、お客さんの数が減ったからなのか、
よく飲むやつと踏まれたのか、上階のフレンチへアップグレードされていた。
オープンキッチン、その先に広がる屋久島の濃い緑がだんだん更けていく様は
ここがどこだかわからなくなる静謐さ。

yak4-9ika yak4-7niku yak4-6cheese

料理は勿論屋久島の素材を沢山取り入れて、ペアリングはブルゴーニュ中心。
なんにも言わなくても、ペースと反応をソムリエさんがちらちら見ている。
最初のシャンパンから、某有名メーカーの、珍しい銘柄。
白とリースリングを往復して、お肉にはピノ。
チーズはワゴンサービスみたいに、7種類から好きなものを好きなだけ選ぶ。
ようやく口を開いて、白の重いめを頼んだら、安定のムルソー。
あー飲み過ぎた。知ーらない。ってなる。
でも、悪酔いをしないのが高いワイン。熟睡。

yak4-5breakfast

朝ごはんは、卓上でブッフェが展開される。ご自慢のパンは、7種類も。
「取りに行く方式のブッフェ」を、きっとホテルは絵的に嫌ったのだろう。
パンは、バターやジャムを塗って食べるもの以外は包んでもらった。
ちなみにわたしはこの日の昼も、競技後の夕食も、その翌日の朝も、
このパンだけで過ごした。このホテルさえあれば、もう何もいらない。

チェックアウト後に続く行程も、スタッフがこまごまと調整をしてくれる。
お土産にホテル謹製の パウンドケーキ型のオレンジブリオッシュを持たされ
空港まで送られた。

絶対また来ると思う。

サンカラホテル&スパ屋久島

2015/07/23

地球の舳先から vol.360
屋久島編 vol.3

DSC_2729

避けて通れない話。
今回の屋久島旅は、最初から雲行きが怪しかった。
文字通り、「雲行き」が。

最初に心配したのは台風である。
屋久島在住日高さんのコラムから、屋久島における「台風」が
我々の知っている「台風」とは別物なことは予習済。
例年よりはるかに早く台風の影が見え始めたが、持ちそうだった。
それを確認して、わたしは安心しきっていたのだ。

6時40分発のJALからまず鹿児島空港行き便の条件付運航の知らせが来る。
チェックイン時に再度、「悪天候時は羽田に引き返しもしくは福岡空港へ
行きます。いいですか」と迫られる。
全然よくないが、いいですと答えないと乗せてもらえないから仕方ない。
無事に経由地の鹿児島空港から屋久島までのフライトも飛んだのだが、
どうやら運が良かっただけらしい。

屋久島空港は着陸がレーダーではなくパイロットの目視らしく(驚愕)
滑走路も短いため、厚めの雲ですぐに着陸不能になるのだそうだ。
この日も、鹿児島から1日に5便飛ぶうち、3便が欠航。
福岡からの便は、屋久島上空で随分待機した後、断念して引き返した。
そしてわたしが大会で嵐の中泳いでいた日は5便中4便が欠航し、
最後の1便も偶然15分ほど雲のどいた時、瞬間着陸したらしい。

空港では、慣れきったグランドスタッフがプリントを手渡してくる。
そこには、鹿児島へ行く船便のタイムスケジュールと翌日の残席数、
鹿児島港から空港までのリムジンバスのスケジュール、
鹿児島空港からのJALの各地への乗り継ぎのタイムスケジュール
といった、必要な情報がびっしりと一覧になっていた。

貧乏人のわたしがもっていたのは、自己都合での変更ができない格安チケット。
「天候調査」と条件付きになった瞬間からしか変更が出来ないので
帰る日はなんにせよ1便の進捗を待つしかなさそうだった。
お金持ちの正規チケットを持った人たちは、翌日の観光を早々に諦め
1便目に変更をしておいて、順次、飛ぶものに乗るという。

ちなみに屋久島では、何便がただいま欠航になりました、とか、
港のコンディションが悪く●●港に変更になりました、とかが
島内放送でスピーカーから流れてくる。びっくりした。小学校みたい。

そしてみんな、いらいらしない。なるようにしかならないことを
身をもって知っているからだろう。

そして2日後の帰り便。
着陸より離陸の方がハードルが低いと踏んでいたのだが、そもそも鹿児島から来る機体で飛ぶ折り返し便なので、着陸してくれないことには乗る飛行機が無いという仕組み。
出発の1時間前から空港へ行き、空の雲と風を見上げていた。
欠航したらすぐに船便に切り替え、港ゆきの極少本数のバスに乗る必要がある。
朝からの土砂降りが、雨レベルの降り方になる。
雲は厚いが、流れも速い。すこし明るくなったのを見て、荷物を預ける。
保安検査場の先では、同じく乗客たちがガラス窓の外を見つめていた。

そのとき。パッと見たこともない光が刺した。
それが太陽だということが一瞬わからないくらい、この数日、太陽を見ていなかった。
視線の先の光景に、「うわぁ…」思わず声がもれたのは、わたしだけではなかった。
何ともドラマチックに、舞台の幕が上がるように左右にはけた雲間から
JACの機体が滑走路目がけて突っ込んでくる、その姿があった。
そこかしこで、小さな歓声と拍手があがる。

誰の晴れ女(男)力を借りたのか、自分の運を使い果たしたのかわからない。
握りしめていた、雨に濡れた船便のプリントを捨てた。
搭乗ゲートの隣には、天気を待つ旅人たちのためだろうか、
かごに入ったおせんべいが、たくさん置いてあった。

最後に、屋久島に梅雨時期へ行く人へ。
あちらの「梅雨」はしとしと雨とは無縁。
傘など役に立たないので、ごみ袋に穴をあけて頭からかぶるとよい。
わたしも、来年はそうする。

2015/07/16

地球の舳先から vol.359
屋久島編 vol.2

yaku2_!

ひと月に35日雨が降る、といわれる屋久島。
噴火の花崗岩でできた島には土が少なく、岩や木に生えた苔のうえに草木が生まれる。
木というのは大地の中に深く根を張るものだという先入観からしたら、苔の上に木が生えるなんて、信じられない話。信じられない話が、目の前に転がっている。

だから屋久島の森は、地面まで、茶色じゃなくて緑なんだ。
湿度と霧がつくる雲の中のような森は、雨だからトレッキングをやめようかなと言ったわたしに「水が無いと、あまり綺麗じゃないというか、屋久島らしい景色じゃない」とホテルの人が言っていた通りの幻想的な光景。
ピーカンのお天気では、苔も閉じてカラカラに乾いてしまうらしい。
その苔は、600種類はあるという。

yaku2_1
(ほんとうに苔の上に、小さな杉の木が生えてきた)

yaku2_3
(雨にぬれる、ふかふかの苔。)

15時間もかかる登山だという縄文杉は諦め、やってきたのは「ヤクスギランド」。
名前は子どもだましのようだが、美しい屋久島の自然が体感できる場所で
高齢者でも少しだけ歩ける短い舗装コースから、登山道の山道まで
所要時間とレベル別にわかれ、非常によく練られていた。
15分程度で最短コースを案内するガイドさんの甲高い声が響く。
山に入るバスガイド。なんてワイルドなんだろう。

木のたくましさといったら、意志を持ったバケモノのようだった。
横向きに10メートル以上、大木の幹をのばしていくもの。
昔、岩をまるっと幹で包んで成長したらしい、中に空洞をもつもの。
大木の途中に苔が生え、そこから別の木が生まれたりする。
同じ種であれば、同化して1本になることすらあるそうだ。
大木の幹にからみつきながら地面に下に向かって根を伸ばしている木。
「なかなか着かないなー、って、思ってるでしょうねー」
手練のガイドさんが、のんびりと言う。
お願いして本当に正解。知らないことだらけだった。

yaku2_5
(根の張り方が、相当ワイルド)

yaku2_6
(ぽっかりあいたところは、昔 岩があったんだろうとのこと)

ちなみに、屋久杉とは、樹齢1000年以上のものだけをいうらしい。
じゃ、それ以下は? と聞くと、返ってきた答えは「小杉」。
999年生きても、小杉。なぜかイラッとする。失礼じゃないか。
「東京の杉も500年くらい生きますよー」
そうか、勝手に切るのは人間で、本来の木の一生からいったら、それが妥当なネーミングなのかもしれなかった。

レインコートで視界をふさぐよりも、透明なビニール傘が重宝した。
畳めば急勾配で簡易ストック代わりになる。
土が少ないので、大雨でもグチャグチャのぬかるみなどはほとんどなく
木よりも岩の方が滑らないから、できるだけ岩の上を歩くように言われる。
苔を踏むなといわれるが、やつらの増殖スピードが速すぎて、それは無理な話。

yaku2_2

yaku2_4
(切り株から、すぐにわさわさと樹木の土台をつくる苔。)

標高1000mくらいのところにあるのだが、車道ではシカ、サルにも会った。
道路を飛び出してくるヤクシカはよく見る鹿よりひとまわり小さく、
おしりが白いハートの形。かわいい。でもあぶない。
当て逃げされることもあるらしい。「軽とかだとねー」凹むのか。
ヤクサルに至っては、団体家族で道の真ん中で毛づくろい。
クラクションを鳴らしても、「あぁ~ん?」みたいな感じで振り向くが
どく気はゼロ。クラクション、あぁ~ん?、クラクション、あぁ~ん?
どいたと思ったら前方から車が来て、バックで広いところまで戻る。
いろいろな意味で、なかなか前に進まない。

外周100キロある、離島としては大きな島だけれども、
島のほとんどが国有林で、人が住むところがあまりないのだそう。
岩の島は大雨が山に溜まらず、ガンガン流れていく。川へ。
そして、わたしの泳いだ海へ…

そういえば今年のOWS大会のキャッチコピーは
「神様の住む森から流れてきた水は、ウミガメと私が泳ぐ海になりました」。
最初、このコピーの意味が分からなかったけど。

自然はぜんぶ、つながってるんだなあ。

2015/07/06

地球の舳先から vol.358
屋久島編 vol.1

11061306_10206284607209371_1150246532650409914_n

「山と海、どっちが好き?」そう聞かれるたび、こう答えてきた。
「どっちもヤダなあ。山は虫がいるし、海は焼けるししょっぱいし」

…数年前までは。

週末、嵐の屋久島を身一つで遠泳するというネタのような大会に出た。
どうしてこうなったのか分からなくて、いま、これを書いている。

わたしは0歳6か月のころから泳いでいた(泳がされていた)。
ほとんどやる気はないので、強化選手コースを選ぶこともなく
スイミングクラブのコーチにははじめから見限られていたが、
元々特技だから何の努力もしなくていいだろうという理由で入った
中学校水泳部の敏腕顧問に見いだされ、フォーム矯正と修行を強要された結果、
魔法のように美しく、速く、しかも楽に(これ大事)泳ぐようになった。
上位大会の常連にもなり、順調な競技生活を送っていた、のだと思う。

今も実家には夥しい量の賞状があるが、全校朝礼のたびに表彰されても
そもそも承認欲求みたいなものがあまりない人間なので、興奮するでもなく
ジャージ姿のまま全校生徒の前で台に上がらされることの方がよほど嫌だった。
そして思春期のある日、「こんな水泳体型はイヤだ」と我に返り、水泳とは絶縁した。

心境の変化が起きたのは、東日本大震災だった。

物心つく随分前から水の中に居たので、この泳力は、わたしにとっては
自分の意志とはまるで関係のないところで養われた先天的な能力だった。
泳ぐことを「選んだ」わけではなく、好きでも嫌いでもない。
ただ、泳げるから、泳いできた。主には、ラクをするために。

でも、わたしは、はじめて自分の意志で、水の中に戻ることを選んだ。

この泳力が、いつか自分か誰かの身を助けることがあるのかもしれない。
そう思ったからである。

2011年以来、わたしは、人命救助や水回りの資格をチマチマと取り始めた。
そして、同じJunkStageで連載している屋久島在住の日高さんのコラムから、
海を集団で遠泳する大会があることを知った。

どんだけ物好きなんだと興味はおぼえたが、相当悩んだ。
ずっと海を避けてきた。「焼けるししょっぱい」も実際あるが、怖いから。
あまりに「海では泳がない」と言うので、本当に泳げるのかと言われたこともある。
泳力の過信という自覚も十分にあった。
わたしみたいのこそ、調子こいて海で泳いだりするもんじゃない。

海は怖い。
遊ぶとこじゃない。プールじゃない、相手は自然だ。流される。死ぬ。
震災とは関係なく、身内に海の事故があったわけでもないのに、ずっとそう思っていた。

でもたぶん、海と向き合うこの一線を、超えるべき時が来ていた。
大会なら、コース上にジェットに乗ったライフガードも沢山待機している。
「もうイヤだ」と手を振れば、ジェットスキーで陸まで送ってくれるらしい。
「もう疲れた」と仰向けにずっと浮かんでいても、陸まで運んでくれるという。

「世界遺産で抜群の透明度の屋久島、去年は海亀と一緒に泳いだ」
の甘言で決意したわたしに、島は容赦なく自然の厳しさを見せつけてきた。
東京のゲリラ豪雨がかわいく思える、意味の分からない降り方の大雨。
会場のテントは風で吹っ飛ばされそうになっており、
吹きっさらしの荷物置き場にも雨が横殴りに降りこんでくる。

しかも、気温は21度、水温は23度。寒い。
別の距離では、低体温症がでて救急車が来たそうだ。(その後、無事)
これ、何の罰ゲーム?

透明な海も、海亀もいない。海に入っても、魚どころか浅い底砂さえ見えない。
すぐ近くを泳ぐ人の存在すら、手足がぶつかって初めて知れるほど。
近くの川から大量の雨水が流れ込んだ水面近くはところどころ真水で、浮かない。
目的を失い、頭を切り替えた先は、無理目なタイム設定をして真剣に泳ぐことだった。
幸い、五輪メダリストの宮下純一さん、寺川綾さんを筆頭に、インターハイ常連選手や
マスターズのランカー達が揃い踏みの先頭集団は、上質すぎるペースメーカーだった。
こんな人たちと一緒に泳げる機会も、そうそうないだろう。

足に巻いたICチップは正確にタイムを測り、
目標を15秒切ったタイムに、緩やかな高揚感を覚える。
こういうところは、どこかしらアスリートなのかもしれない。

またずぶ濡れになりながら移動した体育館では、地元漁港の漁師さんと
お母さんたちが、1日がかりで大量のご馳走を用意してくれていた。
あたたかい首折れサバのあら汁に、焼酎のお湯割りで暖をとる。
物好きなスイマーたちが、これが何戦目だとシーズンの予定と記録を話している。

「次は湘南ですか? 10kmで会いましょう!」
ヤダよ、3時間も4時間も泳ぐなんて。焼けるじゃない。
そう思いながら、別の大会の、今回の倍の距離をそっと申し込んだ。

11667284_10206284605809336_8015559258445092677_n

11028015_10206284606489353_4857314291636317646_n 2015-07-06_16.53.44
↑メダリストの宮下純一さん、寺川綾さんと。
わたしの出た部の1位は寺川さんと同じミズノの白井裕樹選手、1キロ11分ってスゴすぎ。まさに速すぎて見えませんでした。

2013/01/07

 

地球の舳先から vol.261
岡山・山里 編 vol.4(最終回)

帰京の日。

ひとつの部屋に布団を敷いて雑魚寝なんて、多分修学旅行以来。
その前の晩は夜行列車にやや興奮気味だったので、
飛行機が羽田に着く頃には、少しの疲労と睡眠不足のなかに
でも、なにかほぐれたリラックス感があったように思う。

モノレールに乗り換えて東京湾横断を始めると、
広い窓から全面に、東京の光景がわたしを迎えていた。
高層ビルに、埋立地。曇り空に煙る、銀色の世界。
「おかしい」。心の引っかかりに気付いたのはそのときだった。
目の前の光景が、なにかひどく違和感のあるものに見えた。

そんな体験は初めてで、わたしは自分で自分に驚いた。
いや、自分の知らない自分を突然発見して、ぎょっとした、というほうが近い。
いつでも、どこに飛んでも、自分の暮らす東京に帰ってくるときには
煌めく東京の美しさに「帰って来たなあ」とほっと息をつき、
好きな仕事、大切な人、どこよりも快適な家―そんなものが全部あるトーキョー、
を再認識しては、足元をたしかめるのが常だった。

自分の身の丈に合った生活って、なんなんだろう。
少なくとも、こんな毎日ではない気がした。
「これでいいのか」というような、強い気持ちではない。
「こんな生活、いったいいつまで続けるつもりなんだろ…」
という、単純な、ある意味冷めた疑問として、思った。

自分の歩いてきた、いや、走ることがあたりまえだった時期が、
すこしだけターニングポイントを迎えているのかもしれない。
しかし、いちど歩みを止めたらもうその先に行けないような、
そんな根拠の無い強迫観念で、車輪を回していたりもするのだろう。

―それは、ひどく根本的な問題で、
たぶん、考えすぎない方がいいことのように思って
とりあえず、仕舞った。心の奥に。

あの短い旅から帰って2か月が経った今でも、
わたしの何かしらの違和感はまだ抜けていない。
おそらくこれがいわゆる「カルチャーショック」というやつなのだろう。
ガンジス川でも平壌でも、人生なんて変わらなかったのに。

すこしの敗北感を覚えながら、わたしはまた飛ぶ。
ここではないどこかへ。

おしまい。

2012/12/26

地球の舳先から vol.260
岡山・山里 編 vol.3(全4回)

翌朝、コケコッコーというよりはパッパラパーとしか聞こえない
鶏の朝鳴きに叩き起こされ、近くの山に登った。
小高い山には人が踏みしめただけの道しかなく、
しかし山頂にはきれいに耕されていたらしい畑の跡地があった。
家々から白い煙がたなびくのが、火を使い始めた1日のはじまりの合図だという。

朝が来る。あたりまえのことなのに、集落の村が「起きた」と感じた。
朝の太陽のまだ黄金色に近い光が、田畑を照らす。
…どうにも浪漫のないわたしにそのとき浮かんだ単語は「食物連鎖!」だったが…。

川口家へ帰ると、昨日、死ぬ気で摺った米で、玄米がゆが用意されていた。
大きなかまどが、見た目的にも食欲をそそる。
名前もわからない青菜はそれだけで味が強く、自家製のエゴマ油を和えると絶品。
とれたての豆は、まったくパサパサせず、わたしが知っている豆ではない。
キューバで1日3食、豆で生き延びて以降トラウマだった好き嫌いが解消された。
その簡素な朝食の美味しかったことといったらなかった。

 

お茶をすすりながら、家主のふたりは、「大きい買い物をした」という川口さんの
独白にはじまり、「臼(うす)」を買った買わないで、
どこに置くのだ、毎日曳かされるのかなど、笑いを堪えるのに
こちらが必死になるような痴話喧嘩(失礼)をおっ始めた(笑)。

これがまたなんとも楽しそうなことこの上ない。
だって、臼を買った、買わない、である。この現代で。
結婚願望というものがゼロを通り越してマイナスなわたしが、
夫婦を見て「羨ましい」と思ったのは、正直な話これが初めてである。
この、川口さん夫妻の姿というのが、わたしがこの山間で経験させて
もらった、もうひとつの宝物だったりする。

おそらく、こんな自給自足的生活を、ひとりで黙々とやるのはほぼ無理だろう
(川口さんはしばらくはこの生活を一人でしていたわけだけど…)。
心も折れそうだし、生活的にもこんな身一つの生活はものすごく大変だと思う。
しかし、ふたりの価値観が合わなければ逆に、現代の東京から翻って
こんな生活に飛び込むのは、それこそもっと不可能だろう。
この地はもともと、奥さまの方の親類筋のあった場所だというが、
ふたりは、スーパーマンのような類稀な生活力で完璧な自給自足をしているわけではない。
東京から移住して、自然を相手にして、当然、今もトライアンドエラーを続けている。

生きることって、本来、そういうことなのかもしれない。
人は本来、きっと(感傷的ではなく物理的な意味でも)ひとりで生きていく事なんて出来なくて、
だから誰かと暮らしを共にするものなのかもしれない。
ふとそう思ったのだった。

2012/12/21

地球の舳先から vol.259
岡山・山里 編 vol.2(全4回)

旅の準備で脱線し過ぎた。改めて岡山編を振り返りたいと思う。
JunkStageの面々で、百姓見習いの川口さんのお宅にお邪魔したのは先月頭。
岡山、倉敷を観光し(といってもスーパー銭湯と地ビール飲み比べ)、
山間の谷に入ったのはちょうどおやつの時間頃だった。

最寄りの駅(かつては歓楽街だったらしく、有人改札を期待していた
わたしはそのモダンな駅舎に若干の失望を覚えた)から約30分、
タクシーに揺られて、山を越え、谷間の集落へ着く。
川口さんと、奥さまが迎えてくれた。大勢で押し掛けてしまったゆえ、畳の客間だけでなく
急遽ご夫婦のお部屋をアレンジしてスペースを作ってくださったお部屋に通される。
なんだか、小さい時によく訪れた田舎のおばあちゃんの家のような雰囲気。

ここから、「食べるための壮絶な戦い」が始まった。
なにも、女7人+αで、食べ物を取り合った、という話ではない。
「畑から食卓まで」の、普段我々がスキップしているプロセスを体験するのだ。

まずは、「籾摺り」。くわしくは こちらの川口さんの記事をご参照願いたいが、乱暴に要約すると
「刈ったままの稲」を籾殻して、あのお馴染のむき身の姿にする作業である。
すりばちですって、もみがらを吹き飛ばす。
これを延々繰り返し、片手にほんのひと盛りの米がようやく出来上がる。
吹きすぎて飛んで行った米を拾う者、すりばちを押さえる役など、自然に自助精神が働く(笑)。
そのうち、某お嬢が「わたし、これ、ハマった」と言い始め、夜が更け真っ暗になってもまだ、外で籾摺りをしていた。

川口さんから、今夜の夕食のメニューが発表される。
・前菜:瀬戸内の海の幸のカルパッチョ/カボチャのマリネ ミント風味
・サラダ:小エビとカボチャ、サツマイモのマスタード和え/豆のサラダ、小麦入り
・茹で渡りガニ
・小エビとネブト唐揚げ(ネブトはこのあたりが産地の小さい魚)
・パスタ:アンチョビと間引き人参、大根のカペリーニ/渡りガニのトマトソースリングイネ
・セコンド:丸鶏の生姜煮、間引き菜と大根添え
・ドルチェ:カボチャと小豆のタルト

この、どこの格式高いイタリアンレストランか、と思うようなメニューを、
肉・魚類以外はすべて、川口さんの畑のものから頂いて作るのである。もちろん、収穫から。
それぞれ、「野菜班」「魚班」「火起こし班」に分かれ、野菜班は籠と鎌を手に畑へ。
実に色々なものが植えられている。稲から、豆類、野菜、ハーブ、枝豆や生姜まで。
そして、「間引き菜」といって、人参や大根を育てる間、間引きを兼ねてその若い菜っ葉を
食べるというのには驚いた。これがまたサイズ的にも、サラダにうってつけなのだ。

こうして収穫してきた野菜がこちら。
サラダのドレッシングは、自家製マスタードとヨーグルトを和える。
この発想もなかったのだが、オイリーになりがちなドレッシングを非常にヘルシーに
押さえられるし、酸味がパリっと効いて美味しいので、帰ってからも私の十八番となった。

台所では川口さんが黙々と魚をさばき、魚班がそれを刺身用に切ったり
揚げ物の下準備をしたりする。
とことんまでオーガニックな川口家は、揚げものもエキストラバージンオリーブオイル!
なんとも豪勢な話だが、洗い物をして思ったのだが、この油はほんとうにべたつかない。
川口家では、洗い物は基本的にお湯で、ときにミカン水を使うくらいのものなのだという。

外にはかまども設置されており、火起こし部隊が時間をかけてようやく火を起こした。
大きな寸胴で、鶏まるごとに豆やもち米、ぎんなんなどを詰めた蔘鷄湯を蒸す。
普通の家庭用オーブントースターの中ではパンが焼かれている。
この記事の冒頭写真のパンは、川口家でふつうのトースターで焼いたもの。驚き!

料理が好きという川口さんに「民宿でもやったらどうか」と提案してみたのだが、
「自分たちが生きてくのと、商売にするのじゃ全然違ってね~」との事。
そういえば川口さんは、「(プロの)農家」ではなくあくまで「百姓」という点にもこだわっていた。

ようやく、なにもないところから原材料(というか「畑」)が「料理」の形になって
見えてきた頃は、結構に疲れ切っていた(笑)。
しかし手をかけてみんなで作った料理の味は抜群である。
川口さんが贔屓にしているという芦屋のお店から取り寄せたワインも大変美味しく、
産地もあまりお目にかからないものも多く、どんどんワインが空いて行く(笑)。
また、日本酒も1升空けたのだが、どれも品質がいいのか、ちゃんぽんの割に悪酔いしない。

黙々と作業を続けていたので、「いまさら」ながら自己紹介が始まり、
川口さんの奥さまが、今回参加した女子3名の大学の先輩ということも判明し
また、以前は相当な僻地トラベラーだったということで大いに盛り上がった夜は更けていった。
お風呂を交代で使うのも、林間学校的。
こうして、「食べること」に時間のほぼすべてを使い、良い疲労で床についたのは
いつもよりずっと早い0時とすこし過ぎのことだった。

つづく

2012/11/06

地球の舳先から vol.255
岡山・山里 編 vol.1(全4回)

そろそろ年末なので、旅の総括をしようとか思ったりして、
これまでの行き先に想いを馳せる。

1月 マダガスカルへ。
   大自然に圧倒され地球に恐れをなす。巨大な虫にも、恐れをなす。
4月 再びの気仙沼へ。
   変わらないものなど無く、とにもかくにも前へ向かう生命力に圧倒される。
7月 台湾へ。
   巨大渓谷でリゾート気分を満喫し、再訪の台北にほっとする。
9月 シンガポールへ。
   かのマリーナベイサンズに泊まり、ハイカラな街を歩いて過ごす。

…こんな旅生活をしていたら、JunkStageの幹部が
「僻地トラベラーの肩書きを返上しろ」と言い出すのも時間の問題だ。
わたしが無くしたものは、体力でも冒険心でも若さでもない。
最初から、僻地が好きなわけではないし、僻地ばかり行っていたわけでもない。
しかし、ここに連載するコラムがリゾートであればあるほど罪悪感にとらわれる。
わたしのほうが、JunkStageに縛られているのだ。多分。

そんな折、ようやく僻地に行くきっかけができた。
僻地僻地と言ったら怒られそうだが、JunkStageで「百姓見習い」として
コラムの連載をしている川口さん
の家である。

川口さんは、脱サラして、岡山県の山里にこもり、
今は、できるだけ自給自足に近い状態での暮らしをしている。
作物を作り、それを他人に売ることによって生計を立てる「農家」ではない。
あくまで、自分と、家族が生きられるだけのものを、自然からいただく。
そして、こちらも「商売として」ではなく、ごく近しい友人知人に
家に滞在してもらい、一緒に山里体験を楽しむこともあるそうだ。

かくして手が早く、足が軽いと評判のJunkStageのライター・スタッフは、
全8人というさながら団体ツアーの様相で、川口さん宅へお邪魔したのだった。
たった1日の暮らしではあったわけだけれども、
わたしには非常に、考えるところの多い体験になったのだが、
まだ、この自分のぼんやりした「カルチャーショック」の正体をつかみきれていないので
こうして、体験を振り返るためにコラムに書くことにした。

旅に出たときは、いつもそう。
自分が、なにを見たのか。なにを感じたのか。
それは、体のなかにたしかに吸収したものであるはずなのに、
それがなんだったのかよく理解していない、ということが、多々ある。
形をつかみ、把握するために、多分わたしは“旅行記”を書くのだと思う。

…ムズカシイ(=ツマンナイ)話は、ここまで。

列車をこよなく愛するわたしは、とにかく「サンライズ瀬戸という夜行列車で
岡山まで行く」という時点でテンションはダダ上がり。
非常に綺麗で、広く、布団や浴衣まで支給される寝台個室で
夜の都会、横浜、熱海あたりを眺めながら、静岡あたりで意識を失い
早朝の岡山に到着したのだった。


(これが、「サンライズ瀬戸」個室シングルだ!)

これから前後編にわたって、岡山の山里でわたしが触れたものを
すこしずつ、ご紹介していこうと思う。

つづく