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地球の舳先から vol.249
番外編
念願の、「清里フィールドバレエ」へ行って来た。
バレエ・シャンブルウェストが毎夏、山梨県・清里高原にある「萌木の村」で行う屋外バレエ公演。
お盆休みというものを取ったことのないわたしは8月11日の土曜日という日が
ラッシュであることなど知るよしもなく、のんきに甲府までのバスを取っていた。
結果、2時間で着くはずのバスは2時間経ってもまだ八王子で
しかしわたしは持ちこんだ分厚い小説『外事警察』などを読みながら
ハードボイルドに浸っていたので、さほど問題は無い。
清里へ着く頃には、大雨で足元もあやういほど。
もちろん屋外バレエなので、雨が降ればアウトである。
有人改札を抜けSLの前でしばし呆然状態。
坂を下りてバレエスクールの皆と合流し、かわいらしいロッヂのようなレストランで夕食。
会場では、降り続ける雨にも負けずせっせと舞台を拭き続ける人々。
奇跡的に開幕の8時にはきっちりと雨は上がり、
事務局長の「言いたい事は沢山ありますがもう始めましょう!」
という一言に暖かい拍手が起きて開演。
(本当に完全屋外のステージ。後ろは椅子席、前の方は芝生が区画整理してある指定席。)
屋外バレエを初めて見たが、本当に素晴らしかった。
演目は「白鳥の湖」。
森の中の湖畔で王子とオデットが出会うシーンだが、それを実際に「森の中」でやるので
目の前の森が舞台のセットの一部であることも忘れ
実際にそこで物語が起きているような錯覚に捉われる。
しかも、芝の上にシートを敷き、同じ目線で舞台を見上げる。
非現実的なストーリーなのに、リアリティが半端でない。
照明技術も素晴らしく、雨で中断して全幕すべてを見ることはできなかったものの、いたく感動。
普段習っている深沢祥子先生が主役を踊っており
オデットのヴァリエーションもパ・ド・ドゥも見られたので満足。
それなのに、中断したからということで今後の公演で半永久的に使えるという再入場券をもらった。
その後帰ったペンション「オーチャードハウス」はドイツの片田舎のようなかわいらしいロッヂで、
やさしげなオーナーのおじさんが出迎えてくれた。
たった7室のペンションはオープン33周年で、このあたりでは最も古いとのこと。
暖炉を囲むリビングにはゆったりとしたソファがいくつも置かれており
共同のバスルーム(各部屋にも別途設備あり)にはオーガニックコスメや
アロマキャンドルも整備されており、心ときめく。
(宿泊したオーチャード・ハウス。大きな煙突はリアル暖炉のためのもの。)
翌朝の朝食は、こちらの宿が所有している向かいのブルーベリー畑から
収穫したブルーベリーミルク、旬の桃にシリアル、メープルシロップを合わせたヨーグルトから。
このあたりで焼いている米粉パンとクルミパンには名物のアップルジャムを合わせて。
メインのプレートも、ハーブソーセージとキッシュ…と清里名物が並ぶフルコース。
チェックアウトすると裏のとうもろこし畑で収穫ができるチケットを貰い
トトロの森の世界さながら、背丈の高いひまわり畑をくぐって進む。
その後萌木の村へ戻り工芸品や雑貨店を見ながらぷらぷらと歩いた。
ROCKというビアホールやオルゴール館、メリーゴーランドなどもあり、まさに1日楽しめる場所。
空気は澄んで涼しく、毎夏の恒例にするのもいいな、と思った。
彩りに溢れ、紫陽花とひまわりとコスモスが同時に花開く美しい晩夏の清里。
バレエを観に行くだけのつもりだったのに、すっかり遊んで充電をして帰って来た。
来年は一眼レフを持ってじっくり楽しもう!と決意したのだった。
地球の舳先から vol.213
日本/金沢編 vol.3 (全3回)
古都、金沢。
日本は古い歴史があるというのに、
高校時代「社会」から逃げまくったわたしは日本のことをなにも知らない。
古都といわれても思い浮かべるのは京都で、
しかも自分で歩いた道ばかりである。
前日、加賀温泉まで移動していたので、
そのまま小松空港へ行けば近いのだが、再び金沢へ戻る。
はじめての金沢なので、とりあえず有名な観光スポットを中心に
金沢駅を出発地点として、地図に行きたいところをプロットし
線でつないでいくと、どうやら10キロもなさそうだった。
そんなわけで、金沢駅から1日かけて、反時計回りにふらふら歩くことにした。
朝食をあんなに食べたのにおなかがすくから不思議で、
まずは近江町いちば館へ行って、えび三昧をする。
透明に輝く大きなえびは「この場で生でどーぞ」と軒先で売られ、
貝類をその場で焼いてくれる小さな網もあった。
金沢ならではの、甘エビコロッケというものもある。
軽食で小腹を満たすと、向かったのは長町武家屋敷跡。
加賀藩の武士が住んでいたところで、塀や石畳などはまさに映画の世界。
縁切りと縁結びが両方できる珍しい神社という貴船明神でスタートして
高田藩、前田藩など、わたしでも聞いたことのある名前がつづく。
なにかつくりものっぽくない、と感じたのは、なぜだろうか。
金沢というのはほんとうにアートな町で、
「なんぞ、この前衛的なビルディングは?!」と思うと薬局だったりする。
しかし武家屋敷は驚くほどに静かで。
たまに開放された庭園などに入っていくと、
小さなスペースに、自分が庭園の石を踏む音しかしなかったり、
ふといい天気に汗ばんで立ち止まると、葉っぱと川の音しかしなかったりする。
観光地であるはずなのに、我々の側が空間に呑まれていた。
品の良い土産物屋で、名物の麩を買う。
すこし歩くと21世紀美術館。
ここも来たかったし、トリックアートのような「スイミングプール」は
確かに感動したが、やはり美術館は合わないようですぐ出る。
モネの睡蓮以外で、美術館に30分といたためしがないのだ。
そして第二目的地、ひがし茶屋街へ。
尾張の男性陣が茶屋街へ出る際に使ったという「暗がり坂」を抜け、
ほのかに夕暮れに色づいた川沿いに、光を灯しはじめた店が並ぶ。
浅野川大橋をわたってすぐが、ひがし茶屋街だ。
1820年に、加賀藩前田公による街割りで設置され
今では国の重要伝統的建造物保存地区に選定されている。
そのうちいちばん大きなお茶屋という懐華楼へ、誘われるまま入る。
昼は一般に広く公開し、夜は一見さんお断りを通しているのだそうだ。
…というのは帰ってから知ったもので、
中を見学させてもらった絢爛で鮮やかなお座敷や茶室、いろりの席で
いまも芸妓さん遊びがされているとは想像できない。
当たり前だが、世の中にはまだわたしの全然知らない世界があるのだ。
ここで金箔入りというくずきりをいただく。(金沢は金箔も名物。)
すっかり空気感に酔い、金沢駅へ帰ったのは日も沈みかけた頃。
またしてもぴったりの所要時間で空港まで運んでくれるバスへ乗って
夢のなかのような金沢をあとにする。
いままでわたしは、外国人に「日本で東京以外にどこへ行ったらいいか」
と聞かれると、東京の対極として「京都」と答えていた。
もちろん、観光のしやすさや国際空港からの交通の便といった事情も考慮して、だが。
しかし今度からは、金沢をすすめるかもしれない。
東京にはなくなった“日本”とか、、新旧がしなやかに融合している感じとか。
東洋の文化って、こういう折衷から、はじまっているのかもしれない、とおもったり。
それはやっぱり、JAPANESE BEAUTY で
あの広告キャンペーンに、わたしは金沢へ行って、より納得したのだった。
おしまい。
地球の舳先から vol.212
日本/金沢編 vol.2 (全3回)
ミーハー、といわれようとも、星野リゾートが好きである。
星野リゾートは「日本再発見」というコンセプトで、国内でいくつものリゾートホテルを
経営しているのだが、その土地土地に合わせた、もはや宿泊行為自体が観光、
というような興味深い体験を提供している。
このコラムで紹介した中でいうと、三沢へ行ったときも星野リゾートに泊まったのだが
そこは、経営状態の芳しくなくなった宿泊施設と広大な土地を買い受け見事に再建したものである。
今後も、沖縄の竹富島や、富士山の麓に開業計画をもつ。
ここ、白銀屋も、星野リゾートがオリジナルではなく、創業は1624年。
380年にわたり前田利常公、北大路魯山人に愛され、有形文化財に登録されている。
チェックインからが、リゾート体験の始まりである。
「寝る」のではなく、旅館で「過ごす」たくさんの、ほかではない体験が用意されている。
チェックインは15時から。
これまた有形文化財の茶室で、抹茶とお菓子を振る舞われる。
樹齢200年の木々のある庭園は、秘密の中庭みたい。
隣接するカフェでは、加賀の茶器でおいしいコーヒーも飲める。
夜はバーになり、日本海の冷酒の4点盛り、などというものもあった。
夜には右写真の障子にうさぎの影絵があらわれる。
女性限定のサービスにはなるが、ここに色とりどりの浴衣が置いてあり、
部屋にももちろん浴衣の備え付けはあるのだが、好きな柄でうろつくことができる。
このあたりは温泉街で、旅館の外にもいくつかの温泉があり、みんな浴衣でうろつく。
そのあたりを考慮してのサービスなのだろう。
ちなみに夕食後はここで、無料のコーヒーゼリーのサービスがある。
部屋のフロアには「花の階」「蝶の階」などそれぞれに名前がついてあり、
ランプのともされた廊下は靴を脱いで足袋であるく。
部屋の中は加賀の伝統芸術そのままに、抜けるような赤と青。
旅館なのにベッド、という和洋折衷も、快適。
旅館にはもちろん天然温泉が引いてあり、2つの温泉は時間帯で男女交代制。
1300年という、伝統ある源泉である。
湯上り用に、加賀棒茶(ほうじ茶)も用意してあり、
入浴施設自体は大きくはないが、くつろげる。
部屋の中には、「小さな幸せ」がいくつも用意されている。
小さな2つの茶筒にはそれぞれ可愛い和紙でくるまれた緑茶とほうじ茶。
温泉前と湯上り、それぞれに飲むのがいいらしい。
もうひとつが、源泉パックというもの。
「本日汲み上げました」という札つきで小さな小瓶に源泉が入っており、
浸して、とれたての源泉でパックができるというものだ。
確かに温泉は肌にいいはずなのに顔をつけるわけにいかないため、これはなるほど商品。
時間がきたので、夕食へ。部屋出しではないものの、半個室に区切られている。
先付 万寿貝 山葵 加減醤油
八寸 季節果実の白和え 鮭の幽庵焼き 田楽白玉 からすみ 鶏と干し葡萄の松風
胡桃豆腐の茶巾揚げ 甘海老の老酒漬け酢橘釜 花びら大根 茸挟み
椀物 鱧と海老、松茸の土瓶蒸し 酢橘
御造り 日本海鮮魚の御造り取り合わせ
揚物 たたき海老の新挽き揚げ 加賀野菜の天麩羅
蓋物 蟹の養老蒸し ぶぶあられ 翡翠餡 山葵
焼物 のど黒の塩焼き からすみ添え 俵はじかみ 甘長とうがらし
台の物 鮑の若布包み蒸し 肝だれ
酢の物 毛蟹 酢ゼリー 加賀蓮根酢漬け 小松菜
食事 白米 止め椀 香の物
甘味 ほうじ茶のクレームブリュレ(5種から選択)
もうこれ以上は食べられない、というほど、加賀の和懐石を堪能して、眠りにつく。
この日が終わってしまうのが勿体ない!
朝は朝で、食堂で朝食。これまた、量が…。
お茶のサービスも静かにゆっくりと。こんなにゆっくり食事したのはいつ以来だろう。
帰りは、加賀温泉の駅まで送ってくれる旅館の車に揺られて、
ふたたび金沢市まで戻ったのだった。充電、完了!
つづく
地球の舳先から vol.211
日本/金沢編 vol.1 (全3回)
いま見返しても、ぎゅっと心を掴まれるCMがある。
“JAPANESE BEAUTY HOKURIKU”。
04年、06年のJRのディスティネーション・キャンペーン。
なんだってわたしの原体験というのは、いつも広告ばかりな気がする。
このキャンペーンはもう5年も前になるというから信じがたいのだが、
これを見て以来、わたしが日本で一番行きたい場所は金沢になっていた。
それでも、旅というものは縁やタイミングがないとなかなか成就しないもので。
半分公務、という絶妙の縁があり、ようやくその地へ行くことが出来た。
羽田から小松空港まではなんとたったの1時間。
小松空港は航空自衛隊と共同利用なので、F15の勇姿などを期待したのだが。
1100円のエアポートバスで空港からきっちり40分、金沢駅へ着いた。
余談だが、このバス、午前中の行きも、夜の帰りも、ほんとうにぴったり40分。
駅前の小料理屋的なところで、刺身定食を食べる。
この時期の金沢名物・甘エビが、たっぷりの卵つきで出てきた。
衝撃的に美味しかったが、さらに衝撃的だったのは
案内してくれた現地駐在の方がトンカツ定食を頼んだことである。
道民が毎日カニを食べてるわけじゃない、というのと同類の話だろうか。
午後に大役を終えて解放されると、鈍行列車で加賀温泉郷へ向かった。
サンダーバードだかなんだかいう特急列車もあったが
窓の外でも眺めながらゆっくり進みたいときもある。
…お金がないというのもある。
なぜなら、ここを予約してしまっていたからだ。
創業、1624年。
前田利常公、北大路魯山人が愛し、現代では皇太子様も滞在した
380年の歴史を誇る有形文化財、白銀屋。
山代温泉街の中心部は小さくコンパクトにまとまっていて、中央には温泉施設。
夜はしっとりと美しいが、昼間は昼間で美しい。
緑の小道に誘われるようにしてお寺に入ると、主張することもなく
国重要文化財の明覚上人供養塔があった。
…とはいえわたしは日本史や文化財というものに相当疎いので
散策もそこそこに、白銀屋にチェックインし、温泉をはしごすることにした。
宿からタオルを持って、浴衣でウロウロできるのもらくちん。
明治時代の建物を再現した「古総湯」は、
循環も加水も加温もしておらず、洗い場もない、ひたすら「入浴」に徹するところ。
中央に浴槽だけが置かれ、美しいステンドグラスがはまっている。
2階は休憩処になっていて、提灯の光に温泉郷が照らされている。
隣の、地元民でにぎわう「総湯」よりも空いていて、とても静か。
地元住民で賑わう「総湯」のほうで、絶品の温泉卵(しかも安い)をいただく。
白い卵と赤い卵の2種類。小腹を満たして、宿にひきこもることにした。
つづく
地球の舳先から vol.115
日本編 vol.10(最終回)
きょう、三沢でクルマに乗ります、といったら、わたしに車線変更の仕方を教えてくれた人から
「撤退する勇気もときには必要です」とメールが返ってきた。むう。
朝起きると、雪が舞っている。雪が降っていたらやめよう、と前夜までは思っていたのだが、
雪国で運転できたら自信がつくだろうなあ、という妙な期待感がぬぐえない。
結局ニッポンレンタカーへ行ってしまった。即案内され、しかるべき位置にサイドブレーキがなく(ハンドルの横についていた。車種によって違うのね)焦るわたしなど目に入らないのか、イケメン店員ウエンツは大通りへ誘導の手を広げている。
ええいもうどうにでもなれー、とすごく大回りで道に出たわたしのそれからについては、多く語るまい。
「こっちは制限速度で走ってるんずら!悪いことしてないっちゃ!」と車の中で妙な文句を(しかもたぶん山梨語と福岡語)言い続けながら、八戸ナンバーに抜かれまくり、後ろに車がいなければ20キロ台で走る。
「ぶつかって事故になるより、のろのろ迷惑運転のほうがいくらかマシだね」というのがわたしの言い分だ。
山道、雪道、氷道。「記念館までなら道は乾いてますね」とウソを言ったウエンツを呪う。
止まるわけにもいかず、ナビに八つ当たりしながら山を越えて13キロほど走る。
間違うわけもないまっすぐな一本道、信号も交差点すらほとんどないのが幸いだった。
目的地の寺山修司記念館に着くと、広大な駐車場をいいことに前入れ(あたりまえ)で斜め駐車。
妙な汗を拭い、「着いた……」と感慨にふける。午前10時。
でも、荷物を重い思いをして運ぶ心配も、寒さの心配もしなくていいし、なんだかやっぱり魔法の乗り物のようで、自由に操れるようになれば快適な乗り物だろうなあ、と思う。
それから丸々5時間、寺山修司ワールドを堪能。
故郷を捨てよと言い続け、三沢を憎んでいるかに見えた寺山の原点はやはり三沢。
記念館のVTRにもあったが、ほんの数年の三沢での生活がのちの寺山の作品の源泉となり、
短い時間ながら三沢を離れるときにはすでに寺山修司は寺山修司に「成って」いたのだろう。
寺山修司というのは非常にもてた男なわけで、その死後いろんな女性が「わたしこそ寺山の特別な存在」を訴えまくったおかげで彼の著作権は非常に複雑な問題化し、それゆえまとまりのない形でしか残されていない。
それをぎゅっと凝縮したのがこの記念館だった。
まさに太く短く、ぱっと咲いて散った彼の生き様はしかしすでに歴史となり伝説になりつつある。
「カワバタヤスナリ」「ダザイオサム」のように、作品の表情よりも名前が先行しつつあるし、
それは文学作品が「当時の価値観」をものがたり、「当時」から時間が離れていくのを止められない限り仕方のないことである。
しかしわたしは、寺山修司という人間のその切迫した生き方はやはり美しい、と思った。
本当は、彼のような価値観は命をすり減らすだけだとずっと思ってきた。
しかしこうして目の当たりにすると、それも案外悪くないのかもしれない、と思い始めたのだ。
みずからを偽って平和に、順徳に、安定を求めて生きることが、はたしてどれほど素晴らしいことなのだろうか。
「自分らしい」生き方を貫くことは非常に難しく、保守に入るほうがよっぽど簡単なこと。
「社会的」や「世間体」といってみたところで、その「世の中」に、いかほどの輝きや未来があるのだろうか?
置いてくるつもりだった価値観を逆によけいに募らせて、わたしはその場をあとにした。
これでよかったのだろう、と思った。
たしかめるためにここへ来たのだろう、とも。
end
地球の舳先から vol.114
日本編 vol.9(全10回)
実は今回の旅は、お金がなかった。
わたしにとって旅はライフワークであるので、毎月生活費とも貯金とも別に旅行資金というのを積み立てている。
が、今年はわたしは秋に本気でイエメンに行きたい気がしている。
マサさんの連載「幸福のアラビアだより」が気になりすぎるのだ。
航空運賃はまだ発表されていないが、今年は9月に奇跡のような大型連休があるので料金は吊り上がるはず。
つまり、今回の「国内」旅行に、金を使っている場合じゃないのだ。
しかしくさっても「旅」。エビやウニに指をくわえてコンビニのパンなど食べるわけにはいかない。
そしてもうひとつの誤算は、わたしがこれまた勝手に「トーホクは物価が安いはずだ」と決め付けていたことだ。
たしかにサカナは安かった。肉も安かった。
しかし旅館も星野リゾート様とはいえ2泊で4万円近くしたし、驚いたのはタクシー。
八食センターから八戸駅まで、10分足らずのタクシーが1500円もしたのである。
(道が広くて空いているので、かかる体感時間よりも実際は結構な距離を走っているらしい)
わたしが2つ目の今回の旅目的に挙げたのは「寺山修司記念館」の訪問だった。
しかしどう少なめに見積もっても、記念館までは直線距離でも10キロはある。
さすがに歩くわけにもなあ、と吹雪事件を思い出しながら逡巡しているとき、三沢駅前のある店が目に留まった。
「ニッポンレンタカー」。立ち止まってしまったわたしがいた。
わたしは去年の11月の終わりに免許を取ったばかりである。
5回も卒業検定に落ち、仮免許の有効期限が…というときに、
色々、$&×+α∴⇒┏ц≧∞┃ч¬な手段をつかって免許を取ったとき、
「こんなこわいもの絶対にもう一生乗らない」と心に誓った……のだが。
店員はウエンツのようなハーフ系美少年。
「東京にいてすっごく可愛いんだけど自分のこと可愛いと思ってないなんて人いないでしょ」という誰かの言葉がよみがえる。
この人、たしかに東京にいたらニッポンレンタカーの店員なんてやっているわけがない。三沢おそるべし。
「免許とったばっかなんですけど」
「初心者マークは貸し出しありますよ」
「……雪ですべりますか?」
「スタッドレスですからね」
……スタッドレスって何? なんかタイヤのCMで聞いたことある気がするけど。
横浜ゴム?織田裕司?ああ、思い出せない。
「チェ、チェーンとか、つけたことないんですけど、やってもらえるんですか」
「……あ、だから、スタッドレスなので。」
……だから。スタッドレスって何?!
いかん。ここであまり店員の恐怖を煽っては、クルマを貸してくれなくなるかもしれない。
「あっそうか、そうですよねーハハハ」
などと適当に話をあわせ、なんとなく予約することになってしまった。
不安すぎる。でも、あのやくざな運転をするタクシーがいっぱいいる246や明治通りを走れたのだ。
100万人いたら99万9993人くらいが常に急いでイラついている東京の街を煽られまくりながらも走れたのだ。
と自分を勇気付けるが、教習車以外で走ったことも、つまり教官や補助ブレーキなしで走ったこともない。
もはやアクセルが右だったか左だったかも覚えていない。ていうかシビックにしか乗れない。
左手でガチャガチャするやつは、DかRにしか入れたことがない。
ハンドブレーキは何のためにあるのかいまだに知らない。
でも、道広いし、車少ないし、人優しそうだし、案外大丈夫かも!
「クルマの大きさは、どうしますか」
「ちっちゃいの、ほんとちっちゃいのにしてください。」
「じゃ、禁煙車、ナビ付き、1000cc、予約しときますから。」
と、ウエンツは予約票をわたしに渡す。トーホク、やっぱ半端ない。
1000ccってクルマだよね?ナナハンってあの暴走族のよく乗ってるやつ、あれ750ccってことでしょ?
ってことはバイクとそんなに変わらないな!よし、大丈夫!
「ガソリンは満タンにして返してください」
ガ、ガソリンスタンド行ったことない。セルフじゃ絶対ムリだ。
でも、何事も経験だ!みんな最初は初めてだ!
「レ、レギュラー?ですよね?」
「……はい。」
なんだその間は。不安に思われたか?だってハイオクはトラックでしょ?軽油は業務用でしょ?ちがったっけ??そんなん、ガッコウデオソワッテナイヨ。
大丈夫、「レギュラー満タン」って言えばいいだけだよね。ああ、言ってみたい!
当然、朝から飲むわけにいかないので、この日はよく地酒を飲んでふらっと寝ることにした。
地球の舳先から vol.113
日本編 vol.8(全10回)
「ここに泊まれば青森の魅力がすべて堪能できる」が売り文句の、古牧温泉青森屋。
なんでも、毎日旅館のなかで「ねぷた祭り」をやっているらしい。…?!
というわけでその、祭りと地元の食事を堪能できる「みちのく祭りや」を申し込む。
旅館のフルコース夕食で5000円なので、やっぱりちょっとお得感あり。
トーキョーのシティホテルじゃ、ルームサービスでパスタとカレーを取ったらおしまいだ。
ホテルの小ホールほどの広場にはやぐらのように客席が組まれ、さっそく刺身が
前菜のように振舞われる。そのあとやってくるのは五段積みあがったせいろ。
おしながきはこちら。
■先付け
珍味(アピオス 白和え/白ゴマ豆腐 蟹の旨汁/子持ち昆布 山葵菜和え)
お造り(鮪 カンパチ 帆立 イカ 海老)
■五段セイロ
一の段(里の幸)小川原牛/大根・水菜
二の段(炊き込みご飯)青森県特別栽培認定米「つがるロマン」使用
三の段(煮物)季節野菜の味噌掛け
四の段(海の幸)青森県産魚介/おいらせ町特産長芋
五の段 鶏肉団子/蛸のつみれ/県産ほかほかメークイン
■汁物
名物「せんべい汁」県産・田子産きのこを使用しています
■デザート
ながいもアイス/りんご
食もたけなわ、の頃に祭りが始まります。ねぷたを踊る、伝統音楽を演奏する、といっても余興程度のものだろう、と正直思っていたのですが、物凄く本格的。
ホテルのスタッフが踊っているのか、踊りをする人がホテルのスタッフをしているのかわからない。
ミニチュアのねぷたの前で、次々披露される踊り、歌、楽器。
その迫力と完成度に、気圧されっぱなし。踊りたい。むくむく。
食事もとことん地産地消にこだわっていて、
アピオス(マメ類)など、ローカルで、今まで食べたことのない食材もあり。
会場を出たところにあるホテルの売店で現地食材、いろいろ売っています。
別館では市場もあり、食材や伝統工芸系のものも売っています。
はい、また食べ過ぎ。おそるべし旅館。
地球の舳先から vol.112
日本編 vol.7(全10回)
さて、なんとなくや勢いで三沢まで来たわけだが、つまりこれといって目的もない。
少し足をのばせば十和田湖やら、奥入瀬渓流などもあるのだが、観光疲れはしたくなかった。
こんなときは、わたしの場合、歩くに限る。
というわけで旅館を出発して、米軍三沢基地、三沢空港、市街、と地図ももたず歩いて回った。
歩いていた時間から逆算して、だいたい12~13キロだろうか。
しかし、わたしはトーホクというところをなめきっていたのである。
天気が良かった。道も乾いていた。
わざわざ着込んできたエベレスト登頂隊が採用したという保温ハイテク下着も、
楽天市場で800円で購入したムートンブーツも不要に思えた。
だいたいユーゴスラビアへ行ったときもカナダにオーロラを見に行ったときもそうだったが
寒い、凍る、死ぬ、マイナス○度、などといっても実はたいしたことない場合が多いのである。
が、知らない地でもあるのできっちり防寒してわたしは雪の三沢の街歩きに出た。
……が……。
何もない。店もない。コンビニがあると感動する(わたしの歩いた軌跡では2軒しか出会わなかった)。
しかし東京生まれ東京育ちだと、雪の中をあるくだけで結構楽しいものである。
ここの人たちはみんな車を使い、ほとんど徒歩でどこかに行くということはないようで、
歩道は雪かきされた雪の積み上げ場所と化している。
しょうがなく雪をよけて車道を歩くので、なんだか迷惑な通行人と化すが正月で車通りもあまりない。
三沢駅を出て三沢空港まで行ったくらいで、それまで防寒をしすぎて気づいていなかったのだが
ブーツが雪に負けていることに気づく。靴、靴下、タイツ、と浸水して初めて気づいた。
雪と水ってなんだかイメージが一致しないのだが、雪の中を歩けば当然靴はびしょびしょ。
「さ、さみぃ…ちめたいよぅ」ということになる。防水スプレーしてきたのに!
しかし歩いて体もほくほくしているので、とりあえずそのまま歩き続けるが
トヨタとかスズキとかのディーラーか、もうあとは民家しかない。
なーんだ、そろそろ引き返すかなあ、と思いぐるっと回りはじめてすぐ、いきなり吹雪になった。
雪が猛烈に横に吹雪いているのである。みぞれのようなものが顔にばちばち当たる。イタイよ。
こりゃヤバイ、と思ったが、ようやく発見した三沢駅行きのバス停の時刻表は日に7本。
こんなところで1時間も待っていたらどうなるかわからない。
しかし流しのタクシーなんて、いるわけもない。
観光地でもないので、道端に地図もない。ここどこ?!
赤くなった手がだんだん白くなってきて、危機感を募らせるも、周りには民家かトヨタしかない。
コンビニもレストランもない。凍死する!いや、しないと思うけど寒すぎる。
八戸人フィルコさんが「鼻毛も凍る」と言っていたことが今になって蘇る。
どうしよう、いよいよやばくなったら民家に助けを求めて、タクシーを呼んでもらおう。
でもそれはあまりに格好悪いから、もうちょっと駅に向かって歩いてみよう。
と思ってとりあえず大通りを目指し、交差点を曲がったとき。看板が見えたのである。
「岡三沢温泉」
なんだかきらきらして見えた。わたしはぐしゅぐしゅのブーツを引きずって入り、280円の入浴券を買う。
地元の人の集まる銭湯のようなもののようだ。
冬の海に飛び込んだら心臓が止まるように、これだけ冷えていて温泉に飛び込んだら死ぬかもと思い
わたしはサウナに直行した。5分計があるので計る。
10分も我慢していると、体の表面からは汗が出るのだが、驚くべきことに吐く息がまだ冷たいのだ。
これが、「体の中が冷えている」ということなのか?!
さらに5分もすると、息はあったかくなったが、奥歯が冷えたままだった。
体の部位でも、冷えやすいところや温まりにくいところって色々あるんだなあ、と感動しつつ
命拾いしたわたしは、トロン湯、寝湯、電気風呂などいろいろ試して温泉を出た。
(電気風呂はびりびりして、とても怖かった。)
もう絶対にタクシーを呼ぼうと思っていたのだが、出てみれば外は再びの快晴。
おまけにあったまったわたしはまたも調子こいて、歩き始めた。
そして今度は無事に駅に、そして宿に着いたのだった。
北東北、あなどるべからず。
そして、きっと東京人は「身体」のポテンシャルがものすごく低いと思う。
都道府県別に代表をだして、サバイバル対決とかしたら真っ先に負ける気がするけど、どうですか。
地球の舳先から vol.111
日本編 vol.6(全10回)
写真は、旅館・古牧温泉青森屋にある食堂の入り口にある台所。
演出を凝りまくる古牧温泉、「ばんげまんま」(八戸語で夕ご飯)の準備すら、こうやって見せてくれる。
バイキングだからと期待していなかった夕食は、地産地消をコンセプトに名物ばかりが並ぶ。
惣菜も煮物も漬物まで、いちいちこだわっていて、いちいち美味しい。
さすが寒いところだけあり、汁物がとてもおいしい。お正月なので雑煮もある。
それに「今日の刺身」やら、その場で焼いてくれるステーキやらがあるのだからもうどうしようもない。
おそらく100種類以上あったのではないだろうか。すこしずつ、ほとんど全部食べた。
大好きになったのは「せんべい汁」という、名物の南部煎餅を入れた具沢山の鍋のような澄んだお汁。
夜の最後は、またしても古牧温泉の浮湯にて。
バイキングで「もう吐いてもいいや」と開き直って食べたため、あまりにふくれた胃をどうにかしようと、そのままサウナへ。
…で、うとうと(←真似厳禁。死にます)。
この日はなぜか子供が多かった。
すると、割と年配のお母さんと、男の子と女の子がサウナへ入ってきて、しきりに母に話しかけている。
いわく、「あそこにね、黒い岩みたいなのがね、どぅーって、どぅー!」と訴えている。
ああ、きっと浴槽のまわりを泳いでいた鯉の事だろう、と思って子どもたちを見ると、指差している先は空。
見ると、ふたたび吹雪き始めた雪が、露天風呂を照らすライトのまわりだけ見えていた。
照明がないところは、真っ暗すぎて雪の姿が見えず、明るいところはほんとうに、一面吹雪いていた。
照明の光ののびる範囲にだけ雪が照らされるその光景はまた、神がかったものがあり、息を呑む光景。
空中でぽかんと、その範囲だけ雪が吹雪いているように見える。
わたしもまた、釘付けになって雪を見ていた。
子どもの目からしてみたら、雪の面積よりそこから見え隠れする空の黒のほうが少ない面積なわけで、
それで雪より空のほうを意識して「黒いものが動いている」という表現になったのだろう。
と思うと、子どもの視点と想像力には、はっとせざるを得ない。
無垢なんて言葉でごまかすべきではなく、彼らの目には「見たまんま」が映っているのだ。
なるほどなあ、とひたすら感心していると、吹雪をみつめるわたしの視線に気づいた母親が
ふいに眉間に皺を寄せてその子に「わかったから、静かにして」と言った。
わたしは一瞬、虚を付かれたというか、何のことだかわからない気がした後、これにも感心してしまった。
すこし東北なまりが入っていたので、お母さんにとってはわたしほど雪など珍しいものではないのだろう。
それを差し引いても、お母さんの目に先に入ったのは、子どもの指したあの神々しい雪景色よりも、他人であるわたしの反応だったのだ。
わたしにとってはその子どもの驚きの声は決して迷惑などではなく、
むしろわたしはしかるべき場所以外では子どもがキャーキャーいったり無駄に走りまくってそれで無駄にコケたりするのは正常で健康なことだと考えているのだが、
たしかに見渡してみると子連れの母親たちは皆、公共の場で自分の子どもがひたすら黙って動かないことを望んでいるようだ。
じゃあ連れて来んなや、と思ってしまうのだが…母親というものはどうも、面白くなさそうな職業である。
子どものほうもなぜかやたら聞き分けがよく「ウン、寝てる人がいるから?」「そうよ」などと話している。
いや、サウナで人が寝ていたら起こしてあげたほうがその人の身のためだと思うのだが。
実際、地酒4合でサウナの中でうとうとしていたわたしは子どもの声で目が覚めたのだから…
そんな子ども(推定10歳くらい)と年配ぎみの母親(推定40歳半ばくらい)を見くらべながら、
ふと自然と浮かんだのが、自分でも不思議な疑問だった。
いまのわたしは、この子どもと、お母さんと、どっちの方に近いのだろうか――
不意に浮かんだようで、すごく本質的な疑問だな、と自分で思った。
空をさして「黒いものがいるぜ」とは、やっぱり言えない。
だが、その逆は? と問えば、わたしにはまだそこまで大人にもなりきれていない気がする。
これもモラトリアムかしら、とか思いながら、重い胃を引きずって部屋に引き上げる。
地球の舳先から vol.110
日本編 vol.5(全10回)
「ちょっとした外国だから」。八戸人のフィルコさんは、そういった。
三沢には、いや、北東北には、あきれるくらいたくさん温泉がある。
わたしは温泉とかスパとかサウナとかが大好きで、家を買ったら絶対ミストサウナを設置するときめている。そんな決意はどうでもいいのだが、とにかく色々な温泉に行きたいなぁ、と思っていた。
古牧温泉旅館から出て、まず行ったのはここと源泉を同じくする「元湯」。
古牧温泉青森屋からはバスが出ていて、歩いても500m程度。
「泊まってます」というとフリーパスである。
浮湯のような豪華で”狙った”感じはなく、銭湯みたい。中も、かなり手狭。
内湯がひとつ、でもお湯は浮湯よりぬるぬるしていて本格的っぽい感じもする。
地元の人がよく使うようで、おばあちゃんや子ども連れがいっぱいいる。
ぼーっとしていると、話しかけられる。のだが……
「@&%$#”*〇 ̄ヾк☆>Я¢?」
風呂上り、となりに座ったばあちゃんに話しかけられて、わたしは思わずぽかんとした。
……まるで何を言っているかわからない。外国語?
わたしはびびって、目を泳がせ、「あ」とか「う」とか言って、言葉が出てこない。
曖昧に笑って首を傾げ、目を伏せてしまう。
自分でもちょっと意外だった。
インドでベンガル語で話しかけられて「げんき、げんき」と言い(日本語)
アメリカで「みずください、みず」と言い(日本語)
クロアチアで「おなかが空いて死ぬるよ。レストランどこ?」と言い(日本語)
モンゴルで「今日の日の入りは何時ですか」と言い(日本語)
成り立っているのかまるで不明なコミュニケーションをとってきて早10年。
「ことばがわからなくて黙り込む」なんてシチュエーションには、自分には皆無だと思ってきたのだ。
ところが、である。
当の日本で、わたしはすっかり言葉を無くしていた。
湯にふたたび浸かりながら、わたしはよくよく考えた。
あの赤いパスポート。不審な国たちで汚れながらも、
「アメリカに入れなくたって地球は1周できるね!」と意地を張って一緒に旅し続けてきた。
思えば各国での入国の手続きこそが、わたしを大胆に、というか開き直らせてきたのだろう。
違う国へ行く、ということとともに、旅に出るたびに、色々と難しい国へ行くことが多かったこともあり
「わたしは日本人である。そしてそれはしょうがないことなのである。」
という一種の覚悟とアイデンティティを、赤いパスポートを出し戻ししてもらうたびに
確認してきたのだ、ということに思い当たる。
だから、何が起きてもほとんど受け入れてきた。
爆破で飛んだ建物の跡地を見ても、脚のないひとたちを見ても、
時間通りに来ない列車も、注文したものをもってこないレストランも、
ぼったくりも、言語の壁も、ジェスチャーとか表情とか、そういうもので超えてきた。
入国管理のあの瞬間は、わたしが「旅モード=フラットな精神状態」にスイッチオンするための
フェスティバル、一種の儀式であったのだ。
なんの手続きもいらない、ただ列車に乗ってビール(サッポロ)を飲んでいれば着いてしまう、
地続きの場所に飛び込むには、「覚悟」の儀式が抜け落ちていたのである。
この点において、わたしは国内旅行というものをなめていたのかもしれない。
3時間も新幹線に乗れば、そこは間違いなく異国なのである。
以前、いまでも尊敬している某氏が「東京はね、マーケットなんですよ」と言っていた。
東京には、いろんな人がいろんなものを持ち寄ってマーケットになっている。
マーケットは市場だから、価値換算がすべての基準になる。
「だって東京にいて、すっごく可愛いんだけど自分の事可愛いと思ってない子なんていないじゃない」
とその人は笑っていた。そして、マーケットっていうのは本来、人が住むべき所ではないのだ、とも。
東京に生まれ育ったわたしが、本当の意味でその言葉を理解しているとは思えない。
けれど、東京が、いわば「証券取引所」のような存在であるということはなんとなく理解が及ぶ。
東京にいては、日本という国は見えないのだとも。
しかし、海外に出るような「旅のスイッチ」は、やっぱりパスポートという「記号」なしには入らなかった。
不思議なものである。スタンスの立ち位置が宙に浮いたまま、おばあちゃんと目を合わせないようにしてわたしは雪道を歩いて帰った。