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地球の舳先から vol.2
前回のマガジンにも書いたけれど、
残念ながら私の初海外はニューヨークだった。
それも、残念ながら、修学旅行だった。
とことん、見栄っぱりの高校だった。
何を学ぶかよりも、ニューヨークという言葉が大事だったのだと思う。
だから、私が卒業して何年か経ったのち、
「海外への修学旅行を世界史の単位にしていた」
などと、流行の「高校生履修漏れ」で日刊スポーツにスッパ抜かれていたりした。
私は、醒めた高校生だった。
そんな生意気な18のわたしは、修学旅行をくだらないと思っていた。
自由の女神像の前でハイポーズ?
勘弁してくれ、心底そう思っていた。
18だったから、だろう。今思えば。
だからわたしは、2人部屋だというのにもかかわらず、
夜に部屋を抜け出して、自由の女神を見に行った。
でも、真近まで近づくことなどできなかった。
なにかあっても5分でホテルに戻れる場所までしか、外出しなかった。
やはりどこかで、「修学旅行」の枠に、飼い慣らされていたのだろう。
それでもあの晩、わたしがひとりで自由の女神を見上げていたことは、誰も知らない。
誰も知っている人間のいない、つくられた人工的な池のそばから、
私はその、嘘物のような得体の知れない像を見上げて
実際、なにも感じなかったのだ
感じなかったから、おとなしくホテルへ帰り、
そこから規則を破ることもなくなった
あのときの自由の女神は、どこか壮大すぎて
なんの感情を沸き起こすこともせず
ただ、ひとつだけわたしは「思い」をもった
「広い世界を見たい」
なにも感じなかった自由の女神の真下で、
なぜそんなことを思ったのかは、いまだにわからない
でも、日本と変わらないような目の前に広がる景色は、
なるほど確かに茶番のようで
それを覆したい、とわたしは18の歳に、たしかに思っていた
実際、私はNATOの傷跡残るセルビアモンテネグロや
38度線の異様なまでの静けさの残る北朝鮮などに
その後、単身でわたることになる
今思えば、そのはじまりとなったのかもしれない、
ニューヨークの、星ひとつ見えない夜空だった
地球の舳先から vol.1
皆様こんにちは、はじめまして。
今日からここで書き始めることになりました。
私が今まで訪れた国、感じたことについて。
バックパッカーのような旅はしてきていないので、
決して回った国は多くはありません。
ひとつの国を、観察し、話し、そして文章を書くために各国を回っています。
「広い世界が見たい」
箱詰めにされてベルトコンベヤーに載せられるミカンみたいな
なんの不足もないのに、ただ鬱屈していた高校時代、
はじめて海外へ行った。
修学旅行の、ニューヨーク。
アメリカンスクールみたいなカラフルでバブリーな制服で、
あたしは甘ったるいコーヒーを片手に、ロビーでずっと座っていた。
あたしの座ってたソファからは、エントランスもフロントもレストランも見えて
フロントの女性はみんな、金髪の白人だった
そしてレストランで給仕をする人は、アメリカなのに英語を話せない東洋人だった
「自由の国、か」
観察をつづけるあたしに、学校で一番嫌われていた国語の女教師が
吐き捨てるように、そう言った
あたしは先生のことが別に嫌いではなかったけれど
自分に話しかけられた気がしなかったから、黙っていた
狭い狭いホテルの一室からは、高速道路しか見えなくて
背伸びをしたって見えるものはたかが知れてる、
でももっと広い世界を見たい、そうおもった、17才の夏。
おもえばあそこ、
まだ真昼間にバービー人形を太くしたみたいなお姉ちゃんが腰をゆすって歩き
路上に針やらコンドームやらが落ちていた時代のニューヨークで
バスからしか見せてもらえないその街をながめていたことが
あたしのちょっと変わった旅観を生み出したのかもしれない