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2013/03/11

地球の舳先から vol.268
イスラエル編 vol.3(全14回)

タクシーを呼んでもらい、朝、また列車に乗ってエルサレムへ向かった。
イスラエルは列車が発達している国ではなく、上り下りの各1本だけ。
シンプルなので、主要な土地を観光する分には、迷わないし使い勝手もいい。
ヘブライ語の自動券売機もあるが、窓口で行き先を言ってチケットを貰う。
運航時刻は電光掲示板。やはりIT国家であることは間違いないようだ。
テルアビブ~エルサレムの鉄道は、「地球の歩き方」によれば下記のようにある。

“イスラエル鉄道のなかでも昔の面影をよく残している路線がある。それがテルアビブ~エルサレム路線だ。この路線のもとになったのは、ヤッフォ・エルサレム鉄道だ。英語ではヤッフォもエルサレムも頭文字がJであることから、JJ鉄道と呼ばれ、この頃、ヤッフォはジャッファ・オレンジの輸出港として繁栄を謳歌していた。
テルアビブを出た列車はエルサレムへとひた走る。現在では蒸気機関車の代わりに、IC3という、デンマークのディーゼル気動車が使われている。
テルアビブ・ハガナー駅からロッドまでは約10分。ロッドの隣町、ラムラを過ぎると、いよいよ列車は農村地帯へと入っていく。次の駅ベト・シェメシュまでの30分ほどの間、ぶどうやオリーブやオレンジの畑が森や草原に挟まれるように続いている。ベト・シェメシュから50分でエルサレム・マルハ駅に到着。この両駅間が最もJJ鉄道の面影を残す区間だ。”

これは鉄道好きのわたしには見逃すことはできない。
空港からエルサレムと反対方向のテルアビブで1泊したのはこの鉄道に乗る目的もあった。
駅のホームの自動販売機でコーヒーを買い、乗車。
朝焼けが照らし出す、オリーブ畑やブドウ畑。緑が続いた後、
列車は高度を上げ始め、ごつごつした岩山と、砂漠地帯の様相を呈し始める。
たった1時間半の間に、くるくると景色の変わる、飽きない車窓。

 

ガラガラを引きながらエルサレムでタクシーに乗る。
そして、最初の目的地でタクシーを降りた瞬間、わたしは茫然とした。
タクシー代が高過ぎるのである。これでは午前中だけで破産する。
しかし今回はテロの可能性を考えて公共交通機関は断じて避けると決めていた。
すると、歩くしかないわけだが…ここはエルサレム南西郊外のエンカレム。
とりあえず、……お金を下ろしに行った。

渋滞の手前でタクシーを降りて、山沿いを歩こうと歩道に出たわたしはまた絶句した。
ただでさえ標高の高いエルサレムの、そのまた山奥にあるこの場所からは
エルサレムや郊外の街並みが一望できるのだが、下界が雲に覆われていた。
まるで天空にいるかのような、荘厳で神々しい光景。
そうそうよくあることでもないらしく、地元の人も車から降りて写真などを撮っている。

最初の目的地はその先の「ハダッサ病院」。
真っ先にそんなところへと思われるかもしれないが、わたしは海外へ行くと、学校や病院を見るのが好きなのだ。国のありようや何やらが、顕著にあらわれる気がして。
それに、誰でも入れる病院内のシナゴーグには、シャガールのステンドグラスがあるらしい。
戦争で破壊されたときも、シャガールは作り直してくれたのだという。
いまだ増築を続けている高層の病院は新築のように綺麗で、投資のほどがうかがえる。
イスラエルといえば、ITと医療。当たり前か。

 

病院には大型ショッピングセンターも隣接しており、フードコートで昼食を取りながらひとり作戦会議をすることにした。
頼んだのはイスラエル名物、肉の薄切り「シュワルマ」。よく渋谷あたりのキッチンカーで肉塊を削いでいるアレだ。トマトとキュウリのイスラエルサラダと、フライドポテト、ピタパン、ピクルスや玉ねぎなどの付け合わせがついてくる。美味。だが多い。そして高い。

ガラガラを引いたままわたしは結局、路線バスに乗った。
なんだか、どうも、危険の気配がしないのである。
いや、自分の第六感なんて、まるで信用はしていないけれども。
バスに乗る予定などしていなかったので、何番のバスがどこへ行くのかがまったくわからない。
バス停には、そのバス停に停まるバスの番号が書いてあるが路線図までは書いていないのだ。
GPSを起動してGoogleMapを開き、方向性が違ってきたらなるべくたくさん色々な番号が書いてあるバス停で降りて乗り換える、ということを繰り返した。
切符に書かれた時間以内なら、乗り換えをしても追加料金もかからないという。
本数も多く、バスを駆使することができれば、観光はかなり便利だろう。
ただし、重ねて言うがおすすめはしない。路線バスは自爆テロの標的の筆頭株なのだ。
そして自爆テロは必ずしも政治や治安の状態と比例して起こるものではない。
いつ、どこで犠牲になってもおかしくないということだけは、しつこく明記しておきたいと思う。

 

そんなこんなで第二の目的地、ヤドバシェム(ホロコースト記念館)へ到着することができた。
ユダヤ虐殺を記録した博物館。ここもやや郊外にあるのだが、素通りはできない場所。
ガラガラを引いたまま、坂を上がったり下ったり。
静かな森の中に、近代的な建物が見えてくる。
中はいくつものフロアに、写真をメインに展示品、映像などが続く。
ここの圧巻はやはり、最後の円形のホールに天井まで、犠牲者の写真が飾られたコーナー。
ビートたけしが東日本大震災の事を「1人が死んだ事件が2万件あったってこと」だと表現したが、確かにそういうことなのだろう。
ホロコーストに関しては実際に何人の人間が虐殺されたのかはブラックボックスだが…。

逆に思ったのは、イスラエルはこういう歴史を、本当にきちんと自国民に教えているのだろうか?という事。いや、当然、教えているだろう。比較論になってしまうが、この国がいかに民主国家かということは肌で感じていた。
でもそれなら、なぜ、パレスチナの人々に、あんなことができるのだろうか。
「ホロコースト」の被害者だった彼らは今、加害者となって、結局「ホロコースト国家」の筆頭格になっていはしないか。ユダヤ人は等しく卑しい、と考えたかつての人々と、パレスチナ人は等しくテロリストだ、と考える今の人々に、残念ながらわたしは共通点しか見出せなかったというのが、率直な感想だ。

館を出て、バス停近くの大通りまで戻ると、非常に近代的なトラム(路面電車)が走っていた。
これでエルサレムの市街地までぴゅーっと行けるのだという。
相変わらず、アップデートの遅い地球の歩き方には「2011年開通予定」などと書いてあり、まったくやる気が感じられない(実際、現地入りはしていないのだろう)。
さすが観光地エルサレム、券売機も英語対応。
わたしはようやくガラガラから手を離して、席におさまった。
さて、これから、エルサレムの代名詞、旧市街へと向かう。

 

つづく

2013/03/04

地球の舳先から vol.267
イスラエル編 vol.2(全14回)

客引きに来たタクシーに、抵抗する気力も無く乗り込む。
一応料金の確認はしたが、まだ相場観も身についてはいない。
が、陽も傾き、よくわからない街で夜に一人さまよい歩くほどアホではない。

テルアビブの街はもっとギラギラギラギラしたところだと思っていたのだが
意外なまでに洗練されていない。
不自然に放置された区画、掘っ立て小屋のような建物、意外に多い有色人種…
貧しいという印象はさすがにないものの、あまり裕福でないアラブの国や
東南アジアを連想させる光景が窓の外に広がっている。

ただ、「人」はやはりかなり違っていた。
タクシーの運転手は完全に英語を話したし、オンライン予約サイトの住所が
間違っていてホテルの位置が不明になるとホテルに電話をかけてくれ、
まるでどこだかわからない住宅街の中でホテルのスタッフの迎えを待つ間も
「あとXXシェケルくれたら一緒に待っててやる」というので待ってもらった。

六芒星のステンドグラスがはまったホテルのオフィスにようやくたどりつくと
かわいらしいテーブルの上にコーヒーがサーブされた。
フロントのお姉さんは、サバサバした性格で頭の回転が速く、エリートの香りがぷんぷんする。
「入国スタンプが無いんだけど??」
「別紙に押されて、回収されました」
「何か他の紙とかなんか貰わなかった?」
「何も…」
「これじゃ入国の記録がないじゃない…あなた、スパイなの?」
「まさか(苦笑」
その口調がまるでわたしを責めるものではないので、こちらも緩む。

「ホントにスタンプ、搭乗券にも押されなかったの??入国審査のブースで」
「別室で、“インタビュー”受けてたから…」
「……ああ……。」
とたんに彼女の顔が曇り、同情顔になる。
「あの、そのスタンプがないと、わたしは今日ここに泊まれないんですか?」
「大丈夫よ。…本当に、嫌になるわね、セキュリティセキュリティって」
そう、彼女は、イスラエルという国に対して、腹を立てているのだ。
キューバや北朝鮮へ行ったことのあるわたしは、そんなに大声で国家に対して
不平不満を口にして公安警察的なものが飛んでこないだろうかと心配になってしまう。
「パラノイアックなのよ!この国は!」
…ヒィ。

しかしわたしはこれから先、たっぷりと思い知ることになる。
国家として恐怖政治を強いているわけではなく、「シオニズム」ひとつにとっても
イスラエル人で、この国に住む人の中にだって賛成の人もいれば当然反対の人もいる。
その両方が、思想や意見を発言することができ、活動することすら曲がりなりにも許され、
また違った意見であっても市民は一定の理解努力と、場合によっては敬意さえ受ける。
このあたりは、ひどく「アメリカ的」で、やはりとても凄いことだと思うのだ。

お姉さんは、年下の夫だか弟だかに顎で指示をしてわたしを部屋まで送らせた。
「コレ地図ね、右に曲がると、ビーチのほう。左に曲がるとレストランがいっぱいある。
 日本食のレストランがあってとても美味しいんだ、特に寿司とか!」
「やめてちょうだい、変なこと教えないで。彼、舌がおかしいのよ」
「あの、この時間、出歩いても安全?」
「まったく問題ないわ」

頼りないくらい大雑把な地図を手に、わたしは荷物を置いて外へ出た。
真っ暗だが、日本並みに外灯の明かりはある。
雨も降っていないのに配管の問題か浸水していたり、段ボールが積み上げてあったり。
標識はすべてヘブライ語でお手上げである。
帰り道を覚える自信はなかったので、曲がる回数を最小限にしてなんとか大通りに出た。
「ロスチャイルド通り」―ようやく英語併記の看板に出会う。幸運にも目抜き通りの一つだ。
瀟洒なお城のような建物と、夜でもかなりな量の人出。(冒頭の写真)
が、「地球の歩き方」に載っていたレストランはかなりな確率で閉店している…。

英語のメニューが外に出ている店を選んで入る。倍とはいわないが、物価も日本以上。
お酒でも飲んでリラックスしたかっただけで、そんなにお腹が空いてはいなかったので
シーザーサラダにワインを頼んだ。イスラエルのワインは質も良く最近注目されている。
入植、実効支配といったイスラエルの国策と、ワイン産業には切っても切れない
深い関係があるのだが、その話についてはまた今度。

ワインリストにも食べ物のリストにも、「コシェル」という表記が散見される。
コシェルとは、非常に厳格なユダヤ教徒の宗教上の食事ルール(カシュルート)に則った食事。
ヒレとうろこのない魚は食べるなとか(イカやエビ、貝もダメ)、「ヒヅメが分かれていて、反芻する」動物しか食べるなとか(牛、ヒツジ、鶏はOK、豚やウサギはダメ)、肉類の血抜きの方法にも決められた手順が存在する。
また肉料理と乳製品は一緒に食べないというルールもあり(つまりチーズバーガーも肉食後のカフェオレもアウト)、厳格には、同じテーブルに乗せるのもダメなら使った食器も一緒にしてはならないという事もあり、正統派ユダヤ教徒の家にはキッチンが2つあるのだという。
まったくイスラム教徒の「豚は食べません」がかわいいものに思えてくるではないか。


(あれ…このシーザーサラダ、思いっきり、ベーコンに、チーズかかってますけど…)

まあ、これをすべてのイスラエル人が実践しているかというと、そんな事は勿論ない。
そもそも、イスラエル人のすべてが「ユダヤ教徒」なわけではないし、ユダヤ教徒にも「超正統派」と呼ばれる人々を頂点に色々とレベルがあるのだ。
そして超正統派の人々は彼らのコミュニティの中やかなり限られた行動範囲で生活しているので、それでなくともあまり宗教の香りのしないテルアビブあたりでは、そうそう周りに過剰な気を使う必要もないようだった。

ただ、コシェルのワインなんぞを飲む機会などイスラエル以外ではほぼないだろう。
それまで散々チーズの乗ったサラダを食べたりとまるでユダヤ教徒ではなさそうなわたしが
何杯目かでコシェルのワインを頼んだので、ウェイターが怪訝な顔で聞き返してきた。
「…ホントに? 美味しくないよ?」
…ああ、そうですか…。で、確かに、乾いた味だった。
なんというか、液体に対して「乾いた」というのもおかしな表現なのだが
深みとか、まろやかさとか、香り高さとか、そういうものがまるでないようだった。
木の枝をかじっているみたい、というか…。

しかしほろ酔いのいい気分で、夜中近くなっても人出の絶えない街を歩き、宿へ戻った。
テルアビブはイスラエルの中でもかなり「自由」で特殊な地であると聞く。
滞在時間は非常に少なかったが、比較の意味でも立ち寄ってよかったと思った。

つづく

2013/02/28

地球の舳先から vol.266
イスラエル編 vol.1(全14回)

イスラエルへ行って来た。
心配し過ぎだった、と、今となっては思う。
そしてほんとうに、良くしてもらった。
すごいものもいっぱい見た。
長くなりそうだがこれから、旅を振り返っていきたいと思う。

元旦。パリでの夢のような1泊の後、緊張を取り戻すのにさほど時間はかからなかった。
エールフランスのカウンターの手前では、テルアビブ行きだけ別の列が作られ、
チェックインさえする前からセキュリティチェックが行われている。
イスラエルへ便を飛ばす、ということは、フランスにとっても“リスク”なのだと実感する。
係官はCDGのスタッフではなく、イスラエルのセキュリティ会社。
どこへ行くのだ、ホテルの予約は、何をしに行くのだ、とお決まりの質問。
3人に1人程度の割合で止められ、どこかに電話で確認をしているスタッフ。
遅々として進まない列にイライラした人々は、解放された先の航空会社のカウンターで
やつあたりに近い怒りを爆発させ、そこかしこで紛争が勃発する。

ようやく搭乗券を手にしたのは1時間後。
それでも2時間半前からしか手続きを始めないのだから、たぶん運用にも落ち度がある。
どこにも引っかからなかったわたしでさえ、手荷物検査とパスポートコントロールを抜け、
シャトルに乗って搭乗口へ着いたのは搭乗時刻のわずか30分前。
当然、定時に離陸できるわけもなく、狭い機体の中で散々待たされる。
まだ序の口。こんなことで腹を立てていたら身が持たないだろう。

          *           *           *

ようやく飛行機から降りると、超絶美女がまっすぐわたしだけを見つめて近づいてきた。
パスポートを見られてからならいくらでも取り調べを受ける覚悟ではいたが、
まさか飛行機から降りて3秒後にロックオンされるとは思っていない。嗅覚か?
美女が、パスポートを1ページずつめくりながら執拗に質問を繰り返す。
「I can’t speak English」と言いたかったが、そんなことで面倒になって解放するような
国ではない。きっと、逆に無駄に時間を要するだけだろう…。

「なぜイエメンへ行ったの?」
「(やっぱり…。)観光で。っていうか全部観光です」
「何日間?」
「えっ。もう何年も前だから忘れました。1週間くらい」
「誰と?」
「(友達と…だけど質問を増やすだけと判断し)一人です」
「どこへ行ったの?」
「サナアと、あと、えーと、名前を忘れましたが世界遺産の砂漠」
「なぜ?」
「なぜ?世界遺産を見たかったからです」
「向こうに友達は?」
「(ええ、ユニセフに。彼いまアフガニスタンに居るけど)いいえ?」(←

「なぜイランへ行ったの?」
~(上記と同じ質問。以下略)~
「向こうに友達は?」
「(ええ、外交官。ヒズボッラーと友達かもね)いいえ?」(←

「なーぜー、インドネシアへ行ったの?」
~(上記と同じ質問。以下略)~
「なぜ3回も行ったの?」
「(全部トランジットだよ!東ティモールとか行ったんだよ!) インドネシアにはねー、
 バリ島って島があって日本の女子は全員そこへ行くんですーッ!!!!!!」(←

「なぜこのキューバのビザには写真が無いの?」
「知りません。いらないって言われたから」
「誰に??」
「機関の名前は知らないけど、出国許可を管理してるオフィス」
「日本領事館ではないの?」
「(なんて説明困難な質問を…)レジデンスの申請をしていたので、出国するためには
 キューバ政府の許可が必要だったのです」
「なぜ?」
「はぁ?! フィデル・カストロに聞いて下さい!!!!!!!」
…や、だから、怒るなと。

「なぜこのインドのビザは不使用なの?」
「(ああ、それ、チベット行く時に不測の事態の際に第三国に抜けられるように
 保険で取ったんだよね。でもチベットのスタンプ無いしな…)気が変わったのです」(←
「気が変わって、どこか他のところへ行ったの?」
「(ギョッ。やっぱ嘘言うとロクなことない。えーとえーとそのビザの日付とおんなじ時期で
 パスポートにスタンプが残っている国といえば…ハッ)ブータンです」
「…ああ、これね。OK!」

          *           *           *

ちなみにインドネシアに食いつくのは、かの国が世界一のムスリム大国だからであろう。
見事に欧州諸国はスルーし、判読不能なものも多いのにスタンプで国を正確に把握する技術は流石である。20分ほどで解放されるものの、その先でもう1回と出国審査、そして送られた別室で計4回、ほとんど同じ質問をされた。
意外なことに、「わかりません」「忘れました」「知りません」が思いのほか通用する。

行程中すべてのホテルの予約確認書と行程書(多少編集済みだが、うそは書いていない)を英語とヘブライ語で用意していたが、それでもパスポートコントロールでは散々質問をされた揚句、別室へ送られた。が、アメリカの空港で送られた「別室」のようにものものしい雰囲気は無く、同じフロアのオープンコーナーの一画で、閉ざされてもいない。そこで順番待ちをしているのも、アメリカのときのようにアルカイダのような外見の人々ではなく、見るからに若いバックパッカー達。
つまり、やっぱり「パスポートのスタンプ」が問題視されているだけなのだろう。

なんと、テレビまで設置されているという高待遇でもある。マンチェスターユナイテッドの試合が始まるところで、日の丸を掲げた日本人サポーターが映った。昨今のサッカー事情にはまるで疎いが、カガワだかナガトモだか、なにかしら天才的な選手が移籍でもしたのであろう。
懐っこい表情のバックパッカーたちは、TVとわたしのパスポートのJAPANの文字を認めると、スクリーン真ん前の席をあけてくれた。
…90分、待てって? 思わず、苦笑する。
しかし想定の範囲内だ。入国拒否なんてほぼ有り得ないし、
今晩の予定など勿論入れていない。待てばいいのだ。心穏やかに。

          *           *           *

意外なほど早く呼ばれた。賢そうな男性。大ボスか?頼む、ラスボスであってくれ。
審査官たちは皆大真面目で、冗談を言っても絶対に笑ってくれなさそうな険しい顔。
もっと、「プレイ」というか、いじわるなドSっぷりを予想していたのだが、
対応はいずれも誠実極まりないもので、相手に対する敬意すら存分に感じた。
お決まりの質問(4度目ともなると、英語もスラスラ出てくる)が終わると、意外なことを聞かれた。

「なぜそんなに旅ができるのですか?」(capability、という単語を使っていた)
「…質問の意味がわかりませんが。」
「失礼、時間の問題と、お金の問題です」
「時間の問題はまあ、日本にも休暇はあるから」
「日本人はそんなに休めないでしょう?」
「それはちょっと昔の話で、年に2回くらいの短いバケーションは取れます」
「職業は?」
「会社員です」
「稼いでるんですね?」
「…ハァ…」
「業務内容と、お勤め先の会社は何をしている会社?」
「広告代理店で、TVCMとか作ってます」(←若干違うが
「年収は?」
「…XXドルくらいですが…」
「このエアチケットはいくらで買ったのですか?」
「…XXドルくらいですが…?」
「この行程表にある、イスラエルの旅行代理店に払った金額は?」
「…XXドルくらいですが…??」
「そしたらもう今月お金ないじゃないですか」
「(よ・け・い・な・お・せ・わ!!!!!!)そーよ!働いて、旅して、エンプティーよ!
 なんか問題ある?!いや確かに問題だけど、少なくともそれは“ワタシの”問題だわッ!!!!!」
…だから、怒るなと。自分。

彼が何に納得し、何を判断したのかはわからない。
3分後、再び奥へ消えた彼は入国スタンプを押した別紙を挟んで、パスポートを返して寄越した。
今度は素通りしたパスポートコントロールの先で別紙は回収されて破られ、ようやく荷物カウンターへ。

「もしもし」
「(まだ何かッ?!)…はい、どおぞ」(思わず、条件反射的にパスポートを差し出す)
「武器を持っていますか」
「………。いえ?」
「そのスーツケースに、爆弾は入っていますか」
「いいえ……。(脱力)」
それでも、飛行機を降りて、約2時間ちょっと。上出来ではなかろうか。

          *           *           *

地下に降り、テルアビブ市街までの列車のチケットを買う。
ホームと時間まで教えてくれたお姉さんは親切で、駅のホームに沢山いる軍隊の制服は、
着ている中身が子どもすぎて高校の制服のようにさえ見える。
ようやくと空港をあとにし、やはり精神的にはそれでも若干疲弊して、電車に揺られた。
着いた駅は決して大きな駅ではなかったが、駅から出るのにはX線検査に持っている荷物を全部通して、鉄の棒が沢山はまった小さい回転ドアをくぐらねばならなかった。

とんでもない旅がはじまったと、このときのわたしは確かに思っていた。

つづく

 

2012/12/10

地球の舳先から vol.258
イスラエル(旅の準備)編

 
    (before)                 (after)

 

常に不安定で、今回大規模空爆が行われたガザ地区だけでなく
そこから離れた、首都機能を置くテルアビブで爆弾テロと思しき事件が起きたのが、
わたしのイスラエル行きが黄色信号から赤信号へと変わった瞬間だった。
自爆テロは止められないし、停戦を迎えたとしても政局と関係なく起こる。

代わりの行き先も、そう頭を働かせずに、短時間で決めた。
しかし、出発1ヶ月前の11月30日を、リミットと決めて
わたしはイスラエル行きのチケットをホールドした。
どうせ、ここまで来てしまったら、72時間前までキャンセルフィーは変わらない。

9割方、心の中でキャンセルを決めていたものの、
現地の旅行会社に連絡をしたのは、ずいぶん経ってからだった。
Shalomというヘブライ語にすら抵抗を持っていたのに、あたりまえにメールの冒頭に
状況と彼らの身の安全を案じる文章を連ねている自分に驚いた。

向こう側の対応は誠実極まりないものだった。
わたしが行こうとしている場所は「基本的に」、治安に問題はない。
しかし不安はもっともだし、こういう状況なので全額返金で対応する。
が、あと48時間以内に状況が落ち着くという説もあるので、もう少し待ってはどうか―

単純に、心が痛んだ。
彼だって、ひとりの人間として、イスラエル・パレスチナ関係に思うところだってあるだろう。
大口顧客でもないのに何度となく面倒なやりとりを重ねた日本人に「危ないから行きたくないっ!」とある日突然いわれても、「あなたがどんな決断をしてもそれを尊重します」と言う、いや、言わざるを得ない、現代イスラエルという場所で観光業を生業にする人間の立場。

意地や情で、判断能力を失ってはいけないのはわかっている。
しかし、彼のオフィスとこの手配に関わってくれた5人ものスタッフ。
会った事もない人から、「彼らの国」へ行きたい、という気持ちが生まれていた。

ただ、たとえ今行っても、巻き込まれ事故を起こさないために、
公共交通機関の利用はかならず避けなければならないし、
カフェやレストランなどの現地の人が多く集まる場所も避けねばならないかもしれない。
どこへ行くにも「セキュリティ」の名のもとに尋問されたりして、嫌な思いも沢山するだろう。
しかし、それが今のイスラエルであることに変わりはないし
多少、情勢が変われど、短期間でかの地が根本的な問題の前進や解決を遂げるとは思えない。

つまり、わたしは、「最初から、そういう国へ行こうとしていたのだ」。

右手には、キャンセルすべき手配内容のリスト。
(航空券、トランジットのパリのホテル、イスラエル滞在中のホテル、送迎、現地ツアー…)
左手には、それはそれで十分に魅力的なプランBの行き先と、
「年にせいぜい2度しかない長い休みを棒に振るのか」という勿体ない気持ち。
この頃、すでに、イスラエル・パレスチナ間では、停戦の合意がなされていた。

そして、自身で一線を引いたリミットである11月末日のその日。
外務省は、騒動前のレベルまで、イスラエルの危険情報を引き下げた。
なんというタイミングだろうか。

旅行会社だけでなく、知人の伝手も辿って、現地から情勢に関する情報の裏取りをした。
ひとしきり世話になっている旅行会社に、ティベリアスという北部の町から
バスで帰ることをやめてエルサレムまで専用車を手配したらいくらかかるか聞いた。
路線バスが自爆テロ標的の筆頭、というのは、イスラエル人には常識である。
「テロ」という単語を出さずとも、わたしのそのリクエストの意図は正しく理解された。

「マネージャーと相談しましたが、エルサレムまでの車を追加料金なしでお付けします。
 これは我々の会社のサービスで、喜んですることなので気にしないでください。
 我々は、あなたのイスラエル滞在が素晴らしい体験になるよう、責任をもってコミットします。」

・・・えっ。

運と、縁と、タイミング。
一時、そのすべてに見放されたかに思えた「旅の三種の神器」は、手の中に揃った。

結論。
・・・行こう。イスラエルへ!

2012/12/05

地球の舳先から vol.257
イスラエル(旅の準備)編

思えば、イスラエルは本当に遠かった。

何はなくとも、出国審査に5時間かかることもザラというイスラエル。
日本人(連合赤軍)が過去にベングリオン空港で銃乱射テロをやらかしたりしていて、
日本に対する関係もすこし特殊。
真っ先に心配したのは、今年の5月に行ったイランの出入国スタンプだ。
イランのアフマディネジャド大統領(←早口言葉ではない)が「イスラエルを地図から抹殺する」
とか言ったというのはアメリカの記者の誤訳だというが、敵対国の筆頭株には変わりない。

「えー、えー、わたしは今年イランに行きましたがイスラエルに入れますか。
 えー、それはですね、アブソルートリー・ノー・ポリティカル・リーズン(ズ)でして、
 えー、…」と、たどたどしい英語で、在日イスラエル大使館にメールを書いた。
わずか2時間後、美しい日本語でメールが返ってきた。
「お問い合わせの件ですが、基本的にアラブ諸国を旅行された方々の、
 イスラエルへの入国を拒否することはございません。」
・・・あ、そーですか。

それから先が、大変だった。
とかく、「地上手配」と呼ばれる、現地の移動やガイドの手配が高額すぎる。
車と、ドライバー兼ガイドを借りて「1日」10~15万円などという法外な見積り。
ボッタクリだろう、とタカをくくって複数社を当たったが、ほぼ横並びでその料金。
それでなくとも航空券だって高いのに、3日もいたら破産する。
その「相場感」にしびれつつ、ようやく良心的な旅行会社と、行程の工夫を発見するが
ここまでに1カ月以上を要し、十何社もと、疲れきるほどメールのやりとりを行った。
航空券を押さえていたので後には引けないし、かといってわたしが行きたいと思っていた場所は
どこも、個人旅行で公共交通機関でふらりと訪れるようなところではなかったからだ。

正直な話、わたしはイスラエル「という国」が好きではない。
今だって、それは変わっていない。
様々な事情や理由があるにしたって、イスラエルのやる「殺し方」はちょっと異常の様相を感じるし、その原動力が過去の追憶とトラウマ(ホロコースト)であるにしたって、同情は禁じえないけれども、国民総集団神経症のような暴力には、どうしたって共感しない。
だから最初、現地の旅行会社からの「Shalom」(ヘブライ語でHello)という書き出しのメールに
同じように返すことができなかった。
「アッサラーム」(アラビア語)とは抵抗なく言えても、「シャローム」という響きは、全身が断固拒否した。
なんでそんな拒否反応を起こすような国に行こうとしているのだ、と、当然ながら自問自答した。

しかしメールの相手はいつも明晰にして臨機応変。かつ涙ぐましい調整努力。
いつしか、ディスプレイ1枚だけを通した「向こう側」を、実感を持って「同じ人間」と思うようになっていた。
「人」と「国家」は別物。そんな原点にも、あらためて立ち返った。
いよいよほぐれてきて、初めてディスプレイの向こう側に「Shalom」と返したのは、何度目のメールだっただろう。
向こう側からの返事は、「Dear Ms.XX」から、「Hi Dear Yuu-san!!」に変わった。
…そんなもんだ。人間なんて。

なんとか希望通りの、国境沿いをゆく行程が組めそうな算段がつき
ほっとひと安心してツアーの海外送金も済ませたところに、この空爆騒ぎである。
日増しに更新される外務省安全情報のホームページからは、希望など見出せない。
ここまでやりとりを重ねた徒労感に、もはや別の「プランB」の計画を練る気力もなく
わたしは、久しぶりにフルアテンド、もしくは団体ツアーの別案を当たり始めた。

執念深くまだつづく

2012/11/20

地球の舳先から vol.256
番外編

イスラエルが、結構とんでもないことになっている。

イスラエル西岸、パレスチナ自治区ガザへの大規模空爆が始まった。
これの政治的バックグラウンドがどうなっているか、ということに関しては
色々な人が色々な事を言うのが常なので、ここで政治を云々しようとは思わない。
ガザは、元々が危険地帯なのだが、今回は、各国の大使館があるテルアビブ
(イスラエルはひとりで首都はエルサレムだと言っているが、国際的に認められて
 おらず、首都機能はテルアビブに置かれている。が、つまりテルアビブが首都とも
 明言できないわけで…、とにかく詳しくは「イスラエル首都問題」で検索。)
や、エルサレムでも連日空爆やミサイル攻撃の警報が鳴っているという。

戦局は長引かない、というのがおおかたの予想であるようだが、
イスラエルに限らず中東まわりで一番怖いのは自爆テロ。
いつどこであるかわからないし、現場には人が一人いればできてしまう。
しかもパレスチナ側には武装勢力がたくさんあって、足並みもそろっていないので
政局に関わらず暴走する、という状態(らしい)。
空爆で、パレスチナは怒っているだろう。当然だ。
暴力に対する怒りや意思表示は、素直に考えるとどういうアウトプットになるだろうか?

…そんなわけで、わたしのイスラエル旅行はとうとう
限りなく赤信号に近い黄色信号、でも信号壊れててイマイチ何色かわからないので
渡るも渡らないも自己責任、という立ち位置になった、ということだ。

外務省の安全情報のページとにらめっこをし、
瞬く間に更新情報が上がっていくのを眺めるしかない。
行くはずだった場所が、どんどん、危険を示す濃い色に塗りつぶされていく。
トップページまで、イスラエル祭りだ。

しかたないのだ。
わたしは戦場に飛び込むのが仕事のジャーナリストではない。
旅行者であり、「観光旅行」をするために渡航する身なのだ。
言葉も通じない国へ行くのに、自分の立場を買いかぶってはならない。
それが、トラベラーの自覚と宿命。
旅を続けたかったら、その責任を決して放り出さないことだ。

しかたないのだ。
北朝鮮に行けたのも、イエメンに行けたのも、ただの運だ。
情勢がたまたま良かったのだ。運と、縁だ。そんなもんだ。

しかし、ここまでに要した労力を考えると、ため息は免れない。
今回のイスラエルの手配は、物理的にも精神的にも、わたしにとっては
ほんとうに長い長い長い長い道のりだったのだ。(その話は、来週書こうと思う)

エールフランスに電話をして、キャンセルポリシーを確認する。
フランス語しか喋らないパリのホテルに、「私の行き先はイスラエルでパリは
トランジットでこの状況で行けないかも」と、フクザツな上級フランス語作文をする。
せっかくの年末年始の長い9連休に、どこへも行かないなんて有り得ない。
プランBをあたるため、インドやミャンマーやケニア行きの航空券を調べる。
しかし、代わりの渡航先を複数見ても、どこの国も、霞んで見える。
ショックで仕事が手につかない。
イスラエルにそんなに入れ込んでいるわけでも、はずでもない。
むしろ、嫌いだ。イスラエルなんて嫌いだ。あー!!!!!!!!

「イスラエル ニュース検索結果」をリロードし続けながら、
わたしは、難航をきわめた地上手配をお願いした現地の旅行会社にコンタクトを取った。
まじめなメールが返ってきたが、この騒動があと48時間で落ち着くという説を得る。
これが、相手が相手ならまず信用しないが、返金対応を含め非常に誠意のこもったメールに
わたしはまた、当面10日間、決定を保留することにした。

今、一番欲しいものは、何事にも一喜一憂しない、動じない心である。

2012/10/25

地球の舳先から vol.254
イスラエル(旅の準備)編


pen online より

イスラエルへ行く、行く、と、ずっと言っている。
なぜなら、パスポートの有効期限切れが近いからだ。

このコラムで何度も書いている事ではあるが、
わたしはキューバの入国スタンプがあるばかりに
アメリカに入れないという、いわくつきのパスポートを持っている。
(普通、観光客は「ツーリストカード」というものに入国スタンプを押してもらうのだが、
 留学ビザを申請していたわたしはパスポートにべったりとキューバ国家の名が
 刻まれた。しかも、何ページも。)

こうした、国交断絶や外交上の問題から、
その国のスタンプがあるとその後の旅に支障をきたすということが
非常に少ない例ではあるが、世界には、いくつか、ある。

その代表例が、イスラエルだ。

もしかしたら、アメリカ以上に世界の嫌われ者かもしれないイスラエル。
占領地の実効支配を繰り返し、国連からも非難される
(が、決定的なダメージはアメリカの拒否権発動で回避してきた)
イスラエルのスタンプがあると、敵対国であるアラブ諸国から
入国を拒否される、という仕組み。

しかしいまのわたしに、怖いものはほとんどない。
パスポートはあと1年で切れる。
多くの国が、3~6か月の残存有効期間を求めるので、
実質的に「使える」のはあと半年といったところだろう。

それに、対立国である「アラブ諸国」のうち、
絶対に行きたかったイランとイエメンにはすでに行った。
狙っていたイラクとシリアには、情勢的にまだ当分行けそうもない。
リビアもとりあえず自粛だろう。
そんなわけで、

よし! 今だ!

となり、ダライラマ法王に会いに行くはずだった夏休みを仕事で返上した反省を
生かして、いち早く航空券を押さえた。先出しジャンケンというやつである。
それでも、年末年始のフライトの予約にしては、決して早い行動ではない。
すでに一番安いフライトはエールフランスという(わたしにとっては)最高級ブランド。
すぐさま目が眩み、パリで1泊ドロップして大晦日を過ごすことにしてしまった。

そして、わたしはイスラエルという国についてほとんど知らない事に気付く。
無宗教なので、聖地巡礼をしても感激もないだろう。
というか、わたしは異教徒(正確にはわたしは無宗教なので異教徒とはいわないが)
にとっての聖地に足を踏み入れること自体があまり好きではなく
ひとの土地を土足で踏み荒らしているような、不快な気分に囚われるのだ。

さて、どこへ行って、何をしようか?
いつものごとく図書館で大量に本を借りて、旅の準備を始めた。

世界的にも観光立国だというのに、意外と遠かったイスラエル。
難航した現地の手配も含めて、今回は「旅立つまで」も含めて
記していきたいと思う。

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